何も無いところに立っている。黒い闇、周りはただのっぺりと塗りつぶされた空間。見えるのは俺の姿だけだった。
全てが終わった。俺のやらなくてはならないことは、もうない。
そのとき、誰かに似た背中が目に入った。俺――石田三成だ。その目は、どういう感情を表しているのだろう。たしかに、感情の起伏が弱そうだ。
だが、ひどく弱々しく見える。
「……なぜ、泣いている」
石田三成に問われ、俺は始めて自分が泣いていることを知った。なぜ泣いている?……知らない(わかってはいるけれど)。
「秀吉様が、亡くなったから」
それも、もちろんある。だが、本当に泣いているのはそうではないことに気付いている。
とうとう、模倣が消えてしまうのだ。どんなフォローも無駄だ。必要なければ、捨てるだろう? 邪魔になってしまうのだから。
真実を知るなんて粋がった『俺』もいた。だが、心の奥底でわかっていたはずだ。慶次も知っていたからこそ、『そう言えればいいな』と言ったのだ。
「お前が泣かないから、俺が泣いている」
「そうか」
「お前が笑わないから、俺は笑った。お前が愛さないから、俺は愛した。お前が甘えないから、俺は甘えた。お前が抑制するから、俺は解放した」
都合のいい責任転嫁だ。俺が泣いている理由は、紛れもなく自分の感情からだ。石田三成はなんも関係ない。
「知っているか。俺のいた世界の存在意義を」
「知らないな」
慶次は教えなかったのだろうか。なら、俺が教えるだけだ。
「お前のいた世界の贋製だ。慶次に聞かされていた。だから、俺はこの入れ替えを事前に知り、そしてすべきことを知っていた。お前の世界自体も贋製だ。慶次は六回目のときに知ったと言っていた。今は十四回目」
「どういう意味だ」
よく呑み込めなかったようで、険しい顔で問い返してくる。
俺も知らなかった。知りたくなかった。
「この世界は、延々と循環している。未来に人は爆発的な進歩を遂げ、滅びるそうだ。未来とは不思議なもので、世界を模倣したディオラマを作り、その中へ生きようとしている。この世界は未来の人間が作ったディオラマ。あらゆる可能性に希望を掲げ、様々な未来を作り出している。此度のシナリオは『安土桃山時代・日本・関ヶ原の戦いにて西軍勝利』。そのシナリオで日本はどういった未来へと変わるのか、それを実験している」
「ディオラマ……? シナリオ?」
「ディオラマは箱庭、シナリオは話、脚本という意味だ」
石田三成は、あまり南蛮の言葉に興味がないんだったか。まあ、ディオラマという言葉は南蛮の言葉かどうかは知らない。慶次がそう言っていただけだ。
理解できただろうか? 俺はこのことを全て理解するのに、随分時間を必要とした。そして、直前になってようやく、どれほど無意味で、救いようのないことをしているかを知った。
「毎度ディオラマで実験する時に、替え玉を用意する。どういじろうと人間はそう変わらず、未来もよほどのことがなければ絶対的な力を以てして矯正されてしまう。そこで違う環境で育てられた人間が使用される。それが俺だ」
「……全く理解できん」
「すでに石田三成は十三回死んでいる。そして次に死んだら十四回目。次は十五回目の生を受けるかもしれない。もしかしたらもう『安土桃山時代・日本・関ヶ原の戦い』のシナリオは使わないかもしれないけれど」
「……」
信じられないだろう?
石田三成自体は十四回目。俺は四回目。しかし数の問題ではない。なにも覚えていないまま十四回同じことをするのと、忘れていることもあったが、思い出したり、覚えている状態で四回同じことをするのでは、圧倒的に密度が違う。
「慶次はこの世界とその模倣の世界を行き来する術を見つけたと言っていた。丁度、お前がそうしたような方法なのだろうが。俺は十年ほど前に聞き、このときを心待ちにしていた」
「楽しいのか? 誰かの手の上で踊らされているということだろう。そのような生、俺は受け入れがたいな」
……そんなこと、石田三成(オリジナル)の思い上がりだ。
俺はどうあがこうと、強制的にディオラマへ送り込まれてしまうのだ! 望もうが、望まなかろうが! なら、望んだほうが得だろう!
