「狂気だ」
「なにが」
「お前が」
濡れた髪が色の失せた頬にはりついている。煽情的な姿に恍惚する。
漂う着物が妙に艶かしく、その尾を揺らしている。
頬に撥ねている泥を指先で拭うと、嫌そうに顔をそらす。そのしぐさすらおかしくて愛しくてたまらない。
「左近を狂気とおっしゃいますか」
「そうだ」
「されば、殿は」
水しぶきがあがる。
どうやら水面を叩いたらしい。こどもみたいな抵抗をするひとだ。
俺が少し怯んだ隙に、まるで魚のように俺から離れ、岸に立っている。むきだしのふくらはぎには泥が点在している。
水を吸って重そうな着物の裾を絞りながら、なにかぶつくさと言っている。
「お前のせいでずぶ濡れだ。月見酒だって? こんなの、単なる水遊びだ」
「単なる水遊び、ですか」
「そうだ。狂気のな」
ふてくされているのか、俺のほうをちらりと見ようともしない。袖の水を絞ることに四苦八苦している様子が、これが天下の嫌われ者治部少輔であることが、奇妙に映った。
手を伸ばして、その色の落ちた手首を掴む。まるで露出しないものだから、まるで白魚だ。
そのまま引っ張って、引きずり込んだ。
「っ」
濡れたからだは冷えている。だが、少し胸のなかに収めておけば、すぐに手放しがたい暖かさとなる。
もう小姓とはいいがたいおとなの男だ。だが、こどもだ。このひとは。
その肩幅も筋肉も、たしかにおとなの男のものだ。けれど、こどもだ。
はなせと横柄に言いながら、決して目を合わせようとしないしぐさや、まるでこどものように逃れようとする微弱な力、こんなささいな、前戯ですらない戯れに照れる心。
こどもだ。まったくこどもだ。
「はなせ」
「寒いですもん」
「なら、凍ってしまえ」
こどもは愛らしい。
この、苔が少し生えた、深い青の檻に、あなたをこどものまま、いれておきたい。
08/01