絶望の最終定理





「兼続、アンタは周到に舞台を作りすぎた。その世界で首が回らなくなるとは、道化以外の何者でもないな」
「ああ、そうだな」
「舞台を? 舞台とは、この、兼続殿の真・三成殿転生計画ですか?」
「そうだ。こいつは他でもない、マッドサイエンティストじみた男だ」

俺は傍観者を決め込んだ。たしかに俺が深く関係することではあるが、俺が口出すことはない。ただ、俺は存在しているだけだ。
「ひとは思想がないことを隠すために語ることを覚えた」という意味合いの、誰かの言葉を思い出しながら、俺は黙った。別に俺が確乎たる信念を持っているということの今さらなアピールをしているつもりはない。ただ、今までに少し、言葉をこねくりすぎただけだ。

「こいつは神となり、心の奥底に燻るそういう傾向を強く自覚し、それを忸怩した。義の心がカヴァーするように膨れ上がり、呼応してその『不義』も膨れ上がった。目の前にいる兼続は善玉菌なんかじゃない。むしろ、『輪廻転生した人間に前世の記憶を与えると、どういった現象が起こり、周囲にどういった影響を与えるか』という純粋な探究心と疑問の塊だ」
「つうことは直江殿は『義』と『不義』が解離したっていうことなんですかい? つまり、直江殿は上にもいるし、ここにもいる。直江殿がふたりいるってことか?」
「ええ? では、私が見たクーデターは? パラドックスですよ! だいいち兼続殿がいなくなったっていう、私の認識はどうなるのですか?」
「この世に『絶対』など存在しない」

傍観者を決め込んだ矢先に、俺は口出ししていた(それもいつぞやかに考えた話を)。どうにも俺は、じっと話を聞いているということには向いていない。ついつい口を出してはヒンシュクをかう。

「三成、いや、違うな。名は、なんだったか」
「俺の名も絶対ではない」
「そこは論点のすり替えになるし、なんの解決にもならねえ。だいいち、その法則でいくと『絶対ではない』という主張も『絶対ではない』。そういうの、パラドックスって言うんだろ?」
「そうだ、だからこそこの世に絶対はない」
「まあまあ。今、究明すべきは『幸村のパラドックス』ってことですかね。『直江殿がいなくなったはずのお上』と『直江殿が分割して上下どちらにもいる』ってことか」

左近にたしなめられて、また俺は黙った。相対主義の最も弱いところは、『絶対は存在しない』という主張すら『絶対ではくなる』というところだ。これは誰がどれほど言葉をつくそうが、変わることはないだろう。

「兼続の目的は先も言った通り、『記憶の挿入』だ。違いねえな?」
「ふ、ノーコメントだ」
「ま、いっけどよ。もし『記憶の挿入』が目的ならば、それはなにも、三成にのみ可能ということじゃないだろう」
「……つまり、私は兼続殿に偽の記憶を埋められたと?」
「そうすりゃ表面的には説明がつきますな。しかし、それは直江殿にとって、むしろ不利になることじゃねえか? 真田殿はもともと、兼続――不義兼続の行動には賛同しきれていなかったし、殿に本当のことを教えて、強引に兼続を連れ帰る可能性だって棄てきれないわけだ」

叩けば叩くほど埃が出てくる、際限がない。俺が題材にされていることは間違いないが『俺』の話をしているわけではない。それにここにいるやつらは皆、上の事情に詳しいやつらだ。俺が口出すことも、本当にない。
左近の言うことは最もだ。だがこいつは既に『すべてのことに意味などない』という、ニヒリズム(虚無主義)じみたことを主張している。だから意味など本当になかったのかもしれない、という考え方も可能だ(考えにくいが)。

「あ……、それって、不義の兼続殿だけが『記憶の操作』をすることができるわけではなく、上にいるという義の兼続殿もできるということですか?」
「そういうことだ、幸村。なんてったってやつは神サマだからな」
「じゃっ、じゃあ、ええっ? どうして私にそんな記憶を与えて下へ? もしかして私は、上の禁忌を犯してることになるんじゃ?……いやそこは義の兼続殿のフォローに期待するしか……」

