後ろ手を組み、闇を歩む。闇に死体が転がっていることは珍しいことではなく、今宵も数えきれないほどの死体を踏み越えた(そのたびにおれは愛しさを募らせる)。
平素、おれはつっけんどんな物言いをしていて、素直に言葉を告げたためしがない。また、感情も起伏が薄かった(これは喜怒哀楽の怒以外の感情)。だからいまさら死体を探して陳腐な愛の囁きをするのかと問われれば、違う。
背中を追う月が欝陶しい。この纏わり付く腐敗も忌々しい。
(さこんがみつからない)
言葉にすればいよいよ拙くなると危惧し、あえて口の中に留まらせた。それでも十分拙い言葉だ。おれの教養とは、いざ、感情が走ると悲しいほどに無意味となる。
実際、努力(理想)と結果(現実)は連動しない。いくら大切であったひとのためとは言っても、それに見合う努力がなかった。あの男は天下のため、おれなんかでは想像もつかぬほどの苦汁を舐め続け、ひたすらに石垣を積み続けていたのだ。だから、おれは勝てなかった。そしてここで左近を探している。
おれは間違っていなかったおれは間違っていなかったおれは間違っていなかった。
だが、正しいことがまかり通る世ではなかった。強きがそのまま正となる世なのだ。力のないおれは誤りとされ、邪となる。
(さこんが、みつからない)
幼子のように、舌が回らない。
「左近、左近」
名を読んでみるが、返事はない。返事が来ないことくらいは最初から知っていたが、感情を吐露するにはうってつけだった。
「お前は、どうして、みつからない」
左近は死んだと聞いた(同時に死体が見つからないとも)。だからおれはこうして、闇を歩んでいる。腐敗して、蛆に侵食され、眼球のないお前を見つめるために。
きっと喉奥まで後退した、温度のないお前の舌と、感度のないおれの舌を絡めたい。温度などはいらぬ。ただお前が欲しい。
足音がした。
戦の終わった戦場には、死体が身につけているものを剥ぎ取りにくる輩がいるらしい。
振り返ると、そこには渇望していた男の姿があった。
「左近……」
最後に見たときよりも痩せている。無精髭も生えている(生まれる違和感)。
駆け寄ることはなぜか許せなくて、一歩ずつ、着実に歩みよった。
「殿」
「左近」
「見えますか、関ヶ原ですよ」
左近はおれを見ずに、闇に浮き出る野を見渡した。死体と月しか存在しない関ヶ原。ずっと前に、あそこでおれは敗れたのだ。現実が垣間見え、唇を噛み締める。
「さこ――」
「殿は処刑され、晒し首となった」
おれの言葉は、かすれた左近の声に掻き消され、黙らずをえなくなった。左近がおれの言葉を遮るなど、珍しいことだった。
「きれいな顔をしていた殿のことだ。さぞかし屈辱だったことでしょう」
左近は手に持っていたらしいふろしきをていねいに開いた。そのとき、俺は知った。
(さこんは、いきている)
ひとの感情を、喜怒哀楽の四字にまとめることが、いかに無理だらけで、無意味で、不可能であるか思い知った。歓喜とも哀愁とも言えぬ、複雑な感情が体中のあらゆる思惑を停止させた。
(おれは、しんでいる)
包みの中には、さらし首とされたはずのおれの首があった(自分で言うのもおかしいが、青白い月明かりのせいか、いやに美しい)。目を閉じ、眠っているような姿だが、たしかに首から下はない。
「狂っている」
「殿」
「狂っている」
「お慕い」
「狂っている」
「しております」
「狂っている」
「伝えることを」
「狂っている! 狂っている! 狂っている!」
「忘れておりました」
「狂って――」
客観的に、自分と左近が口付けするのを、なにも考えずに見た。舌がからむ。
ああ、なんだ。
おれも同じ穴の狢だ。
11/08