厨房に引っ込んで、兼続さんとなにやら話している三成さんを見つけ、カウンター越しに声をかける。

「なにがあったんだって?」
「わからん……、さっぱり理解できん。ただ、慶次……さっきの金髪の男が突然穴を掘り出して、上半身だけもぐった。足はピンとシンクロのごとく張っていて微動だにしない。……理解できん、いや、したくない」

 なんじゃそら。
 どこかで聞いたことのあるようなドラマを思い出した。いやしかし、三成さんの言うとおり理解できないというかしたくない話だ。
 どうも店の様子からすると、店内で起きたことのようだから……、さっきの男は床をどうにかして掘ったということになる。外の土ならばまだ可能かもしれないが、店内の床だ。いったいどういうことだ。

「とりあえず……、救急車を呼ぶべきか、器物損壊だかなんだかで警察を呼ぶべきなのか?」
「さあ……、なにかに連絡したほうがいいとは思うのだが……、オーナーは?」

 二人はどう対処したものかと首をひねっている。確かに、警察なのか救急車なのかあるいはオーナーが一番先か、悩む案件だ。

「警察ならここにおるわい!」

 威勢のよい若者の声がする。立ち聞きでもしていたのだろうか。
 振り返ると妙に似合わないスーツを着て、どこで売っているのか黒い眼帯をした小さな男が黒革の『いかにも』な手帳を見せて立っている。

「ん? 山犬ではないか。なぜこんなところにいるのだ」
「ばかめ! わしはここのあんみつを食いに来とったのだ。されど、待てども待てどもオーダーを取りに来ぬからずうっと待っとったっちゅうに……、いつになったらオーダーは来るんだ! といい加減クレームをつけにいこうとしたら金髪のでっかい男がいきなり穴なんぞ掘りよって……」
「とどのつまり、影が薄かったのだなお前は」

 どうやら三人は知り合いらしい。
 兼続さんは警察の人を山犬呼ばわりしている。これは、皮肉なのだろうか。

「あれ、お前、警察だったのか? 知らなかった」
「ばかめ! 何度も言っただろうがぼけが!」
「なら、山犬ではなくて警察犬だな」
「……」

 三成さんの一言は強烈だった。兼続さんですら驚いている。
 しかしいつまでもこうぐだぐだしていては、あの金髪の人が中で頭に血が上ってしてしまうかもしれない。なんだか、部外者の自分が口を挟むのも少し僭越だが、ここは年長者らしく。

「で、あちらの兄ちゃんはどうされるんですかね? 引っ張り出してあげなくていいんですか?」

 まず誰も気味悪がって近寄っていない、かわいそうなあの兄ちゃんを引っこ抜かなくてはならん。あまりに目も当てられない。

「ならぬ! 警察が来る前に一般人がむやみやたらに死体に触れたり、周囲のものを動かしたりしてはいけないことくらい、ジジイになってもわかるじゃろうが」
「ジッ……ジジイだとこのジャリが……」

 いや、だめだ。怒ってはならない。これも若さゆえだ。若さゆえ。……だが、俺はジジイと言われるほど年を取っているつもりはない。せいぜいオッサンだ。

「待て、慶次は死んでいるのか?」
「ふむ……そうだな。自分から穴を掘って埋まったのだ。死んでいるとはあまり考えがたい」
「なにを言う。あの状況を見ろ。どこかで見たことのある死体にそっくりじゃ」
「警察犬のくせに鼻を使わず視覚的に物事を判断するな。ニオイで判断しろ」
「そうだ、三成の言うとおり」
「黙れあんぽんたん!」

 兼続さんと三成さんはとても頭の回転が速い。しかし物事を切り出すのはたいてい三成さんである。そういうタチなのだろう。
 ここで死体かそうでないか話しているのなら、実際に近寄って確認してみればいい。俺はコントを続ける三人を尻目に、床から生える足に近寄った。微動だにしないその姿はまるで銅像のようであり、死体なのかもしれないと思うが、常識的に考えてそれはないだろう。まだ彼がここに埋まってから三十分も立っていない。水の中で窒息死するのならば十分な時間だが、床だ。床の下にすぐに土があるわけでもなし、土があったとしても多少肺に土が入り込むくらいはするだろうが、少しはもつはずだ。

「おーい、兄ちゃーん」
「……」

 返事はない。
 この兄ちゃんは俺よりもガタイがいいし、体重もありそうだ。一人で引っこ抜くのは骨を折る作業になるだろう。

「ほら、兼続さん、三成さんも、あー、あと、警察犬の人も。はやく引っこ抜いてあげましょう」
「あ、だから死体を触るなと……!」
「ほら、やま……警察犬、島のおっさんの言うとおりにするぞ」

 と、兼続さんは警察犬の人の首根っこを掴み、ずるずると引きずり始めた。三成さんは引きずられる警察犬の人の足の裏を蹴りながらついてくる。蹴る意味はわからないが、きっと彼はサッカーをしたいのだと思う。

