清正や正則らと、家康に筆誅すべく筆を取り続ける日が続いた。大名同士の婚姻が目に余ったため、前田殿などにも話をし、どうにか家康を足踏みさせようと尽力している。

左近はそんな俺を見て「まるでなにかにとりつかれているいるようですよ」とだけ言った。

俺は居直ったのだろうか。今さら足掻いても無駄だと知り、あえて時が来るまで出来うる限りのことをしようとしている、のだろうか。自分のことは客観的に観察できないぶん、わからない。
ただ俺はこの世界が悪いものではない、と少しだけ思っている。清正や正則と豊臣家のために協力し合い尽力するという事態が物珍しいだけなのかもしれん。それでも、俺は嬉しいと感じている。もしこれが俺のいた世界ならばどうだっただろうか。二人が家康側につくとは考えられんが、俺と仲良く協力しようなどという流れにはならないだろう。もしかしたら、豊臣の中で対立しているかもしれん。


「少しお休みになられたらいかがですか。太閤様がお亡くなりになられてから、結局あなたは感情を吐露しておられない。お休みにもなられない」
「いや、俺が悲しみだとかに溺れないのは実感が沸かないだけだ。お前は、俺が悲しんでいる姿を見たいとも言いたげだな」


朝鮮撤兵が一段落ついてからというものの、左近はやたらそのことを口にするようになった。いったいどういう気持ちを持っているのか気になり、耳と尾を見るがこれといった動きはない。
最近は耳や尾を注視することが少なくなった。慣れというものがようやく身に沁みてきたのだろう。このまま、この世界へ居座ってしまいそうだとたまに思う。なに一つ動きがないからだ。躍起になってあちこち探し回っていたときも、こうして腰を一箇所に据えていても状況は変わらない。それ以前に今はそういった余裕がほとんど無いに等しい。


「そういう訳では……。ただ、あなたは誰かに言われないと泣きそうにないから」
「誰かに言われても泣きやしない」
「……ねね殿も心配召されているのでは?」
「……ああ、この間会いに行った。やたらとかわいそう、かわいそうと言われて抱きしめられた。おねね様こそ誰かの体温を欲していたのだろうな」
「触れられても平気だったのですか?」
「……ん?……そう、みたいだ。そういえば、抱きしめられたな。……気付かなかったな」
「あなたは、今、自分のことが全く見えていないのでしょうな。人との触れ合いに抵抗がなくなるのはいいのでしょうけれども、その情況でなにができるのでしょうね」
「……」


変だ。

まるで俺の体が、俺のものではないような違和感。まったく気付いていなかったが、俺は他人が近くにいることを意識しなくなっている(以前ならば、友と呼んだ人間くらいしか)。
これは、俺のこの恐怖感が払拭されつつあるという暗示か?……なぜ、俺はなにもしていないのに。特別に誰かと歩み寄ろうと努力したわけではない(したいという願望は持っていたが)。なのに、なぜ、突然に?
……。


「あっ、ちょ、殿?」


白い陶器の花瓶が俺の面を映す。まるで表情の失せた能面のような俺の面はよく知っているものだが、頭上には耳が毛を逆立たせている。少し離れ、左近が小さく映っている。顔は確認できないが、耳はぴこぴこと動いている。

これがなければ、俺はこんな理不尽な状況下に置かれることはなかった。この耳と尾がなければ。
なぜあるがままの姿にしておかない。なぜ『もしも』を考える。なぜ人の赴くままの事象では満足しない。
花瓶の中に映る俺が、俺とは違う瞬間に瞬きをする。俺とは違う表情をしている。俺は笑ってなどいないのに、あの中の俺は笑っている。
そうか、『お前』も今、この座敷に存在し、この花瓶を眺めているのか。これほどに近いところに、答えがあったのだね。


「殿! なにを……!」
「はっ、放せ!……これがっ、これが答えだ!」
「なんの!」
「この世で最も難しい問いに対する答えだ!」



からくりで作られた神よ、俺はお前を心から愛そう。
人から信頼されることは難しい。しかし人を信頼することも難しい。
体温を憎み他者を拒絶した上での信頼関係など結ばれない。
紋切型に生きることを望むば踏み入った関係も生まれない。
怒りに関しての激情家である俺は悲しみを知らないわけではない。
世界は多数に存在する。それはおそらく並行に進んでいる。
世界ごとに人は違う生き方をしている。
獣の耳と尾を持った世界では、感情を抑制することが奇異。
感情に囚われていないと自負しながらその感情に囚われた俺は答えに気付くのが遅すぎた。一度流れた時は元に戻らないものだ。


未来を意のままにしようとする絶対的な力を持った、何かが存在する。
介入のない本来の姿の未来がどのようなものかは知らないが、腹が立つのでなるべくそれを捻じ曲げてやりたい。
『俺』も『お前』も、とんだ苦労人だ。



左近を振り払い花瓶を持ち上げた俺は、力いっぱいそれを床へ叩きつけた。破片が飛び散るさまを見ることなく俺は睡魔に襲われ、諦めた。





顕現







09/01