婉曲
「殿には、届いていないようですね」
笑って言う男の、その顔にまとわってはりついた黒髪が赤みを帯びている。
何が、と言い返してやる気にもなれない。俺も左近に言いたい事があったのだ。左近の小言に付き合っている時間はない。
「好意を伝える時にてっとり早く使われるのが、物を贈る、という行為。これは、物を媒介にして自分の気持ちに代えようという事だ」
あぁ、身体が重い。口が意思と違えたことを勝手に喋る。ぬかるみに足を取られたような気分だ。
「では殿でしたら、自分が相手に好意をもっている事をどのように示されますかな?」
「どのように、と言われても俺は、誰かに好意を持つということが理解出来ない。確かに物で形式的には示すことができよう。しかしそれが、後々へと続く関係をもたらすものとはならない事を、知っている。だが左近、本当は俺はその事について言いたかったのではない。それに好意など、示したいと思った時にはどうにでも動くものでないのか?」
「だから皆、てっとり早く『贈り物』の形で示すんですよ。」
そうして話に不釣合いな微笑みを浮かべた左近。この男は平生こんなにも空気の読めぬ奴であったか?足下は今だ窮屈。何故だろうかと、足下を見るとぬかるみの中に立っていた、道理だ。
「殿。相手に好意を示す方法は、まだたくさんあるんですよ」
「信じられんな。今までに俺が見てきた好意はすべて、いや秀吉様や紀之介以外はだが‥、物で表わされていた」
「…確かに見える形も大事にしますが…、しかしね殿、見えないものにも価値がある」
信じられんな、見えないものなんて。
「例えば、挨拶。あ、殿なんですかその白々しい目つきは。‥だからってそのような目で左近を見ないで下さいよ、ねえ…え?答えが当たり前過ぎる?…じゃあ、殿は出来るんですか?あの狸に?無理でしょう?これは相手のことを気に掛けていなければ出来ないですよ」
「…そのような事、只の礼儀だ、狸との事には合致しない」
「それでは、この左近に対して労いの言葉をくれることは?」
「礼儀だ。主が家臣の労を労うのは当然のことだろう。他意はない。」
…左近の方はどうなのだろうか?
「次に、信頼。相手に好意を持つなら、それはそのまま、その人への信頼そして忠義へと変わります。…これは殿が太閤殿下に対して抱くそのもの」
「そうだ!秀吉様の望む世を守る事、これは俺の義でもあった」
「それでは、殿は太閤殿下に好意をもっている、という事で宜しいですな?」
「全くその通りだ」
理解出来た。なんだそんな事だったのか。至極簡単だった。俺は、秀吉様に。
「そう左近も殿と同じ、だったんです」
…何故だろう、身体は熱くて汗が出てきた、と感じるのに足下は冷えてきた。末端冷え症?
いや、ぬかるみに足を取られた侭だったからだろう。早く上がろう。
「いいや!その発言は認めない。何故なら、左近には俺を怨む根拠がある、そして勝ち目のない戦をしたと罵るべきだ。俺は甘んじてそれを受けてやろう。好意などと正反対の感情で俺を捨て置くがいい。」
そうだこんな簡単な事を。左近程の者が何故、違えた。
「"あのように"する事が左近の気持ちなんですよ、殿へのね」
髪以外が赤みを帯び始めた。その赤は、白い羽織りにまで染みを作る気のようだ。彼がぬかるみに沈む音がして、姿が見えなくなる。
「…知らぬなそんな都合は。俺は見えないものなんて信じぬのだ。左近が俺に好意を持った事の結果なんて、俺はこの目で見ていない。よってお前がどうなったのかなども、信じてはやらない」
それが、只の言葉遊びだと解ってはいても。
そうして俺の足は依然として、左近を手折った、あの生温くぬかるんだ底にくっついたままでいるのだ。
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shina
『霞狩』塵芥 朧さまより、相互記念にいただきました……!
本当に本当にありがとうございます。
リクをしてもいいとの神のごときお言葉に遠慮など知らない私は図々しくも「思索系」という不親切なリクをしてしまいましたが、神速を尊んだ速度でこの文をいただいてしまいました!
ガ チ 好 み で す 。
本当に、こう、禿げ上がる勢いで感謝しております。
殿の「末端冷え性?」という疑問になんだか微笑んでしまいました。
私の送らせていただいた文なぞ到底足元には及びませんが本当に感謝しています!
10/09