「あら左近さん、今日はどちらに?」
「いやなに、あっこの葛餅が美味いでしょ。ちいとばかし食いに行くんですよ」
「ああら、お気をつけて」

 近所の気のいいオバハンは個人的に好きだ。若い女もまあいいが、年食っているほうが人間としての深みがある。若いモンには余裕がない。かくいう俺も、若いころはやたらにがっついていて余裕がなかった。
 こう考えるのも年だなあ、と思う。
 若いころには年を取った自分というものがまったく想像が出来なかった。女みたいに顔のしわなんかを気にしたり、階段上るのもしんどいもんだからエレベーターを使うようにしたり、老いにはどうあがいても勝てないもんだ。だが年を食うのもデメリットばかりではないと思うようになったのは、最近だ。
 電車に揺られて二時間ばかりの、少し遠い場所に目当ての店がある。
 若い頃は常に焦っていた。時間がない、そればかりだった。年食って余裕が出来てきたときに、その店を見つけた。
 今は、昔と違って心にゆとりができた。そのせいか、忙しい忙しいばかりだった日常にゆとりが生まれてきた。そういうとき、年を取るのも悪くない、と思う(体力の衰えさえなければ)。むしろ、若いときよりも今のほうが人生を謳歌しているようにすら思えるものだ。
 目当ての店は、都内某所にある甘味処だ。わずらわしい喧騒の中からひとつだけ切り取ったような静かで趣のある店だ。
 さっき俺はオバハンに葛餅を食いに行くとか言ったが、半分嘘だ。葛餅が美味いのはもちろん事実だし、多分葛餅も食う。だが一番の目的は葛餅じゃない。その店の看板双子だ。顔は全然似ちゃいないし、性格もあまり似ていない(趣味は合うらしいが)。一分先に生まれた兄の男はやたらよく喋るし、愛想もいい。口癖が義だとかなんとかで、義を重んじるという、ちと変わった男だ。弟のほうは正反対で、あまり多くは喋らないし愛想もない。だが、えらくべっぴんさんだ。それも、下手に喋らないほうがよっぽどいいほどの。兄のほうも顔はいいし、男にも女にも好かれるような愛嬌がある。だが弟はキレイと称するのが似合う。そして、男も女も近寄りがたいオーラをかもしだしている。
 この双子はわりと有名で、一度ばかしテレビに紹介されたことがあるらしい。いやなに、どこぞの芸能人がよく利用するあの店、という紹介のされ方だ。しかしそれ以来、なんだか若い女がうろちょろすることが増えたように思う。
 兄は接客がむしろ好きなタイプだから問題はないが、弟は接客など豆腐の角に頭をぶつけて死んだとしてもしたくないタイプなので、厨房にすっこんでいることが多くなった。
 まあ、都内某所とはいえ(他と比べて)人通りの少ない静かな場所だ。若い女も少し増えたと思うくらいだし、俺の気に入っている穏やかな雰囲気は十分保たれている。
 これが、電車に揺られ、駅から店まで徒歩で移動しているときに考えていたことだ。
 俺の目当てはべっぴんの弟のほうだ。兄は、少し苦手に思うというか……、あっちが俺を敵視している。

「こーんちはー」
「……らっしゃい」

 覇気のないすし屋のような挨拶をしたのは、弟の三成さんだ。今日は珍しく接客をしているらしい。ぶすっくれた顔のまま、無言で俺を手招きし、空いているカウンターを指差す。
 これが、若い子に受けるらしい。だがどちらかといえば年配の方がやってくることの多いこの店では、三成さんは接客に回らないほうが多いのも頷ける(好き嫌い云々以前として)。

「メニュー」
「葛餅がいいですなあ」
「ちょうど今、寒天を切ったのだよ。俺が。寒天をだな、切ったのだ。寒天はあんみつとかに入っているが」
「……じゃ、あんみつももらいますよ。白で」

 ここは高いんだけどな。
 もちろん、全ての客にこんな対応をしているわけではない。いわば、常連さんのみ……いや、俺だけにこういう風に言ってくれたりする。理由はわからないが、三成さんは俺に懐いているらしい。だからこそ兄の兼続さんが俺を敵視する。
 こういう奇妙な懐き方をする三成さんがおもしろくて、最近の俺はもっぱら三成さん目当てにこの店にやってくる。

「三成、島のおっさんが来たのか! 接客は私に任せて三成は中に入れ」
「やだ」
「やだじゃない。あの年頃のおっさんが一番危ないんだぞ」
「やだ」

 と、兄の兼続さんの登場である。
 兼続さんは俺がやってくると、絶対に俺に接客しようとする。それは俺に懐いているとかではなくて、何度も言っているが俺を敵視しているからである。
 三成さんはプイッと顔をそむけ、その場から動く気がないという態度を見せる。

「ははっ、いいじゃねえか。三成はここに居たいんだろ?」

 聞き覚えのない大きな声が突然現れる。
 見るとその男は限りなく薄く抜かれた金髪を半端にオールバックにし、長い髪をポニーテールのようにしている体格のいい男だ。……一時期、ヤマンバとか流行ったのだがその生き残りか……、センターガイというものなのか……、俺にはわからないが。
 その男は三成さんの肩を乱暴に抱き、ドンドンと豪快に叩く。

「げほっ、うおえっ」
「あ、すまんすまん。お前、ほそっちいんだよ。もっと食えや」
「お前のようになるのならもう二度とメシなど食わん」
「あっはは! 言ってくれんなあ」

 三成さんの態度からすると、知り合いのようだ。嫌いな人間や初対面の人間に触られて顔を顰めるだけでいられる人じゃないのだ。
 しかし兼続さんは不安そうな顔で三成さんを見ている。いくら細いとはいえ、叩いたくらいじゃ折れないと思うのだがな。

「ほら三成、彼の頼んだ讃岐うどんだ」
「ん」

 盆に大きな器を載せ、三成さんは金髪の男にそのまま手渡した。

「席についていないのが悪いのだからな」
「あいさあ」

 どういう接客態度だ。という感想はもはや不躾だとすら感じるようになった。あれもまた若さゆえである。人間、年を取ると丸くなるもんだ。
 しかし見れば見るほど双子は似ていない。

「三成、嫌だったらちゃんと嫌と言うのだぞ」
「やだ」
「今言うなあほ!」

 二人の会話が聞こえてくる。おもしろい会話をしていることがよくあるから、聞きながらふと笑ってしまうことがある。
 一回りも年下の子供を目当てにこんなところに来るなんて、俺もまだまだ若い。だがこの双子は本当におもしろいし、見ていて飽きない。

「ほら、島のおっさんの葛餅とあんみつだ。どうせお前が配膳するのだろう」
「うむ」
「いいか、この小豆は国産のものだからお勘定は普段より高額な請求をするのだぞ」
「そうなのか?」
「大丈夫。三成がそう言えば島のおっさんは喜んで大枚をはたく」

 聞こえているんだが、この場合、どういう反応を見せればいいのかわからない。聞こえていないふりをすべきか、口を挟むべきか。
 兼続さんもどこまでが本気なのかわからない。

 事件が起きたのは、あんみつと葛餅を目前にいざ白蜜をかけようとしたときのことだった。