「ばっかばかしい」
自分の口をついて出た言葉は、存外に棘を孕んだ嶮のあるものだった。俺としてはもっと穏やかに、たしなめるような口調であることが望ましい、そうでありたいと思っていたのだったが、現実とはかくも厳しい。これが俺の特性でありいわゆる個であるのだということは雑多な人間から言われていたし自分でもよく自覚していたほうだ。それに今俺が言葉を吐いた相手もそれはよくわかっているようだし誤解されるようなことはあまりないと信じたい。そもそも誤解されるような語調であることが問題なのだがどうにも今までの話の流れだと誤解されてもおかしくない。これがかわいげのある漫談などであったなら救いがあったというものだがええいくそ現実は違うのだ。ともかく俺はどうしたらいいのかさっぱりわからず混乱しているということだ。
「そもそも、成功の可能性や失敗の可能性などを論じる暇があったら少しでも成功の可能性を底上げする努力をしなくてはならないというものではないか。可能性はわかりやすく数値化することはできんのだから、少しでもその失敗の可能性の不安をやわらげるために成功への努力をするのだよ」
俺は誰だ。いや知っている。わざわざ答えを耳打ちせんでもいい。俺はたまに自分を見失いがちになるが今日は格別だ(けっして、なにか美味いものが食べられる日という意味ではない)。俺は一体何者なのだ。というか俺の混乱は底なし沼だ。底がないからいつまでも混乱は深まっていくだけなのだがそれは困る。つまり俺は自制心がないということなのか、という問いもあるわけだがあえてそんなことは断じてないと言い切ろう。自制心云々の問題ではなくてこれは俺の一部の情報処理能力の欠陥が原因でなにも今に始まったことではない。主に欠陥している理由はめどがたっている。こうして半分くらい冷静に自分を見ることもできるのだが咄嗟に口をついて出るのは冷静と情熱のはざまに揺らめく単なる憎まれ口というか上から目線の言論弾圧だ。
そして俺の目の前の相手はぽかんとしたまぬけな顔で俺を見て、怒るのか哀しむのかそれとも笑うのかさっぱり動きを見せない。優柔不断な男だ。戦場では機敏に判断を下し冷静に戦局を判断する力を持っているというのに対人関係ではとんでもなく優柔不断だということが今わかったぞ。こうして会話をすることでお互い新たな一面を垣間見ることができるこれは素晴らしい自己伝達(コミュニケーション)であるとかそういうことはどうでもいいのだ。つまり俺はお前が俺の発言に関し、どういう動き(アクション)を見せるのか興味津々なのだ。はよ動けやぼけ。
「わかったのならそんな、見えもしない未来がどうこう言わずに腹筋でもして戦準備をするがいい。まだまだ先のことだとお前も俺も言っていたが肉体の鍛錬は一朝一夕では完成しないのだからそんなことはお前も知っているだろう。さっさと琵琶湖をうさぎ飛びで三周してこい」
もはや俺の思考と口は別人のものだと俺は知ってしまったがこれはひっくるめて俺の発言でありそして俺の責任となる。この場合、『自分が出来ないことを人にさせるな』と『自分が出来ないからこそ他人にたよる』という似ているようで両極の思想が俺の中に生まれるわけだが、後者はこの場合に適用できない。つまり俺も同じことをしなくてはならないのだがそれは困る。俺はうさぎ飛びなんて五回できれば十分だ。いやそれよりももっと気にするべきことがあるだろう。さっきまでの俺と今の俺は別人か。俺はこいつの動き(アクション)を見たいと思ったのにどうして言論どころか動作すら弾圧するのだうさぎ飛びなんて本当はしなくていいし別に体を鍛えられるわけでもないし、むしろお前は十分強いと訂正すべきだ。うんそうだそうしよう。
「ついでに佐和山城の敷地内の隅から隅まで、早く走ってゆっくり走ってを繰り返すのを十回はしたほうがいい(インターバル)」
ほれ見ろこいつ、驚いてあいた口がふさがらないとでも言いたげだぞ。俺だってあいた口がふさがらないから意味のわからん言葉が駄々漏れになるのだ。もしや本格的に俺は人外の道を歩んでいるのかもしれないがそんなことはどうでもよくて俺はただ単に『冗談だ』と『お前の言ったことを全て否定しているわけではない』と弁明したいだけなのだ。そこのところをわかってくれ(届け! 俺の気持ち!)。
「いやいやいや……、殿、左近にそんなことをさせたらガタガタになっちまいますよ」
「その程度の肉体でよく鬼の左近と言われたものだ。鬼が泣くぞ」
「泣きませんよ鬼は」
「鬼の目にも涙、か」
「話を聞いているんですか」
聞いているからこそ会話が成り立っているというのにこいつはそんなことも理解しないのか。いくらなんでも犬だってそんなことはわかるだろう。話を聞いているのかいないのかよくわからないのはどっちだあほ(俺だ)。
「いえね、殿の言うことにももちろん一理ありますよ」
これが噂の飴と鞭戦法である。これは飴だ。つまりこの後に鞭が待っているわけだが俺は特筆して被虐趣味があるわけではないので正直勘弁してくれないだろうか。俺のとっておきのなにかをあげるからそれに飴もいらない。褒められるのはあまり好きではないのだよ俺は。
「ですが、優れた戦略家というものは」
俺の耳はたった今から休日に入った。こいつのこのオセッキョウはもう何度も聞かされて飽き飽きしているし俺がいかに器でないかを思い知らされるからヘドがでる。しかし俺とてそういった偏った斜め上から自分を見ているわけではない。つまり、自分で嫌と言うほどにわかっていることを他人の口から再確認させられるのがこの上なく腹立たしく同時にお前が戦略を語るのかあほと思うわけだ。俺より年上であるから人生経験が俺よりも豊富であるのは無論のことだろうが年の差なんてへそで茶が沸かせたとしたって変えられないことなのだよ。
「此度の戦は人生経験などで決まるものではなく義によって決まるのだ」
「は? 人生経験?」
なんだよこいついきなり人生経験とかおつむ大変なことになってるんじゃねえのどうするよ。そんな顔をされたのだが俺の中ではしっかり結論が出ているのだ。あまりそういう顔をするな。
できれば俺はあまり多くを語らない人間になりたいのだがこれも性分だ。一言でサクッと要点や様々な意味をこめている奥深い人間というものは想像の幅が広がるし懐の深さがよくわかる。以前にこいつにそのことを言ったら頑張ってくださいの一言だ。そこは簡潔にまとめるべきところではないと思うのだが、違うのか。
「……とりあえず、寝ましょっか」
「そういえば眠くなってきたな。どうりで取りとめのないことを考える」
「ええ、多分、今の殿には寝るのが一番だと思います」
左近、お前は俺の医師にでもなったつもりなのか。だが別にいい。もしかすると明日になればお前の言っていたことが少し理解できるかもしれんし耳を貸す気分になるかもしれん。だが今はだめだ。
寝る。
10/11