何も無いところに立っている。黒い闇、周りはただのっぺりと塗りつぶされた空間。見えるのは俺の姿だけだった。

これはおそらく正解だ。だが、その他の問いに対する答えはなにひとつ出ていない。誰が、なんのために。これを誰かが説明してくれなければ俺はずっと推測し続けるだけだろう。
ふと、背後に視線じみたものを感じ振り返る。そこには俺がいる。鏡ではないことはすぐにわかった。それは、紛れもなくあの世界の俺。俺の顔に深い悲しみを湛えた眼で俺を見据えている。


「……なぜ、泣いている」
「秀吉様が、亡くなったから」


その『俺』には耳と尾がある。自分の頭を触り、耳があるか確かめる。ない。そう、俺たちは元に戻ったのだ。


「お前が泣かないから、俺が泣いている」
「そうか」
「お前が笑わないから、俺は笑った。お前が愛さないから、俺は愛した。お前が甘えないから、俺は甘えた。お前が抑制するから、俺は解放した」


この多次元世界というものは、必ずしも全く関わりがないわけではないような言い分だ。まるで、俺が持ち得ないものを全て持っている存在だ、と言われている。それを羨む気持ちがわずかに現れる。しかし、俺は自分のことを嫌っているわけではない。だから他人を羨む必要はないのだ。たとえ、俺と似たような存在であってもだ。


「知っているか。俺のいた世界の存在意義を」
「知らないな」
「お前のいた世界の贋製だ。慶次に聞かされていた。だから、俺はこの入れ替えを事前に知り、そしてすべきことを知っていた」


似たようなことを、紀之介と共に可能性の一つとして考えていたことを思い出す。俺は知らずのうちに真実に触れかけていた。それは紀之介の手助けがなければありえなかっただろう。


「お前の世界自体も贋製だ。慶次は六回目のときに知ったと言っていた。今は十四回目」
「どういう意味だ」
「この世界は、延々と循環している。未来に人は爆発的な進歩を遂げ、滅びるそうだ。未来とは不思議なもので、世界を模倣したディオラマを作り、その中へ生きようとしている。この世界は未来の人間が作ったディオラマ。あらゆる可能性に希望を掲げ、様々な未来を作り出している。此度のシナリオは『安土桃山時代・日本・関ヶ原の戦いにて西軍勝利』。そのシナリオで日本はどういった未来へと変わるのか、それを実験している」
「ディオラマ……? シナリオ?」
「ディオラマは箱庭、シナリオは話、脚本という意味だ」


この俺と同じ顔をした男がなにを言っているのか、俺にはすぐには理解できなかった。兼続の言っていた現象界、不可視界のほうがよほど易しい問題だ。


「毎度ディオラマで実験する時に、替え玉を用意する。どういじろうと人間はそう変わらず、未来もよほどのことがなければ絶対的な力を以てして矯正されてしまう。そこで違う環境で育てられた人間が使用される。それが俺だ」
「……全く理解できん」
「すでに石田三成は十三回死んでいる。そして次に死んだら十四回目。次は十五回目の生を受けるかもしれない。もしかしたらもう『安土桃山時代・日本・関ヶ原の戦い』のシナリオは使わないかもしれないけれど」
「……」
「慶次はこの世界とその模倣の世界を行き来する術を見つけたと言っていた。丁度、お前がそうしたような方法なのだろうが。俺は十年ほど前に聞き、このときを心待ちにしていた」
「楽しいのか? 誰かの手の上で踊らされているということだろう。そのような生、俺は受け入れがたいな」
「ならば死ねばいい。そのシナリオを既にやったかは知らないが、どうせお前は十四回目の死を経験し、十五回目の生をなにも知らない状態から始めるだけなのだから。今回は偶然知ってしまい、運が無かったとでも思えばいい」
「それは極論だ」
「俺は模倣であろうと、自分の手で人間の未来を左右できるような好機、今後二度と出会えないと思っている。だからこそ楽しんだ。『石田三成』という人間が主役のシナリオなど、今後どれほどあるかもわからない」
「そのようなことに喜ぶなど、ばかばかしい。子供か?」
「子供だよ。俺は、『石田三成が横柄者ではない場合』をシュミレーションするための存在だったから。お前にないものを全て持っている。少し、お前が気付いてしまうのが早かったから至らない部分も多いだろうけれど」


この情況で俺は何を問い、何を答え、何に反証し、何を思考すればいい。

俺の生きる世界は、人間による巨大な箱庭。俺たちはその中であがく意志を持ったお人形さん。しかしその人形の性格では脚本には沿わない。だから別の人形で代替した。舞台から追い出されてしまった人形は舞台へ戻ることを渇望し、自力で這い出てきた……。こういうことなのか。
この世界は現象界ですらありえないというのだろうか。いや、現象界の中に存在する物理的な想念の場だ。だがこの世界の主観に立てば、この世界を作った世界は不可視界。
この世界に、あの世などという他次元世界は存在するのだろうか。あれもまた多次元世界の一種だろう。……俺は死んだら、また同じ生を繰り返すと?


「なぜそれを俺に言った。それを知ったならば、俺はそれに抗おうとするかもしれないのに」
「……俺はお前にないものを全て持っている。たかが模倣の俺がだ。それが妙におかしくてな。一つくらい、共有してみたかった。俺はお前のことをあまり知らない。ただ俺の持っていないものを持っている人間だとしか知らない。だが俺の持っていないものが自分ではわからない。わからないものを考えるのはいつかできる。今出来ることは共有することだ」
「……もう一つ、共有しているものがある」
「なにを?」
「多分……、人を、特別な感情で見るということだ。好意的な意味で」
「それは、よかったな」


目の前にいる俺の姿を見る。どこか嬉しそうに、尾を振り、耳を動かしている。あれが、あの世界にいたときの客観的な俺の姿。


「人間は常に何かに従属している。抗うこともたまには必要かもしれない。だがそれをするのはこのディオラマの外にいる人間たちだ。俺たちが足掻いたところで、壁があるだけだ」
「俺は諦めない。たとえ何度死のうが、この世界を作った人間になど屈しない。それがせめてもの反抗だ」
「……お前は俺にないものを持ち、俺はお前にないものを持っている」


『俺』が手を差し伸べてきた。俺もつられるように手を差し出し、触れ合うかというところまで来たが、波紋が広がるばかりで一向に触れ合った感触はなかった。すでにこの世界とあの世界には仕切りができている。


「さよなら。結果がどうなるか、俺が知ることはないけれど」
「ああ……、そちらの左近に世話になったと伝えておいてくれ」
「……わかった」


恐らく、あの世界が俺の世界の贋製だとして、『俺』を取り替えるためだけに作られたのだとしたら、今を以てその役目は終了した。そのまま人間が放置し存在させておくか、それとも壊してしまうのかは知らない。
それをあの『俺』はうっすらと感じていたのだろう。全てを諦めているかのようにも見える、あの薄ら笑い。


決定された未来になど価値はない。
ただ受諾することしか要求されていない世界であろうと、俺は生き、足掻き続けてやる。





剖析







09/01