ヴァルホルの雑草狩り





「殿、また桶に頭を突っ込んで……。少しは左近をかまってくれると嬉しいのですけれど」

 最近、殿は新しい遊びを覚えた(と言っていいものか)。やめてほしいというわけではないがその間ずっと俺は放っとかれているわけだから退屈でしかたがない。俺も年を取った。こうしてぼんやり誰かを相手に話していることくらいしか楽しみがない。
 不満たっぷりに顔を上げた殿は、濡れた顔を袖でぬぐいながら身じろぎひとつしなくなった。この人は考えていることを言葉にするまでに少し時間がかかる。

「つまり、左近は俺と遊びたいということか?」
「別に、そこまでは言いませんけれど……。左近も退屈なんで」
「なら交換するか」
「いえ、いいです」

 ようやく音に下ったかと思えばやや子供じみた言葉だ。もっとも、殿の言う『遊ぶ』がどういうものなのかは知らんが、火遊びは嫌いのようだから俺はもっとつまらない(そういえば昔、なにに影響を受けたのかいきなり蹴鞠を強要されたことがあった)。

「これはおもしろいと思うのだがな」

 俺が乗り気でないことに殿はつまらないとでも言いたげに唇をとがらせる。
 なんで桶に頭をつっこんでまでおもしろさを探求せねばならんのだか。理由は知っていても俺はそういうことには興味がない。
 退屈きわまってきたので俺はそこらへんに生えている雑草を抜いていた。だが退屈ももう飽きるほど続いているので、雑草がなくなってしまった。俺のとなりにはこんもりと雑草の山がある。だから退屈しのぎに抜いた雑草をまた埋めている。そしてまた抜く。この循環を何度か繰り返した。殿もこの退屈しのぎに参加していたのだが、飽きたらしい。俺も飽きた。

「じゃ、殿、おもしろい話をしてくださいよ」
「ふむ……。じゃあ左近、俺に『お前はいったい何様のつもりだ』と言ってみろ」
「はあ?……殿はいったい誰様のおつもりで?」
「お生憎様、俺は殿様なのだ」
「……はあ」
「おもしろくないのか」
「ちっとも」

 笑いどころがあるというのならば、教えてほしいのですがね。
 そう言おうと思ったけど呑み込むことにした。

「俺はぬか漬けが大好きだ」
「はい」
「だから、ぬか漬けを作ることには手を抜かずに頑張るのだがたまに手ぬかりでぬか漬けを……、うーん……」
「もういいです、ごめんなさい。左近が悪かったです」
「わかってくれればいい」

 おもしろいことを言う気なんてさらさらなくて、ただ『無茶言うなボケ』と俺に言外に告げていたのだ。そう知ったならば俺はこれ以上の苦痛を避けるために平謝りをするしかない。
 殿のこういう、ある意味お茶目な面は嫌いではない。というのもこういう面は俺やお友達さんにしか見せない、貴重なものだからだ。もっとそういうところを多くの人間に見せていれば誤解もされないのかもしれないのだが、やっぱり嫌味にしか取れないかもしれない。そもそも、こんな(ある意味で)おもしろい殿を多くの人間に見せるなんてもったいない。

「そうだな、左近。こういうのはどうだろうか」
「もう勘弁してください」
「いや違う。人を活かす剣を極める、と言っている若い男がいるのだよ」

 なにを言い出すかと思えば『人を活かす剣』。これまた思想の絡む難しいお話をし始めた。
 こういう個人の主観に関係する話を殿とするのはおもしろくていい。俺よりも若い殿だが考えることはなかなかイッチョマエだ(んま、それでもまだまだ青い)。
 個人の主観に関係するからこそ、こういう話はひとりで考えていても楽しくない。

「人を活かす剣、ですか。これまた難儀な道で」
「その男は別の男に『剣は人を斬るために作られた』と言われても『違う』と言う。俺としては前者なのだが」
「左近としては、後者のお話のが青くって好きですよ」
「好き嫌いの問題で片付けるなんて、とんだ感情論」
「なにかを否定するのも肯定するのも、たいていが感情ですよ」

 どうにも若い人間は、感情でなにかを決定するのがカッコ悪いだとか、理にかなっていないだとか考える節がある。殿なんかはその渦中どころか前衛的(アヴァンギャルド)ですらある。
 感情で決定されないことなんて、世の中にどれほどあるのか知らない。

