たいした情報量でもないのだが、その情報の混雑さがひどいので、一度整理してみようと思う。
まず、俺はある日、なんのきっかけもなく突然獣の耳と尾が生えていた。しかしどうやら、生えたという言葉よりも、“そういう”世界にやってきてしまった、という言葉のほうが正しいようだ。今までの耳も尾もなかった世界とは、言葉にすると稚拙だが、左近の雰囲気が違うのだ。そこで俺はようやく確信することができた。この世界は、俺が今までいた世界とまったくの別物であると。突然変異でもなんでもない、全く別の世界、同じ設定を用いた多次元世界なのだ。

簡単な話、ほとんど同じ世界だが、耳と尾が違う。それだけの世界だ。なぜ、あえて耳と尾があるのかはわからない。もしかしたら性別の逆転した多次元世界や、人間と獣が逆転した多次元世界もありうるのかもしれない。

次に考えるべきことは、きっかけだ。どうしてこのような世界へやってきてしまったのか、それを考えなくてはならない。耳と尾、この二つの存在を確認する直前、俺はなにをしていたか。
……寝ていた。まぬけな話だが、寝て起きたらこうなっていた。きっかけについて、なにもわからない。きっかけがわからなければ元の世界へ戻る方法に、なんの示唆もないということだ。八方塞である。

要約すると、寝ていたら変な世界にやってきていた、ということだ。

ともかく地道にいろいろな方法を探ってゆくしかあるまい。あまり理論的ではないだろうが、宗教関係についても調べてみるしかあるまい。とはいえ、基督教について、俺はあまり詳しくない。加えて伴天連追放令だ。奴隷貿易などを禁止するため程度のものとはいえ、基督教のことを口にすることは憚られる(行長に、会うか?)。
いや、わからないものから手をつけることはない。もっと身近な、仏教から調べてみるしかあるまい。今、朝鮮出兵による補佐で休む暇も多くはない。その合間を縫って調べるしかない。


「いや、待てよ」


その手の宗教に詳しそうな人間がいるではないか。兼続だ。兼続の敬愛する師、上杉謙信公は自らを毘沙門天の生まれ変わりと自負していたではないか。たしか毘沙門天は仏教における四天王のうちのひとつ。ならば兼続も仏教に関して、俺なんかよりも詳しい知識を持っているのではないのだろうか。
そうとなったら兼続だ。俺とあいつの時間が合えばいいのだが、難しいだろう。俺が無理に合わせるしかなさそうだ。
事は急を要する。すぐに筆を取り、なるべく友好的な文を考える。あまり俺がこの世界の人間ではない、ということを感じ取られたくない。話を聞くときも慎重に聞かなくてはならん。



「おや、殿、お手紙ですか?」
「ああ。兼続に、ちょっと」
「相変わらず仲がよろしいことだ。この間返事を受け取ったばかりだというのに、もうお返事ですか」


顕著な違いである。

俺は兼続からの文を受け取った記憶はない。この世界では随分、俺も兼続もまめにやりとりをしているようだ。それほど親しいのならばあまり不審にも思われないかもしれない。だが、俺が目に余るほどのぼろを出せば、この世界での俺に対する兼続の信頼が傾く可能性もある。
絶対に元の世界へ戻る。だから、なるべくここの俺のために波風を立ててはならないのだ。
だから、ここにいたはずの俺も……、待て。
ここの世界にいたはずの俺は、どこにいるのだろうか。おそらく獣の耳も尾もない、俺がいた世界にいるはずだ。あまり変な言動などをしていなければいいのだが。いろんな人間に耳や尾のことを聞きまわっている、なんて失態、犯していないだろうか。
環境は同じでも、全く同じ人間には育たない。だから左近もどこか違うものがあり、左近も俺がいつもと違う、という感想を抱く。その差異が、悪い方へ作用していなければよいのだが……。いつもと違うとは、具体的にどう違うのだろうか。


「左近、さっき俺が『いつもと違う』と言っていたな」
「ええ、殿に『それはお前の主観で偏った意見だ』『お前に俺を決定されたくない』と言われましたがね」
「それでもいい。具体的に、どう違うのだ」
「そうですねえ……」


『どことなく』や『なんとなく』『雰囲気』、その程度の違いであることを望んでいる。そうでなければ、俺はこの世界でその『俺』を演じなくてはならなくなるのだ。今、こうして左近と話していること自体がとんでもない違和感をかもし出しているのならば、なるべくそれを最小限に抑える努力をしなくてはならない。
だが、そこまで決定的に違うのならば左近も流石になにか言うだろう。だから、大丈夫のはずなのだが。


「なんというか、発言が理性的、ですね。そしていちいち手厳しい。あと、あまり使われない言葉をよく使ってらっしゃる。まるで風邪を引いて寝込んだらとても頭がよくなっていた、みたいな。それでもって、感情の起伏が乏しいというか」
「……」


この世界の俺は、少しあほの子らしい。





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08/30
(蛇足:多次元世界理論というものは量子物理学のほうで研究された、20世紀半ば頃のお話。簡単な話、パラレルワールドです。カタカナがあまり使えないので……。よってこの殿は異様なまでに近代的であるということです。私が量子物理学なんて、この言葉の上でも「?」なので出てきません)