最後まで正則に変な顔をされたが、まあ正則もそれほどケンカ腰ではなかったということで確かな手ごたえを感じた。
今までの俺が失敗したことを、俺は成功させたのだ。特別なことなどせずに、な。そういう優越感があり、俺は多いに満足した。どれほど前の俺が苦労したのか、たまに聞こえる声だけでも想像できない。ものすごい、葛藤だ。けれど今の俺が考えることが必要なことは特別にない(今のところは)。
自室で鼻歌を歌っていると、襖の向こうから足音が近寄ってくる。歩き方が左近と同じだ(ふむ。同じなのか)。声をかけられる前に「どーぞ」と言ってやった。すると、奇妙な顔をした左近が現れる。


「正則なら今さっき帰ったぞ」
「はあ……、殿、どういった風の吹き回しで……」
「なに。豊臣の内部で不毛な衝突などしていられんとな」


左近にこんな顔されるなんて、よほど仲が悪いのだろうな。でも話した感じでは、そこまでいがみ合っているという印象はなかった。きっと、皆がそう思い込みすぎているだけなんだろう。


「……殿、もしや……」
「なんだ?」
「……いえ、なんでもありません」
「変な左近。言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろう。ガマンは体によくないと思うぞ。お前も年だからなあ」


年とは誰もが必ず取るものだ。近頃俺も年を取ったと感じることが多くなった。どこかの山奥にでも行ってのんびりしたいものだが、まだまだ秀吉様のお傍でお役に立ちたいという気持ちのほうが強い。


『……で、その役目を終えた場合、ディオラマのシナリオは無事に成功する。そのとき、模倣は今後必要になるか?』


「年、ですか。そうですねえ、もう数えていくつになるんだか、覚えちゃおりませんよ。……殿?……殿ー?」
「へっ……? あ、ああ、そうだな。俺も自分の年なんて数えていない」


役目を終えたとき、ディオラマのシナリオは成功する。そうしたら、模倣は必要なくなる……?
まさか、そんな、ばかな。だってディオラマのシナリオなんて、何通りもあるから、そのうちのひとつくらいにまた使うかもしれないだろう? そういうことだって考えられるだろう?
なんで左近がこんなことを言った?……どうしてこんなに、地を這うような声で俺に言った?


『だ……、だっておかしいではないか! 帰るべき世界があると信じることはちっとも不自然なんかじゃない、むしろ、誰だってそう思っている、当然のことだ!』


そうだ、その通りだ。
帰るべき世界は絶対にあるものだ。今はこうして、外の人間がちょちょっと俺を利用しているからここにいるだけで、やることをやったら俺は元の世界に戻るだけだ。だって、俺は生きているんだから。


「殿、顔色が優れませんが」
『少し酷かもしれませんがね、模倣の世界は必要ないんですよ。外の人間とやらがその模倣を維持するのにどれほど手をかけているのか知りませんが、面倒ならばさっさと手放すでしょう。このディオラマを面倒見るので充分だ。そしてまたシナリオを変えたければそれに応じた新しい模倣を作るだけだ。あなたは帰る場所があるのかないのか? そんなあいまいなものを目標にして、なにを達成できるのですか?』


左近の声が被る。目の前の左近はほんのちょっとしか喋っていないはずなのに、声は延々と聞こえてくる。

誰か、誰か止めてくれ、この声を!
これは失敗作の記憶だ! 同じことを考えればまた破滅へと向かってしまう!
『俺』は『五度目の俺が成功し、元の世界へ戻る』ことは望まない! 『今の俺』が成功し、元の世界へ戻りたいのだ!
いやだ、失敗はしたくない、もう失敗はしたくない!


「殿!」


鋭い左近の声が俺を現実へ連れ戻す。
いつのまにか俺は耳を塞いでいたらしく、左近の手が強く俺の手首を掴んでいる。相当強く掴んでいるようで、指先が圧迫され、ひんやりとしてきたことに気付く。
左近の顔を見上げると、今まで見たこともないほど険しい表情を浮かべ、俺を見下ろしている。


「あ、ありがとう、左近」
「いえ……。殿、物事には限度がありますからね。働きすぎも考えすぎも然り。少しお休みなさいな。なんなら添い寝でもしましょうかね?」


冗談めかして左近は言う。だが、俺はそこで頷いた。
石田三成が、人肌を嫌っているというのは知っている。けれど、ひとりで眠るのは怖い。


「……おやおや、本当、珍しいこともあるものだ」


ようやく俺の手首を掴む力を弱め、左近はなにを考えているのかよくわからない表情を浮かべた。
尾がないと、感情が少しわからないな。今、初めて不便に思った。


『オリジナルなんて、嫌いだ。嫌い、嫌いだ。俺を信じない左近(オリジナル)なんて嫌い。俺の隣に寝てくれない左近なんて嫌い。俺のことを嫌う人間も、嫌い、みんな嫌い、嫌い! 大嫌いだ! こんな世界なんて、嫌いだ!』


お前は何度目の失敗作? 俺は成功しているよ。
きっと、もうすぐ、悩む必要なんてなくなるさ。




dependence







09/16