11:自主課題

三 + 幸










一心不乱に机にかじりつくそのひとの姿を見て、思わず驚いてしまった。

そのひとは学校でも頭が良いと有名なひとだったからだ。聞いた話では成績トップで入学以来、二位で入学してきた人と首位争いを続けているということで、そのレベルは他の人の追随を許さないほどらしい。

そんなひとは、基本的に私とは頭の作りが違うのだと思い、授業を受けるだけで勉強が出来るのだと思っていた。そんなひとが、放課後の図書館の自習室で頭を抱えながら勉強しているのだから、私は本当に驚いた。天才は一日にして出来ず、とは聞いたことあるけれども、本当だったのか。

私はその人とは接点が無かったので、声を掛けることなど考えもしなかった。

三年生のそのひとと、新入生の私。しかもそのひとは学年首位争いをするほどの頭で、中性的なオーラを持っている。敷居が高すぎた。

しかし、よく考えると全く接点が無いわけでもないかもしれない。こじつけに近いものだけれども。
そのひとと首位争いをしている直江兼続先輩。兼続先輩は部活の先輩で、そのひとの話をよくしてもらう。(兼続先輩の話によると、そのひとは見かけとは裏腹に意外とずぼらで、親父臭いらしい)さらに、たまにそのひとが兼続先輩に引きずられて部活にやってくるのだ。

だからパッと見てすぐにそのひとの素性が今、わかったわけだ。

自習室にはそのひと以外の姿は無く、邪魔をするのは悪いと思い私はそそくさとドアを閉めようとした。


「なんだ、自習しに来たのなら遠慮などするな」

「へっ、はっ、はい!」


ドアを閉めようとしたらそのひとは、こちらをチラリとも見ずにそう言った。不意打ちに完全に混乱してしまった私は思わずそう叫んで、そのひとの二つ隣の席に座っていた。

正直、アホだと思った。

自習室にはそのひとしかいないわけだから、私はもっと別の場所に座ってもよかったはずなのに。なのに、なぜか平行線上を選んでしまった。本当に自分がアホかと思った。

なんだか妙に威圧感があるように感じて、私は完全に萎縮してしまった。自習のために持ち込んだ資料なんて、パラパラめくっているだけで全く頭に入ってこない。


「…はあ」

「なんだ、わからないのか?」

「ほえあっ!」

「なんだ、奇声をあげるな」


家で帰って勉強しようか、と思った矢先、そのひとが感情の薄い声で私に話しかけてきた。

まさかそんなことが起きるなど思ってもいなかった私は、思わず奇妙な声をあげて大きく体を震わせた。そのひとは怪訝な顔で私を見る。


「え、ちょ、や、そんな、滅相もない!」

「よくわからんヤツだな。なんだ、どこがわからないのだ」


そのひとは立ち上がり、ツカツカと私の座っている席に近寄って、ノートを覗き込んだ。

恥ずかしいことに全く集中できていなかった私のノートは真っ白だ。

ああ…、バカだと思われる。

私はそんな思いで、穴があったら入りたい、と切に願った。



「わ、ちょ!」

「生物か。動物の細胞と植物の細胞だがな…」



授業中に配られた、藁半紙のプリントを手に取り、そのひとは説明を始めた。

面識なんてゼロなのに、ただ近くに座っただけなのに、どうして?

そんな思いで、頭がいっぱいで、説明はところどころしか頭に入ってこない。



「…と、いうのが、動物と植物の細胞の大きな違いだ。 聞いていたのか?」

「あ、は、はい!ありがとうございます!」



そのひとがあまりに怪訝な表情で聞いてきたものだから、私はせわしく立ち上がり、思い切り頭を下げた。

ともかくかしこまっていた私は、腰から折り曲げ、本当にていねいに頭を下げていた。こんなにていねいにお礼をするなんて、教師にもしたことがなかった。


「いっ!」

「? どうした」

「…こ、腰が、ゴキッ、と…」


慣れないことをしたせいだろうか。勢いをつけすぎたせいだろうか。腰が大きな音を立てた。あまりの痛さに、ぶるぶると体が痙攣する。

そのひとは呆気に取られたような表情で私を見下ろす。

やがて、その人は口元を押さえ、肩を震わせた。



「おっ、おまえ…、礼をするたびにそんな…っ」

「そ、そんなことは!」


笑いを堪えているのか、妙に苦しそうな声のそのひとに、顔中に熱が集まったのを私は感じていた。







「幸村、どうした」


三成先輩は、まったくペンの進まない私を不審に思ったのか怪訝に問いかけてくる。

私は慌てて、「なんでもありません」と言い、プリントに向かった。しかし、一問目にしてさっそくつまってしまった。


「わからないのならそう言えばいいだろう。俺は先輩なのだから、ある程度ならば教えることはできる。 まったく、お前は初めて会ったときから…」


と、私のプリントを覗き込みながら、三成先輩はふと動きを止めた。その目はすでにプリントを見ておらず、思い出すように宙をさまよっている。

やがて、三成先輩はこらえるように口元を覆い、肩を揺らし始めた。


「ちょ、思い出してるんですか?!」

「いや、悪い…、アレは忘れることができぬ」


この状況で、私は三成先輩との恥ずかしい出会いを思い出した。三成先輩も同じように、私との出会いを思い出した。



同じ記憶を共有して、似たような状況で、同じことを思い出しているという事実に、奇妙な感覚を覚えた。











05/15