絶望の最終定理





「おや、治部殿。さきほどから手が止まっておりまするぞ」
「う、うるさい。考え事だ。それともう役職名で呼ぶな。征夷大将軍」
「はっは。おっと、この一手は痛い」

家康とこうして碁をするようになったのは、百年前くらいだ。最初は顔も見たくないと思っていたが、嫌でも顔を突き合せなくてはならないのだ。

「しかし、随分長い考え事でしたな」
「ふん。少し、兼続に引きずり回されていた」
「おや、あの異例の大出世をなされた直江殿のことを」

そういえば、家康と兼続には妙な因縁があったな。兼続が家康をおびきよせるために直江状と後に呼ばれる手紙を送りつけたことが、特に大きいだろう。家康が返事をしていたら、ふたりは『不仲のペンフレンド』になっていただろうな。まあ、そんな余裕もないだろうが。

「おきつね殿は知らないでしょうが、長考中に、おもしろい噂話が流れていましたぞ」
「きつねはやめろ、たぬき鍋にするぞ」
「敵を作るのは昔からうまいですな」
「ケンカを売っているのか。この俺の気質に救われたくせに」
「ははは」

仲が良くなったわけではない。ただ、もういがみ合っても本当にしかたのない境地まできたのだ。

「で、噂とは兼続関係なのか?」
「ああ、そうですな。なんでも、最近働きすぎて干からびそうで、スルメになるとか」
「スルメ、か。ふ、変な話だ」

イカイコール兼続という認識がだんだん定着してきている。それがなんだか、兼続が親しまれている証拠というか、あまり神格化されていないというか。

「しかし、以前から宗教に関しては妙な執着があると思っていましたが、まさかそういう方向に向かうとは」

パチ、と音がする。俺はいつも、碁では家康に勝てない(碁で“も”? 違う)。何度打とうが、自分に有利な戦局になったと思ったとたん、ひっくり返される。
今、現世ではテレビゲームだとか、オンラインゲームだとか、からくりの遊びが流行っているらしいが、俺にはついていけない。忙しく動き回る絵についていけないのだ。年をとったなんて話は聞かない。

「あいつらしいと言えばあいつらしい話だ」
「直往邁進、というところですかな」
「しかも、思い込みが激しい」
「ああ……。しかし、まさしく快男子にふさわしい人柄よ」

コペルニクス的転回が百八十度ならば、その半分、コペル的転回だ。家康の認識も、まあ悪くはない(良くもないがな!)。
今頃左近は、本多正信と将棋でもしているのだろうな。今日はどちらが勝つか、そしてこの一局の勝利はまた家康にとられるのだろうか。

「さて、オチはどうなることやら」




「謎は謎だからこそ美しいものだ。謎が解けた真実には魅力のかけらもない」