我が大君天知らさむと思はねば
おほにぞ見ける和束そま山
秀吉様が、こんなにも早くご逝去されてしまうとは想像もつかなかった。いつか来るとわかっていたのに、いざ現実を目の前にすると『まさか』と駄々をこねる。
俺はなにをしていたのだろうか。
朝鮮へ行っている兵たちに動揺を与えぬよう、秀吉様は密葬にすることに決まった。このことは五奉行のみで実行するとの表面上の口約束は恐らく果たされないだろう。誰かが必ず家康へ告げるはずだ(そして目に見えない功を褒めてとねだる)。
まるで枯寂を嘆くように雨が降っている。
あれほど煌びやかであった人が、じっとりとした雨の中密葬される姿、実感がない。これは、世界が違うからなのだろうか。俺の知る秀吉様ではないからなのだろうか。それとも、世界が並行していると確信できないから、もしかしたら、俺のいた世界の秀吉様は生きているかもしれないと、希望的観測をしているからか。
この世界の秀吉様は死んだ。その葬儀にこの世界の俺は立ち会えなかった。俺は結局なにもできなかったのだ。
感傷に浸る暇はない。悲しみに呑み込まれることが悪とは言わない。愚かとも言わない。だが、それをしている暇などないだけだ。
「殿、お気を確かに」
「俺はお前の殿ではない。朝鮮からの退陣、大仕事だ。多くの船を手配しなくてはならん。朝鮮から退却するよう急使を送らなくては」
「……はい」
左近は俺をどう思っただろうか。
哀しみの片鱗をちらりとも見せず、淡々とことを運ぶ姿に怜悧と、横柄と言われる由縁を見ただろうか。俺が本当に別人であることを再確認しただろうか。まるで血の通っていない人間だと感じただろうか。
……かまわん。
いかに俺がこの世界で信頼を築こうと努力しようが、他人にそれが伝わらなければ意味がない。だがこれが俺の出来うる最善の努力である。それを知らない人間など、必要ない(精一杯の虚勢)。
「尾も、耳も、まるで体温を求めるように、抱きしめてくれとでも言いたげに震え、地を向いています。表情だけを見ればきっとわかりにくいでしょう。しかし、その尾と耳はどこまでも自由に、素直だ。あなたは感情を抑制しなくてはならないという束縛を勝手に自分に科している」
「今は感情を吐露すべきときではない。異国の地にて、秀吉様の死に目にもあえず、未だ知らず信じ続け戦う者たちに真実を教えるべきだ」
「……それが済んでもあなたは感情を束縛し続けそうに、思います」
「ふ……、大した観察眼だ。しかし誤りをひとつ挙げよう。俺は吐露するほど感情を持ち合わせていない。怒りと敬慕の念くらいだ、持っているものは」
「人が自分の特徴を挙げるとき、そう思い込んでいることが多い。あるいはそれが理想の姿。……あなたはそれを理想としているようには見えない」
俺はなにも変わっていない。
多くのことを知ったが結局なにも変わっていない。自分の姿に囚われ、まるでそれは永久に変わらぬ不変のものであるかのように扱う。
何度も、色々な角度から自分を見つめ、変わろうとする。だが、なにも変わらない。変わらないのは俺がそれに囚われているからだ。変わることで今の俺が消えてしまうことを恐れている。俺は確かに一個体として持続し存在するはずだ。それでも俺は今の自分が消えてしまいそうに思う。
「……人というものは一朝一夕に変わるものではない」
「殿は一朝一夕で別人になられましたが?」
「それもそうだな……。いや、今はまず朝鮮のことだ。俺は急使の手配をする」
「では左近は船の計算でもしてきますね」
「それはもう済んでいる。これにあらかた必要なものを書き留めてある。なるべく急ぎ手配してくれ」
「おや……、仕事が早い」
驚き、感心するような表情を見せる左近が妙におかしく、俺はすぐにその場を立ち去った。
あの反応は、『この世界の俺らしくない』ということだ。もしこの世界と俺のいた世界が並行し存在するのならば、もし同じように秀吉様がご逝去されているというのならば、『この世界の俺』はあの世界で、どうしているというのだろう。こうして、朝鮮退陣のことなど、考えてもいないというのか(本当は、そうすることができたらどれほどいいかと羨んでいる)。
この世界の俺は誰かに、左近に真実を伝えたのだろうか。至らない部分を左近が補ってくれているのだろうか。……いや、心配すべきことではない。信じなくてはならん。どれほど気に病もうが気にしまいが事実は一つ、現在も進行して変えられない出来事なのだ。
御哭
09/01
(最初のあれは、大伴家持さんの挽歌です)