『ああ、慶次、今ならお前の気持ちが少しだけわかるような気がする』
『どうして?』
『俺は、覚えている!』
『そりゃあ、オソロイだな』
『次は失敗しないさ。何にも惑わされない。友や愛している者、なにより自分のために、この世界を信じる』







朝だ。

この日を待っていた。普段と変わらない木目、褥、日差し、気温。起き上がり辺りを見回す。いつもとやはり変わらない。違うとしたら文机の上くらいだろうか。適当に散らかしてあったはずだが、几帳面に整頓されている。左近が片付けたということもありうるかもしれないが、俺は知っている。“石田三成が片付けた”のだ。
自分の頭を探り、耳がないことを確認する。そして腰のあたりにも触れ、尾がないことも確認する。
またこの世界へやってきたのだ。“十三度目の世界”へ!(俺自身は“三度目”だが)
次こそ、真実を眼にするために!


……まあ、意気込んだのはいい。しかし、どうしたものかな。左近に告げるか告げないかだ。“一度目のときは”左近に告げるのを後回しにして、結局不信感を買うはめになった。二度目のときはすぐに左近に告げたはいいが、賢しい左近が『そもそもの前提』について言及してきた。……どちらもあまりいい結果にはならなかったが、これは俺の拙さが招いた結論だった。
それにしても、何度も俺に振り回されて左近も大変だな。あまり苦労をかけたくないものだ。ならば最後まで告げずにいるか? “二度”もこの世界を体験したのならば、あらかた勝手はわかるし、どうしたら勝利のシナリオに転ぶかは予想をつけている。それなら別に左近の協力を仰ぐ必要もない。……だが、急速に人柄が変わってしまったら疑われるかもしれない。でもそれは左近にのみ言えることではなくて、すべてにも共通する。誰に対してでも緩やかにその関係を修復することが必要だ。
左近には告げずに、ゆるやかに『石田三成への認識』を改変してゆくか。もしかしたら、『ディオラマの人間に本当のことを伝える』という行動自体がすでに境界線のあちら側なのかもしれない。俺はそのことを知るために“三度”も同じことを経験させられ、記憶を継承しているのだ。
そうと決めたならば揺らぐ必要はない。
蒸し暑さに汗が滲み出る。今日はオフの日だったはずだ。軽装で、まず誰に会うかのんびり考えることにしよう。
汗でしっとりとしている寝巻きを脱ぎ去り、薄地の袖を探すが、なんだかどれも暑苦しい。まあ屋敷の外へ出ないのなら、多少は変な格好をしたっていいだろう。厚地の袖に腕を通し、腕のあたりだけ少し捲り上げる。
そうだ、和平交渉と称して朝鮮へと赴こう。今までにも何度か向かっているし、なにかしら口実をつけて行くことは可能だ。石田三成は朝鮮へ赴いたころがあるのだろうか。そこらへんは知らないな。……まあ、悩んでもしかたないことだ。

さてどういう具合に手配したものか。


中庭へ出て、小さな池の中を覗き込む。餌を撒くふりをすると鯉はわらわら寄ってきて、水面で口をパクパクさせる。おもしろい。


「お魚さんに興味を持ちましたか?」


顔に水が飛んできた。それをこすりながら立ち上がり振り返る。朝から、こんな暑いときからきっかりと着込んだ左近が、口元だけに笑みを浮かべ立っている。


「ああ、左近か。おはよう」
「え、あ、おはようございます」
「魚はおもしろいぞ。餌がないと知ってもまだ集まってくる」


手を大きく振ると、いっそう鯉たちは水しぶきをあげ、水面へ押し寄せる。まだらな白と赤ばかりの水面が少しだけ気持ち悪くも思う。


「そう、思い込んでいますからね。手を差し伸べられれば震える殿と同じようなもんですよ」


石田三成は、左近にすら触れない。そういえばそんな話もあった。どうして避けるのかは知らない。だが、俺は紛れもなく人肌に触れることが好きだ。人肌というものは、どういうわけか安心する。


「不変のものなんてない。鯉だって学習する。ほら、餌が無いと知るや散ってゆく。お前は、俺に触れたいのか?」


一度目も二度目も、戸惑いながらもまんざらではない反応。しかしふと自制心が働き突き放す。
俺の知る左近よりも、ずっと不器用な男だ。ただ、石田三成と違って表を繕うことができるぶん、わかりにくい。二人とも不器用すぎて、うわべだけお互いに言葉を交わしていたのだろう。


「左近は、殿の同志であり、兄であり、家臣ですよ」
「答えになっとらんな。まあいい。朝餉にするぞ」
「はい」


お互いにそれがどれほど不毛なことかを知らない。

……ばかばかしい。
この世界の石田三成と島左近がどうであろうと俺には関わりがないのだ。俺は俺で左近とよろしくしていればいい。それを別の人間に押し付けるなど、迷惑もいいところだ。
それよりも俺が考えるのは、どうやって朝鮮へ向かう口実をつけるか、だ。どれほど急いでも五日は必ずかかる。未だに期限がどれほどあるものかよくわかっていないが、少なくとも二度目のときは随分時間があったと思う。あれくらいはあると見て、できることはなんだろうか。

……清正と正則、か。

秀吉様子飼いの将である俺とあの二人の仲が悪いということは、それだけで豊臣政権が揺らいでしまう。後に関ヶ原で豊臣方が敗北するのも、そもそもの土台がなっていないからだろう。そこを、タヌキが突いてくる。
慶次から聞き出しておいてよかった。一度目も二度目も『西軍勝利』とは言っていたが、どうしてか『なんの戦』かはちっとも考えていなかったのだ。ただ、漠然と『なにかの理由で』戦がおこるとしか。
……二度目のとき、左近がここに言及しなかったのはなぜだろう?……あいつは頭がよく回る。秀吉様の体調のことも察していたし、おおよそ予想をつけていたのだろう。俺はやっぱり、浅はかだったな。




third







09/16