29:スクールライフ

三成










懐かしき入学式の日。

俺の家は学校へ歩いていけるような距離の場所にある。しかし歩くのは面倒だ。

(実はまだ免許を取れない年だが)俺はブイブイと原チャリで学校に向かっていた。

暖かい春の陽気に、フルフェイス型のヘルメットの中が異様に蒸している。かゆいがガマンしていた。

そのせいか、うっかりひとを轢いてしまった。

俺が轢いた人間こそ、直江兼続、今の俺の友人だ。

ヤツは不死身だ。

六十キロ近く出していた原チャリに轢かれたのに、骨折もしていないのだ。

ひとを轢いたのは初めてだったので、ともかく俺は焦った。

「おい、大丈夫か」

「無論! 私は義と愛に守られている!」

正直、頭の打ち所が悪かったんじゃないか、と思った。

「痛いところはないか」

頭が痛いひとなのかもしれない、とも思った。

「大丈夫だ。しいて言えば、尻を打って少し痛いくらいなものだ」

「すごいヤツだな、お前」

正直な感想がそれだった。原チャリに轢かれて痛いところは尻のみなんて。ともかくヤツは不死身だ。

そこで兼続とは分かれて、俺は颯爽と学校へ向かい、何事もなかったように入学式に出席して、そのときにようやく、そいつが同じクラスらしい、ということを知った。ヤバイ、と思った。

俺は出席番号一番で、アイツはたしか二十五番くらいだった。席も遠いし(俺は窓際の一番前、ヤツは廊下側に近い後ろのほうの席)、まったく接点など持つことあるまい、などと高をくくっていたら、そんなことなかった。

ひとりぼんやりしながら窓の外を眺めていたら、まるで昔からの友人のようにヤツは俺に話しかけてきた。

「えーと、石田、か。石田はなにを信仰している?」

第一声がそれだったから、本当に変なヤツなんだな、と思った。

典型的現代人のような俺は、一応は仏教の真言宗だかなんだかに所属しているはずだが、特になにも信仰していない(いわば自称無宗教)。

いきなり危ない宗教に誘われるのか、と俺は焦った。まさか今朝のことにつけ込んで……。

「俺は俺しか信じていない」

ともかくヤツにつけ込む隙を与えてはならない。俺は慌ててそう口走っていた。ところでそのときの俺は、ヤツの名前を知らなかった。

「へえ」

ヤツは一言、へえ、と言っただけだった。

変なヤツだ。

「私の名は直江兼続」

「石田三成」

後々聞いた話だが、どうやら兼続は自分の前の席にいる……、なんたら、とかいう名前のヤツが大嫌いで大嫌いでしかたなく同じ空間に存在することも許せず、ベランダに行こうとしたらしい。

兼続が嫌いなヤツの名前を……、えーと、だめだ。覚えていない。兼続はいっつもそいつのことを山犬山犬言うもんだから、もしかしたら俺は、そいつの名前を知らないのかもしれない。

また、これも後々聞いた話だが、兼続に言わせてみれば、俺たちは運命の出会いだとかなんだとからしい。

朝、偶然ぶつかってしまって(原チャリと人間だが)、学校についたら転入生だった! とか、同じクラスだった! とかいう、ラブコメ的な、そういう運命の出会いだったらしい(俺はヤバイ、としか思わなかったが)。

ともかく、それから俺は兼続にことあるごとに付き纏われていた。ヤツの話はおもしろい。俺の知らない話ばっかりだった。それがおもしろい。

愛染明王だとか、義だとか、山犬の小さい頃の話だとか(家が近いらしい)、ガンダムの話とか、萌えとかいう単語についてとか。かと思えば小難しい話もし始める。哲学にもかぶれているらしい。俺はまったく興味が無い(でも話を聞くかぎりはおもしろそうとは思う。しかし哲学系というのはどうにも読む側に不親切に作られているような気がしてならない)。

そのなかでも、兼続はなんたらとかいうひとの「私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めているのではない。私が勧めるのは官能の無邪気さである」という言葉が気に入っているらしい。なんでも、少し愛染明王と通ずるところがあるとかないとか……。俺には理解できん。しかし倫理の授業の兼続は輝いていた。

それに対して、俺が話したことといえば、父上の話とか、左近の話とか、食べれる雑草と食べれない雑草の話とか、ブルセラの魅力だとか。

俺のほうがよっぽど煩悩だらけだと思うのだが。

そして兼続はともかく勉強ができた(哲学なんてもんを読んでいるアイツは文系に違いない)。

俺は毎日復習して、テスト前にがっしり勉強しているが、アイツはそんなそぶりをちっとも見せない。少し羨ましく思ったりもした(多分、努力はしているのだろうが)。



それから三年生になり、入学式の日がやってきた。

この学校はなぜか、上級生は全員参加する必要はなく、適当に各クラスから数十人だけ参加するという方式で、それをすっかり忘れていた俺は学校に行った。

そして帰るとき、またひとを轢いた。

それが幸村だった(らしい)。

俺はあの、ぽやぽやーっとしてて、無表情だった男が幸村だとは到底信じられんと思っていたが、本人がこの間そう言っていた。

絶望だった。

まさかまたひとを轢くなんて、しかも、同じ学校の生徒で、一年生!

唐突に、兼続との会話を思い出した。

「人が死に至る病はなんだと思う?」

「……ガンか?」

「絶望だ」

それだけならば俺はきっとあのとき、死んでいたと思う。

だがこれには続きがある。

「絶望で死ぬのか? わからんな。確かに、絶望も度が過ぎれば自殺という道もあるだろうが。それでも皆が皆そうするわけではない」

「違う」

「は?」

「勘違いされがちだが、キェルケゴールの言う絶望とは、死ぬことができないという絶望のことだ。死に至る病の、『死』とは、『死ぬことができない』という……」

「頭がおかしくなるからもう黙ってくれ」

つまり……、だから、俺が絶望した理由は、死ぬことができない、ひとを轢いたのに生きるしかないということに対してで……、意味がわからない。

哲学なぞ役に立つものではないし、言葉遊びだ。好きな人間は好きだろうが、まったくの時間の無駄だ。絶望とは死ぬことができないことである、などと知ってどうする。そんなことを知ったら余計に絶望するではないか。

ともかく、ひとを轢いてしまったのだ。

それは絶望がうんたらなどということを知っていようがいまいが、変わらない。

だが、今回はカーブを曲がるところで徐行していたおかげか、大事なかったようだ。



あー、よかった(哲学などいらないではないか)。





それから幸村と話すようになって、幸村の友人の慶次とも仲良くなった。

慶次も少し兼続と同類のようだ。兼続のそういう、紙の知識ではなく、もっと、ひとの心に関して熱く問いかけてくるタイプだが。

なんか曹丕とかいう転入生もいつのまにかやってきていた(話したことはないが。絶対にウマが合わない)。


そんな学校ももうすぐ卒業であり、進路は別々になる。

兼続の意味のわからん話ももうなくなるし、幸村の弁当のタコさんウインナーをもらうことも無い。
授業中に左近を見ることもないのか、と思うと、左近の家(隣)に引っ越したくなった。







07/12
(直江は自分の知っていることを全力で相手に伝えて、布教したがるイメージ。そして本ばっかり読んでいるイメージ。哲学とか大好きそうなイメージ。無駄なことなどなにもないのだ!とか言っているイメージ。私の学校は入学式はそういう方式でした)