兼続は依然として俺たちに背を向けながら黙っている。いったいどういう表情をしているのか、その雰囲気で掴むしかない。これでは慶次たちの予想が当たっているかどうか、証明できないではないか。

「推測するに……、義の直江殿は自分に存在する不義の直江殿を排斥したかったんじゃないですかね。つまり神サマの権限を最大限に利用して、不義の心を切り離す。それを泳がせて討つことに十分な条件をクリアさせ、満を持して、ドン。ということか。お上はひとであれ神であれなんであれ、殺すことを嫌がるからな。その点、不義の直江殿の行動は討つに十分な条件を既にクリアしている。ひとりの人間に介入したり、待合室の殿の意識を持ち出したり、不義と称してさまざまな災害をもたらした。真田殿を下にやったのは、不義を討つ人員不足、というか俺の介入は不義のしたことで、慶次はどうせ、おもしろそうだからという理由だろう。不義を討つために幸村を見込んで送り込んだ、ということだ。――つまり、俺たちはいつのまにかラスボスを倒す勇者に仕立て上げられている」
「ああ、ヒーローにしちゃ出番は少ねえがな。どうだ、兼続。異論は?」
「……まあ、そんなところだろうな。義の考えることはわからん。私は不義だからな」
「兼続殿を不義の塊の部分だとしても、討つことは……」
「私はお前の『友の兼続』ではない」

とどのつまり、話はまた義不義論争に回帰する。
兼続が不義の塊云々の次に、『不義の塊である兼続を討つことが不義になるか』という問題だ。幸村の戸惑いを見れば、そのジレンマに侵食されていることは一目瞭然である。しかし、この話が本当に、慶次や左近が導き出したものどおりのことならば、『義の兼続の意思を尊重しないことは不義』という話にもなる。これには正しい解答がない。いや、正しい解答のある問いなど、数字の世界のみに言える話かもしれない。

「別に、これ以上あがくつもりはない。そもそも私は単なる道化にしかすぎない。自分の好きなように行動してきたはずなのに、それは『私』の大きな舞台のなかの舞台だった。これは完全な私の負け、ゲームオーバーだ」



「私は神ではなく、故に孤独ではない」



それ以降の記憶がない。
次になにかを知覚したとき、俺は押入れのなかでトリニワと一緒に暑苦しさに呻いていた。襖を開けると、トリニワはようやくと言わんばかり飛び出し、二匹でくるくる走り回っている。
あいつはなにを早合点したのだ。
俺はぶつけようのない釈然としない気持ちを胸いっぱいに抱えたまま、ベッドにあぐらをかき、辺りを見回した。俺には聞きたいことがもういくつかあったのだ。ああやっていきなり現実に戻されると、落ち着くまでと傍観者を決め込んでいて、結局最後まで傍観者でしかなくなってしまった。
その少しあとに気付いたが、忘れていたことも無事に思い出せている。

だが、これでようやく、奇妙な同居生活も終わるわけで、少しだけ相反した感情が胸を燻った。
一度死にかけた(ように思える)俺だが、こうして現実に帰ってきたわけだ。

「佐吉、このあいだ、そちの部屋を荒らしたとき落し物をしてしまったようじゃ。これくらいの、ダラックマの鏡なんじゃがのう、見かけなかったかの?」

ガラシャの声が、窓の外から聞こえた。なぜ窓から。
窓の外を見ると、巨大コダラックマがガラシャと一緒に手を振っている。電柱が倒れた(しばらく停電だな)。

あの変なやつらのことは忘れようと思っても忘れられないだろう。兼続流に言えば、「忘却することは人間のもっとも得意なこと」らしいが、こればかりは忘れることもない自信がある。
巨大コダラックマは忘れ形見とでもして、たまに見るくらいにしておこう。
しかし、あいつ、日に日に大きくなっていっているような気がするが、気のせいか?……まあ、『詮無きこと』だ。





「神は単純を愛するものだ」





07/26