朝鮮退陣の手配を続け、戻ってくる兵たちの報告に耳を傾ける傍ら、秀吉様の墓前に立ち、確かな実感を得ようと努力する日々を過ごした。大きな誤差もなく、そろそろ完全に退陣しようとしている。
彼らの疲弊しきっている表情に、追い討ちをかけるかのごとく秀吉様の訃報を知らせることを傷ましく思う感情が少し麻痺してきた。訃報を告げるたびに、俺は実感を失ってゆく。本当にご逝去されてしまったのかわからなくなる。嘘でも口にし続ければ、そう思い続ければ本当にそれが真実のように思えてくるように、ずっとそう思い続けていたが、まるで逆効果だった。

砂利を静かに踏みしめる音がする。


「朝鮮から多くの兵が帰ってきたってね。ああ、清正殿も戻ったようだよ。君は清正殿と仲が良くなかったんだっけ?」
「そうだ。しかしわかっている。この世界の俺は清正と至極友好な関係であると。今から出迎えに行ってくる」
「うん。そうしたほうがいい」


紀之介はそう言い、すぐにその場を去っていった。俺の様子見を兼ね、清正のことを言いにきたのだろう。大丈夫だ、言われなくとも俺は悲しみに打ちひしがれてはいないし、清正のことを無視するつもりはない。
俺の、こういう感情の運び方が他人にはおもしろくないのだろう。もしこの世界ではなく、元の世界での出来事だったら、秀吉様がお亡くなりになったというのに平然としている、と憎まれ口を叩かれるに違いない。しかし、この世界ではそうは思われなかったようだ。皆、俺が悲しんでいると思い込んでいるようだ。その喪失を実感することができず、ただ無心に職務に没頭していると。

誰もが感情をわかりやすく表現している。耳や尾は当然のこと、表情にすら浮かべている。この世界では、自分に重くのしかかる情況を他人へ晒すことを厭わない。皆、こっそりと一人で哀しむのではなく、大勢でそれを分かち合う。
哀しんでいないわけではない。考えることが多すぎるせいか、なにをどう反応していいかわからない。
並行する世界、秀吉様の逝去、なにも動きを見せてくれない慶次、どうやって戻ればいいのかわからず、いつに戻れるかもわらかぬ、左近ともある程度は会話するがどう接していいのかわからない。俺は主従以上の意味で左近に好意を寄せている。だが、それはこの世界の左近ではない、はずだ。同じ声、同じ顔、同じ表情、同じ腕のあいつと、どう接したらいい(恐らく左近も同じような心境だろうが)。
今自分にできることから、地道にこなすしかあるまい。それしか術がないと信じ、清正へ会うため墓前から離れた。




「秀吉様の訃報を聞いたか」
「……まことしやかに噂されとった。わしは、秀吉様の死に目にあえなんだ」


秀吉様の位牌を前に、虎の耳と尾を持った清正は頭を垂れ深い悲しみをあらわにしていた。俺につっかかってこない清正を見るのは初めてに近いかもしれない。いつも清正や正則は俺を見ると憎まれ口を叩く(そして俺は言い返す)。


「三成も、大変じゃったな。これほどの大軍を撤兵させるなど」
「……あ、ああ」


労わりの言葉をかけられ、思わず言葉を失ってしまった。清正が、俺に、労わりの言葉という組み合わせでなければこれほど心臓が止まりそうになることもあるまい。罵詈雑言ではなく、優しさから生まれた言葉でこれほど冷や汗をかくなど、妙な話だ。
なんと返したらよいのやら、ひたすらに押し黙っていた俺を不審に思ったのか清正は俺の顔を覗き込み、両の頬をパン、と叩いた。


「いづっ……」
「そんなシケた顔しとったら秀吉様も哀しまれる。わしらは豊家安泰のために尽力することをよもや忘れたわけではあるまい。若き秀頼様につけ入り天下を掠め取ろうとする者はおるか」
「あ……、え、と……」


見たこともないほどに冷静である。冷静、というよりも兄貴風を吹かせているようだ。俺一人では戸惑うだろうが、自分たちで補い合えば必ず成功する、そういった懐の暖かい雰囲気がある。その間隙(ギャップ)に戸惑い、柄にも無くうろたえてしまった。
俺のいた世界でも、こんな清正だったら苦労はしないのだが。……もし秀吉様がお亡くなりになられていたとき、清正はここまで考えなくとも、感情のあまり俺に難癖をつけてきはしていないだろうか。その場合、『この世界の俺』はひどく混乱しているだろう。あまり他人事には思えない。


「い……、家康が、怪しい。秀吉様の死をきっかけにあからさまに動き始めている。まるで俺たち、豊臣恩顧の大名を挑発でもするかのようだ。おねね様にも露骨に取り入ろうとまでする動きを見せた」
「そうか。やはり家康殿か。くそったわけが!……三成、正則はどう言っておった」
「いや……、まだ会っていない」
「そうか。ならわしが直々に会いにゆこう。それと、秀吉様の墓にも」
「あ、案内する」


慣れないものだ。





清正







09/01