ああ、目が回る。水が欲しい。
近頃暑い日が続いたせいか。目が覚めたら無性に水が欲しくなった。だるい体を起こして周りを見回してみる。けれど左近はいない。もう起きて顔でも洗いに行ったんだな。
戻ってきたら「水!」と叫ぶか。


「……」


しかし、待てども待てども左近はやってこない。おかしいな。いつもならこれくらい待てばひょっこり顔をだしてくれるのだが。なにか問題でもあったのか?
そんな不安と、ノドの渇きが本格的になってきたことで自分から動こうか悩んでいると、足音が聞こえてきた。自分の耳がピーン、と立った感覚……、が、ない。


「あれ? あれ?」


おかしい、おかしい。
怖いやらなにやら。言いようのない緊張のなか、恐る恐る自分の頭上に手を伸ばす。触ってもらうと気持ちいいはずの、あのモコモコの毛の耳が、ない。髪の毛しかない。念のためつむじや後頭部をまさぐったが、見つからない。スカッスカッと空振りしている自分の手がいやにむなしい。


「耳がない!」


いったいどこへ行ってしまったのだ! 俺の耳!
物音が聞こえるし、耳がないということはない。だけど、どこにあるのかわからない。手のひらや着物の中、ふくらはぎや足の指の間を探してみる。それでも見つからない。腰のあたりを触ってみたときに気付いたのだが、尾もなくなっている!
これは、困った!
耳がどこにいってしまったのかわからないので、あちこちを探し回った。畳の目の隙間や、布団の中、枕の下や文机の裏側も。だが、無い。やっぱり体のどこかにあるんだ。けれど体のどこにあるんだ?


「殿、失礼します」
「さっ、さこ!」


声が裏返ってしまった。
左近の声が聞こえるということは、耳があるのは間違いないと思う。
襖がゆっくりと開き、左近が顔を見せる。その左近の頭を見たとき、俺は大声で叫んで失神してしまいたかったが、どうにか堪えた。そんな俺が変に見えたのか、左近は首をかしげている。
お前は、自分に起きた異変に気付いていないというのか!


「どうかされま……」
「左近! お前、耳がないぞ!」
「ええっ?! 嘘でしょう!」


朝っぱらから大声を上げた左近は、顔の側面を手で押さえる。そこになにがあるというのだ。耳があるのは、頭上だ、頭上。
しかし左近にもそんなウッカリな日があるのか。珍しい左近が見れたようで、少しだけ得した気分だ。


「……ありますよ。なーに寝ぼけてるんですか」
「なっ、ないではないか! 俺もないのだ!」


ないものをあるというなんて、どんな芝居だ。
耳がないことは俺がこの目で確認した。だから、『ある』なんて嘘は通用しない。俺を安心させるために、そんな見え透いた嘘をつくやつだったか? いいやそんなこたない。左近が俺に嘘をついたことなんてない。……多分。俺が気付いていないだけかもしれないが。


「……熱でもあるんですかい。耳ならほら、ここにあるでしょう。怖い夢でも見たんですか?」


俺の顔の側面に手を伸ばし、左近はそこにある『なにか』に触れる。引っ張っているのか、痛い。音が妙に近く感じるし、引っ張られると音が聞こえにくい(蝉の鳴き声が遠くなった)。これは、耳なのか?
なんだ? この、変な感覚。全然気持ちよくない。痛いだけではないか。


「これ……、耳?」
「おやおや、なにも知らない赤子のようなことをおっしゃる。左近の耳もこの通り、同じようにありますよ」
「……変な形。なんか、ナスみたい。……あ、でもどこかで見た覚えがあるな」
「……殿、熱でも?」
「ないぞ」


さっきまでのまどろむ雰囲気から、一挙に真剣な空気になった。そんなに変なことを言ったつもりはないのだが。むしろ、左近も俺に同調して「変な形ですよねえ」くらい言ってもいいのではないか。
左近がいやに真面目な顔をして俺のデコと自分のデコを触り比べている。熱があるときは、鼻の頭を触って乾いているか確認するのがいい。耳を触っても、意外とわかるのだ。尾は……、しんなりしていれば元気がないのかな、くらいの目安だからあまり役には立たない。
けれど、どうして、デコ?


「熱は……ないようですな」
「だから、ないと言っているじゃないか。アホは風邪を引かんと言っているくせに」
「誰が」
「左近が」
「いつ!」
「……? だから、お前がこの間、俺が腹出して寝ていたら……」
「誰が腹を出して寝ていたですって!」
「……俺?」
「左近に聞きますか!」


なんか変だな。
左近が妙に距離をとるし(いっつもベッタリのくせに)、耳は変な形だし、左近が俺にしょっちゅう言っていることを覚えていないし、デコを触るし、なによりこの何かを忘れている感覚。
なんだったっかな。
周りの『ふぉろー』がなければ、執務だってひとりでてんてこ舞いな俺だが、なにを忘れているかすぐに気がついた。


これが噂の、ディオラマだ!
この耳は、慶次と同じ形だ。そうだそうだ。どうしてすぐに思い当たらなかったのか自分でも不思議だ。俺はこのときを心待ちにしていたのだ。


慶次、聞こえているか。
とうとうその時がやってきたのだ。俺は存分にこの状況をタンノーしてやろうと思う。




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09/10
(試験的あぷ。もしかしたら修正するかもしれません)