そういえば、最後に佐吉の姿を見たのはいつの日だったであろうか。
もう光すら映らぬ眼がひどく憎らしく思えた(憎んでもしかたのないことだということも、すでに何度も憤ったことも知っている)。
小早川の裏切りは予見していた。小早川対策に置いた者が裏切ることも予測していた。だが、私は知ろうとしていなかったのかもしれない。佐吉といっしょだ。
佐吉、どうか気付いておくれ。
おまえの理想はあまりに理想すぎる。憎めないが、こわいのだよ。



「狂気の沙汰だ。佐吉、わかっているか? お前のしようとしていることは、実は、途方もないほどに勝ち目のないことだ。内府殿とおまえでは、気の遠くなるほどに器量の差がある。民を見たことがあるかい? 往年の秀吉様の政治が民を疲弊させきってしまった。もう豊臣はだれも望んでいないのだよ。義はたしかにおまえにあるやもしれぬ。されど、民は義では生きてゆけぬのだ。民は義よりなにより、安定した生活を、戦のない生活を望んでいるのだよ。わかるかい? 佐吉、おまえはほんとうに立派な心を持っている。だが過ぎたるは及ばざるがごとしなのだよ。個人的感情で民を苦しめる気かい? おまえのことだ、そんな気などちっとも持っていないだろうとは思うが、佐吉、私にはそうとしか見えないよ。考え直して、どうか。私はおまえを愛しているのだよ。島殿はなんと言っておられる。島殿もおまえを愛しているのだろう? 佐和山の人々もおまえを愛している。どうか、どうか、考え直しておくれ。おまえのいない世で、私は誰を友と呼べばいいんだい?」
「いや、紀之介。俺は負けぬ。義無き世に生きて、ひとはなにを得る。悪循環だ。ここでいよいよ誰もたぬきを咎めず、なびいてみろ。この国の人間は、強きになびき、多きになびき、心の美しさ、美徳、義を全て失った傀儡になってしまうだろう。また、民を治めるべき大名の威信は地に堕ち、非難されるだろう。豊家にさんざん御恩を賜ったというのに、いざ根幹が揺らいだら強きになびく恩知らず、保守的だとな。いや、俺はそういった評判に関してはどうでもいい。ただ、豊家の御為だ」
「ああ! 佐吉、おまえの決意はどんな言葉を持ってしても揺らがないというのだね? 私の言葉すら! 非常に自分本位だ! 自己満足だ!」

なんて視野の狭い!
おまえは前しか見えないのかい? さしずめ猪男かい?
いったいどれだけの犠牲が出るか、考えただけでもめまいがする。それほどの犠牲を出してまで、守る価値があるのかい。
確かに御恩は数えきれぬほどにある。だが、もっとも重きを置くのはだれの天下という点にあらず。民だ。

「どうと思われてもかまわぬ。俺は俺なのだからな」
「佐吉、おまえの心はなにで出来ているんだい? まさか、豊家への御恩、秀吉様への敬慕の念だとは言わないだろうね」
「まったくもってその通りだ」

迷い無き眼が、いかなる説得もむだに終わるだろうと告げている。
民は……天下を決める戦など望んじゃいない(同時に、私の保身がために引き合いにされることも)。ただ、泰平を求めている。

「わかった、わかったよ、佐吉。私にだって秀吉様への御恩は計り知れないほどだ。西軍につこう。おまえの生き方にはまこと、頭があがらない」
「……すまない、紀之介」
「こういう場合は、謝るのではなくて、礼をすることのほうが義とは思わないか、佐吉?」
「……ありが、とう。助力、いたみいる」



小早川の裏切りで、お前の理想は単なる理想に終わってしまうだろう。
おまえの理想はあまりに高潔すぎる。この世界を生きるには不便なほどに潔癖だ。

戦場にしては不自然なほど静かな晦冥。
悲しんではいけないよ。
初めからわかりきっていた結末なのだから。
悲しんではいけないよ。
私がそうすると決めたのだから。
悲しんではいけないよ。
どれほどの犠牲が出ようとも、それでも、おまえはその高尚な心を持ち続けるのだよ。

佐吉、悲しんではいけないよ。











09/12
(彼は飄々としたイメージがあります)