「貴様ら……、公務執行妨害で……!」
「うるさいだまれ」

 ポカスッ、と軽快な音を立てて三成さんが警察犬の人の足を蹴る。なんだかじゃれあっているようでかわいらしいものだ。



 さて、金髪の男――慶次さんを引っこ抜き、具合を見てみたところしっかり生きているらしい。そりゃ、死んでいたら逆に驚く。いや、逆でなくとも驚くけれど、この状態で死んでいたら驚くという話だ。
 今は失神している状態らしいので救急車を呼び、見送った後だ。

「不可解じゃな……。突然、自ら穴を掘ってつっ込んだ。そして失神していたと」
「それもそうだが、俺としては店の床を修理してもらいたい」
「まあ、少々騒がしくなったが無事だったのならいいだろう。警察犬もさっさとお山へお帰り」
「ええい! あんみつを食いに来たと言ったじゃろうが!」
「いや、仕事してくださいよ」

 頼りない警察犬だ。
 しかし自分で穴を掘ってつっ込んで失神していただけなのだから、ほぼ事件性はなしとしていいだろう。税金泥棒と言われないように形だけでも捜査をして、ちゃきちゃき解決すればいい。
 と、ぐだぐだしているうちに客がやってきた。

「……らっしゃい」

 メニューを抱えた三成さんが、気持ち急ぎ足で入り口へ向かい、ほんの気持ちだけ頭を下げる。しかし、硬かった表情は客の姿を見てとたんにやわらかいものになる。知り合いらしい。
 丁寧に席へ案内し、いくつか言葉を交わしてからこちらへ戻ってくる。

「幸村だ。宇治金時をひとつ」
「ああ、わかった」
「ついでに警察犬がうるさいから、あんみつも」
「ふむ……、そうするか」
「なぜそこで悩んだのじゃ!」

 金髪の男シンクロ事件はもはやほとんど流れてしまっている。たしかに奇妙な事件だっただけで、犯人がどうこう言うほどのことでもなかった。
 俺は忘れかけていた葛餅をあんみつを食べようと、カウンターに向かう。
 後ろから警察犬の人もついてきて、俺から二つ離れた席に座り、アゴに手をついて厨房にすっこんでいる双子を眺めている。その視線の先にどちらが映っているのか、判断しかねた。

「警察犬の人は、あの双子がお目当てで?」
「ばっ、なっ、き、気色悪いことを言うなぼけ! はやくあんみつ来ないかなーって待っとっただけじゃ!」
「またまた、ムキになるところがあやしい」
「いっぺん死ね!」

 しかしこの警察犬の人、よく叫ぶ。ムキになったのではなくて、これがスタンダードなスタンスなのかもしれない。
 警察犬の人がどれくらい空腹なのか考えながら、なんとなく自分の葛餅とあんみつに手をかけられずにいると、先ほどやってきた、三成さんたちと知り合いらしい客が警察犬の人の隣にやってきた。

「ここ、失礼しますね」
「勝手にしろい」

 その客は、やはり若い青年といった男だ。癖毛なのか寝癖なのか、髪がところどころ跳ねている。
 ぶっきらぼうな警察犬の人の返事に、嬉しそうに笑い、静かに座った。

「政宗さんもこちらにいらしてたのですね」
「ふん。ずうっとおったわ」
「いつまでいるのですか?」
「食い終わったら帰るに決まっとる」

 おっとりとした青年だ。口調も穏やかだし、物腰が柔らかい。警察犬の人もさっきまでみたいにギャンギャン叫ばず、静かに答えている。

「幸村、そこにいたのか。宇治金時」
「ありがとうございます」
「幸村はお得意様だからな。兼続に内緒で白玉を増やしておいた」
「わ、すみません」
「……わしのあんみつは?」
「あんみつと宇治金時、どちらが時間かかるのかわからないのか?」
「……けったくそ!」

 想像するに、警察犬の人は俺よりも先にこの店にやってきて、オーダーが来るのを待っていた。後から来た俺が先にいただくのはなんとも後味が悪い。いや、これが全く知らない人間だったならまだしも、ついさっき変な縁が出来てしまったのだ。
 青年も手をつけず警察犬の人に話しかけたりしていたが、警察犬の人が「溶けるじゃろうあほが。さっさと食え」などという男を見せたので、今はシャリシャリ食べている。

「島のおっさんは食べないのか?」

 ひょっこりと厨房から顔を覗かせた兼続さんが、不思議そうに問いかけてきた。

「いやあ、なに。警察犬の人がまだなので、なんとなく」
「警察犬などに気を使わなくてもいいと思うのだがなあ」
「うっさいわボケ! さっさと作れ!」

 などとやり取りしていると、突然、宇治金時を食べていた青年が立ち上がり、床に穴を掘ったかと思うと、金髪の男と同様、シンクロのような体勢で沈黙した。