絶望的な状況というものを、今までに何度も見てきたと思っていたが、これほどに絶望の戦場というものを俺は知らなかった。俺の知っていた絶望というものは意外と、俺の軍略でどうにかなるもので、本当の絶望とは今の状況、俺の軍略すらいざりに雪下駄、繋驢結(けろけつ)でしかありえないことを言うのだということを切々と感じた。
被弾した。
ほんの一瞬の油断が、俺を窮地に立たせた。まったくのあほうだ。
だが、俺のどじのせいで殿を危険にさらすことなど、まるでばかばかしい。気を奮わせて、俺の隊は死兵となり、辺り一帯の敵を蹂躙しつくした。
そこでふと気になったのが、殿の安否。
一応、かなりの数を足止めしたが、万一でもそちらに流れてしまっていたらそれこそ俺は路頭に迷った野良犬だ。
血が出すぎたせいか白む視界も厭わず、馬を走らせた(残念なことに、このときの俺は正常な思考を持ち合わせていなかった)。
山道で、ぼろのように顔を青ざめさせ、倒れそうなほど足元が覚束ない殿を見つけた以降の記憶は、不思議なことに無かった(後に自覚したが、これが俺の狂気だった)。

気がついたときは馬を降りて、俺は木の根に体を預けていた。最後に視認したときよりも殿に傷が増えていることには見てみぬふりをした。
馬の轡を外して、好きなところへ行かせた。戦で死ぬのはひとだけではない。馬も同様だ(おまえはしあわせだよ、きっと)。
途端に体が重たくなって、腕を動かすことすら苦痛になった。
どうしてここに俺はいる? どうして殿も一緒にいる? 俺はなにをしたかった?
たまにひとは、自分の言動や行動を理解できないことがある。だが、その大抵は腹の底にとぐろを巻く、己の欲望から目をそらそうとして、理解しようとしていないだけだ。
今の俺はまさにそれで、むしろ、そう自覚しているぶん、たちが悪い。
俺が俺を追及しようとするたびに、俺は巧妙にそのとぐろを覆い隠し、俺の目の届かないところへやってしまう。そうされると俺は、そのとぐろを探すことを諦めてしまいそうになる。しかし諦めてしまったら、俺は結局なにもわからないままだ。だから俺はまた追及する。だが俺はそれをずるがしこく、別のものへすり替えるように誘引する。つまり、俺という人間は実に逃避することが達者な人間なのだ。

多分、俺は出血しすぎた。だから生きながらえることは叶わない。
だが、殿は生きることが可能だ。
俺はひとり、死ぬ。
あっけないとも思わないし、立派だとも思わない(これほどの舞台を死場にするなど、昔じゃ考え付かなかった)。
ひとりで死ぬということに寂しさなど感じないが、この殿を隣に置きたく思った。
首に手を回しかけて、ほとんど指に力が入らないことに気付く。

ばかばかしい。
殿の志に、理想に撤する姿に惚れたというのに、その理想を妨げるなど、まるで無意味だ。

そこへ墜ちるのは俺だけなのだ。











10/01