「『人を活かす剣』ですか。左近はそういう、若い人間の突飛な考えが大好きですよ。確かに前者のとおり剣というものは人を傷つけることが目的で作られたのかもしれません。その発想の転換というものは、簡単なようで難しい」
「発想を転換できたとしても、結局『人を活かす』ということが達成できなくては意味がない。第一だな、『人を活かす』とは具体的にどういうことだろうか。この男はそれを具体的に形象として作り出せているのだろうか? わからないままにそれをわめき散らすとはあまりに幼い」
「『人を活かす』を具体的に言えとおっしゃいますけれどね、それは主観の問題ですよ。殿ならどうされます?」
「……どうだろうかな。人を活かす、活用するための剣というのならば、より使いやすくすればいいだろう」
「ほおーら、殿とその人の結論は全然違う」
「そいつはまだ結論など出しちゃいない。『人を活かす剣』など夢物語もいいところだ。活かすとは活用するの意。俺はこれ以上にないほど忠実に答えを出したつもりだ。それともなにか? 活かすとは『殺すことが目的ではない』と等しいと結ぶか? それならば殺傷能力のない剣でも作って遊んでいればいい」

 若いな。
 自分の意見を一から十まであれこれ説明しないと伝わった気にならないというのだ。まあ殿の考えることなんて、俺にかかれば一から十一まで想像がつく。反対に殿は俺の考えていることはまったく想像ができない。

「殺すことが目的ではない、っていうのはあながち間違っちゃいないだろうが、それは極論ってもんで。……左近がここで殿に、あれこれ言って殿が納得するのは簡単ですが?」

 言う気なんてありやしない。暇をつぶすには考えることがいい。

「俺が他人の意見にホイホイ頷く人間でないことは知っているだろう。お前の言葉を覆してやる勢いだ」

 人間というものは、さまざまなものを取り込んでその品質を向上させる能力を持っている。殿は俺の意見を完膚なきまでに叩きのめすおつもりだろう(まったく)。

「剣士としての強さではなく、人間としての強さのお話じゃないでしょうかねえ。剣士の強さと人間としての強さは決して同じではないことはわかるでしょう。剣によって得た技を剣にのみ使うでなく、日常の様々なことに応用して、より多くの人に利便をもたらす、と」
「ふ……、左近、俺はたった今、初めてお前に勝ったと思ったぞ。人間としての強さだとか、それをあえて剣でする意味がないではないか。なぜ剣を通じる必要があるのか、わかりやすく説明してほしいものだ」
「剣もひとつの道ですよ」
「それも一種の感情論の自己満足だ。人を活かす剣とは言うがな、他人を傷つけることなく相手を屈させるということにはならないだろうか。つまり、剣を抜くことなく相手に負けを認めさせるほどの気迫を身につける。それこそが剣の深奥である。こちらのほうがずっとわかりやすい」
「なるほど」

 そういう考え方も可能か。短時間でよくこれほどお考えになられたと頭でも撫でてやりたいものだ。
 殿は他人の生々しい心の動きには鈍感だが、こうして想像することは得意である。不思議な話ではあるが、こうして机上の空論をこねくり回すのは十八番なのだ。しかし現実には適用できない。そこがもったいない。だがそこも人間らしくて素敵だ。それでいて、他人をいとも簡単に手玉に取れるほどの敏捷さを持っていたら、そら恐ろしくって仕官なんてできやしない。

「感情のままに思い込むなど、自滅しか待ち構えていない」

 そうだ、これが青いんだ。
 殿も今、感情のままに思い込んでいる状態だ。そのことに気付いていないのも感情に溺れているからである。そして最後には、自滅であると。

「ならば殿は、左近が筒井家を飛び出したのも殿へ仕官したのも否定されるおつもりで? 関ヶ原にて果てた左近を『自滅』とおっしゃいますか?」
「……」

 殿は黙り込んで、恨めしげに俺を睨む。こういう顔をしているときは、不満はたっぷりにあるのだが言い返す言葉を持たない場合だ。

「あーあっ、左近には負けた。やっぱり勝てない。確かに、左近の言う人を活かす剣もありうる。別に感情論なんかじゃなかった。ちょっと、言い返す材料がなくて適当に言っただけだ。だが自己満足であるという意見は変えないからな」

 雑草の山に手を伸ばそうとしたら、殿は雑草の山を手ではじきながらのけぞった。自分の負けを認めてむくれているのだ。別に雑草に思い入れはないが、また殿が癇癪でも起こすのだろうか、と少し冷や汗が滲んだ。
 しかし殿は、むしろ清々しい顔つきで桶に手を伸ばした。

「左近には勝てないな。左近ごときに勝てないのだ、家康に勝てなかったのもしかたがない」
「そうですねえ」
「ともかく、『人を活かす剣』、その男がどういう結論を出すのか気になるから、しばらく声はかけないでくれ」

 そう言うなり、殿はまた桶に頭をつっ込んでしまった。
 俺はとりあえず、雑草を埋めなおすことにした。

「覗きもほどほどにしてくださいね」






10/09