「ならば死ねばいい。そのシナリオを既にやったかは知らないが、どうせお前は十四回目の死を経験し、十五回目の生をなにも知らない状態から始めるだけなのだから。今回は偶然知ってしまい、運が無かったとでも思えばいい」
「それは極論だ」
「俺は模倣であろうと、自分の手で人間の未来を左右できるような好機、今後二度と出会えないと思っている。だからこそ楽しんだ。『石田三成』という人間が主役のシナリオなど、今後どれほどあるかもわからない」
ああ、楽しんださ。なにも知らなかったときは。
「そのようなことに喜ぶなど、ばかばかしい。子供か?」
「子供だよ。俺は、『石田三成が横柄者ではない場合』をシュミレーションするための存在だったから。お前にないものを全て持っている。少し、お前が気付いてしまうのが早かったから至らない部分も多いだろうけれど」
「なぜそれを俺に言った。それを知ったならば、俺はそれに抗おうとするかもしれないのに」
なぜ、言った?……言う必要はなかったかもしれない。
『抗う』?
……そうか。俺は、石田三成に、足掻いてほしかったのかもしれない。『俺』を利用して強制的に創られた未来を、壊してほしいのかもしれない(そんなことをしたら、また俺は、同じことをしなくてはならないのかもしれないけれど)。
「……俺はお前にないものを全て持っている。たかが模倣の俺がだ。それが妙におかしくてな。一つくらい、共有してみたかった。俺はお前のことをあまり知らない。ただ俺の持っていないものを持っている人間だとしか知らない。だが俺の持っていないものが自分ではわからない。わからないものを考えるのはいつかできる。今出来ることは共有することだ」
怖い。
未来を壊してほしいと思いながらも、また同じことを繰り返さなくてはならないという可能性が、怖い。だから本当のことを言えない。……臆病だ。この臆病さは、石田三成が持っていないから俺は持っているのか?
「……もう一つ、共有しているものがある」
「なにを?」
「多分……、人を、特別な感情で見るということだ。好意的な意味で」
「それは、よかったな」
遠まわしな言い方だが、石田三成らしいのかもしれない。石田三成もまた、模倣の世界でなにかを体験したのだろう。
「人間は常に何かに従属している。抗うこともたまには必要かもしれない。だがそれをするのはこのディオラマの外にいる人間たちだ。俺たちが足掻いたところで、壁があるだけだ」
「俺は諦めない。たとえ何度死のうが、この世界を作った人間になど屈しない。それがせめてもの反抗だ」
「……お前は俺にないものを持ち、俺はお前にないものを持っている」
物理的にも精神的にも、俺にはできないことを平然と言ってのける。羨ましい、羨ましい。
必要とされている世界の人間。必要とされない世界の人間。同じ顔をしているのに、耳と尾が俺にあるだけだというのに、これほど違う。外の人間の期待を一身に背負った石田三成、ほんの一時だけ表舞台に立った俺。……あまりに、違いすぎる。
手を差し伸べると、石田三成も鏡のように手を差し出した。触れたい、俺と彼は同じ人間だと、知りたい。
けれど、目に見えない、透明の壁がある。後少しで触れる、というところで波紋が広がる。
そう、違う世界の人間。俺は、もう生きている人間ですらなくなる。
「さよなら。結果がどうなるか、俺が知ることはないけれど」
『笑えや』
慶次の声だ。ああ、俺は笑っているとも。
「ああ……、そちらの左近に世話になったと伝えておいてくれ」
「……わかった」
さようなら、俺とそっくりな人間。
『俺は生きたい! 模倣の世界で、皆と、生きたい!』
さようなら、ばかな俺。
Good night
09/16