「今日は楽しかったよ。なんだかおもしろい話も聞けたしな。多次元世界か……。そんな世界が本当にあるのならば、別の世界の私はなにをしているのだろうかね」


いや、今とあまり変わりない。
心の中でそっと言っておいた。違うのは、お前が鳥の尾を持っているか否かということだ。


「いきなり変なことを言ってすまなかったな。わざわざ来てもらったのに大したもてなしもできなくてすまなかった」
「いやいや、私が突然やってきてしまったのだから気にするな」


兼続が踵を廻らせると、じゃり、と砂の音がする。
すっかり日が暮れてしまい、灯りもない夜道は深い闇に包まれている。そこまで一緒に行こうとしたのだが兼続に止められてしまった。なんでも最近は物騒だからということだ(まさか俺が闇討ち程度に死ぬとでも思っているのだろうか)。
あまり収穫が無かったことが今回の収穫だ。少なくとも仏教や儒学には関係のないことだということがわかったのだから。そう考えながら兼続の背中を見送っていたら(尾にやはり違和感を覚える)、突然やつは振り返り、無垢な表情のまま口を開いた。


「そういえば、今日の三成はなんだかいつもより、知的だったな。多次元世界というものの話もそうだが、説明が普段よりもうまかったぞ」
「……そ、そうか?」
「島殿が言っていたとおりだ。風邪を引いて頭が良くなったとな。また今度、じっくり話をしてみたい」
「ああ……。俺も、またお前と話したい」


それはこの世界ではなく、元の世界へ戻った後に。また『義』と『不義』について夜通し語り合いたいものだ(あ、俺の尾が揺れている)。
角を曲がってしまい、完全に兼続の姿が見えなくなる。屋敷の中へ戻りながら、頭を痛めた。……この世界の俺は、本当に俺とは違うようだ。あの程度の説明で『うまかった』と言うなんて。俺と同じ姿であほの子の醜態を晒しているのか……、いや、しかし、構わない。この世界の俺はこの世界の俺のものだ。俺が束縛する問題ではない。……少し、嫌ではあるが、割り切ろう。

自室へ戻ると、また新たな解決方法を探さなくてはならないことを思い出す。仏教(ついでに儒学)ではやはり多次元世界なるものの存在など認知されていないようだ。いや、ある種の多(他)次元世界というものは、死後の世界として認知されている。次は基督教……だが、果たしてこれも期待できるほどのことだろうか。基督教もやはり、死後の世界程度の記述しかないのではないか。
過去に俺のような経験をした人間がいるのだろうか。もし、いたとしても、その人間は無事に元の世界へ戻ることができたのか? そしてそれを書物という形に残しているか。遺されていてもそれは俺が見ることができるほど多くに出回っているものなのか。万一それを手にすることができたとして、書いた人間が元の世界へ戻ることができていなかった場合、俺は絶望するか?
俺に求められているのは『元の世界へ戻ろうと足掻くこと』ではなく、『この世界に順応すること』なのか? ならば誰が、何を、俺に求めているのだ。もし俺がこの世界へやってきたのが、誰か、神のような万能の能力を持った人間の意図だとしたら、俺はなにをすればいい。……逆説的に考えてみよう。『俺』が『ここ』でなにかをすることを求められているのではなくて、『この世界にいた俺』が『俺がいた世界』でなにかをすることが求められているというのはどうだろうか。聞くところによると、この世界の俺は俺よりも感情表現が豊かで、俺のように小憎らしい言葉を連ねる人間ではなさそうだ(しかし清正や正則との関係はどうであろうか。知らないが)。だから、『俺がいた世界』の関係修復のために『この世界にいた俺』が必要であった、と。確かに俺は敵ばかり作ってしまい、味方といえる人間は少ない。だが、豊臣家から賜った恩を忘れる人間がそう多くもいるわけがない。天下を狙う可能性があるのは家康のみ。その家康への対策も秀吉様は怠っていない。……そんな政治的な意図はないのかもしれない。単純に、俺が敵を作りやすいから、そんな入れ替えを誰かがしたのかもしれない。

……いや、この仮説はばかばかしすぎて片腹痛い。『誰か』って誰だ。俺はそういう、超自然的現象についてはまったく信じていない(この事態そのものが超自然的現象なのだが)。神の存在などに縋る暇があったら少しでも戦略を考えたり朝鮮に送る船の数でも数えている。この多次元世界の存在を受け入れて神の存在を受け入れない理由がない? 目に見えた現実と目に見えない空想は別物である。そういう飛躍的な思考は好きではない。
そもそも、『この世界の俺』が本当に『俺がいた世界』にいるかどうかすら怪しいものだ(しかし、入れ替えでなければ『この世界の俺』はどこにいることになるのだ。よって、俺は『入れ替え説』を前提にしている)。


「殿、失礼してもよろしいですか?」
「……ああ、かまわんが」


月明かりで薄く浮かび上がる障子の影が、実態となる。笑顔を浮かべた左近が現れる。左近の隣に視線を落とすと、銚子が一つと猪口が二つ、盆に載せられている。
夜、左近、酒。……酔った勢いで押し倒されなければいいのだが……、安易に承諾するのではなかった。この世界の左近が嫌いというわけではない。単純に性行為そのものに嫌悪感があるからだけではない。俺はこの世界の石田三成ではない。だから、そんなことはしたくないのだ(……! この世界の俺が、俺がいた世界でそんなこと、していないだろうな!)。
いつ戻るかもわからない。左近ももう年だ。若くない。我慢できるだろう(いや、してもらおう)。


「おやおや、何を警戒なさってらっしゃる。耳も尾もピーン、って張り詰めてますよ?」
「あ、いや……、なんでもない」
「さっきまでパタパタ尻尾振っていらっしゃったのに。なにか楽しいことでもお考えで?」
「楽しいこと?」


左近が来るまで考えていたことといえば、どうやって元の世界に戻るか、どういう仮定なのか、ということくらいだ。
……俺は多分、楽しんでいる。苛立ちやすっきりしない悶々とした気持ちもあるが、今まで解いたこともないような問題を提示され、楽しんでいるのだ。





錯雑







09/01