『あなたは水に浸し続けた木のようだ。まるで、なにも考えていない。ただ、目の前に差し出されるはずのものを得るために、それをこなそうとしている。あなたはそれでいいかもしれない。外の人間とやらもそれでいいかもしれない。だが、この世界に生きる人たちは? あなたは自分のことばかりだ』

『自分が模倣の世界に帰るためだけに、動いている。帰れるかなんてわからないのに。……あなたの置かれた状況がどれほどつらいものか、左近には想像しかねます。心無い言葉を言ったかもしれません。ですが、あなたはもっと考えて、ご自分の立場を振り返るべきです』

『考えるんだ。考えても解決なんてしない。だが、考えるんだ。考えることを放棄したら、あなたはただの傀儡にしかなりえない。それはあなたが望んでいることか? 違うだろう。あなたは自分の意志を欲している。権利を欲している。外の人間になすがままに、消されてしまうことを恐れている。ならば、あなたはまず考え、自分を確立させなくてはならない。それがなにかの解決になるか? いいや、それは知らない。それでも傀儡になりたくないのならば、考えるべきだ』


左近の声が突き刺さる。

暑い日の夜中、蝉の音すら聞こえない静まった部屋で秀吉様は往生を遂げた。

俺はようやく、事の重大さを知った。
ディオラマと模倣は紙一重。きっと、模倣の、俺が本当にお世話になった秀吉様も逝去されたのだ。時間がない、という言葉の意味はこういうことだったのだろうか。何もしなくていい、いつも通りにしていればいいという言葉で俺は考えることを放棄していた。
本当に、俺は都合の良いカイライだった。
秀吉様は密葬となった。朝鮮側への影響がどうだ、とか誰かが言っていた。俺はなにも言えなかった。ただ、情けない自分に泣いていることしかできなかった。


『不変のものなんてない。鯉だって学習する。ほら、餌が無いと知るや散ってゆく。お前は、俺に触れたいのか?』


変わるのが、少し遅すぎたんだ。学習するのが遅かった。俺に触れたのは、熱を持たない秀吉様の手。


朝鮮からの撤兵は、俺が担当することになっていた。今の俺に、それほどのことをこなせるのだろうか。……無理だ。今はただ、何も考えずに泣いていたい。泣いたって意味がないと言われても、泣くことしかできない。
それでもやらなくてはならないのだ。左近に助けてもらいながら、徐々に帰ってくる兵たちを眺めた。


「殿……、目が腫れています」
「こんなときに、体裁など気にしていられるか! 秀吉様が……、秀吉様が、もうこの世にはいないのだ。もう、俺を褒めることもしない、頼りにしてくださることもない、笑顔も、機嫌の悪い顔も、悲しそうな顔も、見ることができないのだ……」


そして、死に目にも会わなかった。
ディオラマの秀吉様と、模倣の秀吉様は別人だ。俺が見たのは、秀吉様であることはそうだが、俺の知る秀吉様ではないのだ。
きっと、石田三成だってそのことを薄々感じ取っている。俺が泣くのは、きっと、石田三成が泣かないからだ。俺は石田三成とは違う人間、石田三成にないものを補うための人間だからだ。
俺が考えずに、カイライとして生きたからこうなったのか? それとも、これが正解のシナリオなのか?……あんまりだ! 俺も、石田三成も、悲しいだけではないか。


「……そう、ですね」
「あ……、すまない、取り乱した……」


ああ、こんなことがあっていいのだろうか!

“俺はなにをしたらいい”? 今、この瞬間にも“いつも通り”に?
……知っている。俺は、西軍勝利のシナリオを完成させなくてはならない。秀吉様がお亡くなりになって、ようやく始まるのだ。……そんなことに今さら気付くなんて! だからこそ、俺は都合が良かったのだ。シナリオを進めるために、妨げになる妙なことを考えないからこそ。
今さら考えたところで、なにが変わるという?
模倣が消えてしまうかもしれないという可能性や、秀吉様の死は変わりなどしない。ここへ来てシナリオに対し足掻いてどうするのだ。……俺は、シナリオを終わらせ、一刻も早く模倣へ戻り、秀吉様の墓を参りたい(模倣が、あればの話だ)。
『俺』が今さら足掻いても、しかたがないのだ。……何度やり直しても、同じなのだ。
渡海し、帰ってくる兵たちすべてに声をかけることはできない。特に疲労のひどいものには肩を貸し、岩へ寄りかからせる。俺一人がこんなことをしたところで、疲れが癒えるものではないとわかっている。だが、負担するものがほんの少しだが、軽減するはずだ。
そうしているうちに、その場に獣のような咆哮が響き渡った(どこかで聞き覚えがある)。


「きよ、まさ……!」


振り返ると、大粒の涙をこぼした清正が、行長の手を振り払いながらやってきた。秀吉様の訃報を聞いたのだろう。
……。
清正は俺の姿を見つけるなり大股で俺に近寄り、般若のような形相で俺に掴みかかった。


「三成、わしを笑うか! 秀吉様からの信頼も取り戻せぬまま、死に目にも会えず、泣くことしか出来ぬわしを笑うか!」
「わ、笑うものか!」


なぜ、俺が怒鳴られているのだろう(仲が悪いからって?)。
行長は今にも俺に振り下ろされそうな拳を必死に押さえ、左近は眉間に深くしわを刻んで近寄ってくる。


「笑えるわけがないだろう、秀吉様が……もうこの世にいないというのに! お前だって、わかるだろう?……秀吉様に、たくさん愛してもらえたのは俺たちだ。いや、俺よりも清正や正則のほうがたくさん愛してもらえたはずだ。それでも、俺には充分すぎるほど愛していただいた。その俺が、笑えると思うか! この顔が笑っているように見えるのならば、お前の目など必要ない!」


悔しい。
俺のことを知らないくせに、俺のことを知ったような口を利く清正に腹が立つ。俺の苦労など知らずに、俺の憎まれ口を叩く唇が憎い。
……でも、俺も清正の苦労を知っているわけではないのだ。


「秀吉様が亡くなったばかりだというのに、もう、大名は不審な動きをしている……。家康に、媚びる人間がいる。悔しい、悔しいのだ! 秀吉様に愛してもらえたぶん、みんな秀吉様を愛していいはずなのに!」


なにをしたらいいのかわからない自分も悔しい。
なにも考えていなかった自分が悔しい。
清正に辛くあたってしまう自分が悔しい。
そう考えると、目頭が熱を持ち、視界が霞んできた。




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