「恐らく並行し存在する多次元世界。俺はそう認識している。この世界は一つの次元にしか過ぎない。俺の存在した世界も一つの次元だ。俺はこの二つしか知らないが、まだ多くの次元が存在する可能性がある。だから多次元世界と呼んでいる。おれは獣の耳も尾もない世界から来た石田三成だ。話に聞くとこの世界の俺とは性格が随分異なると知り、似通った別の世界が存在すると考えたのだ」
「そんな、宗教の世界のような話を、ね」
「いきなり信じろなどと言っても無駄なことは知っている。俺とてこんな状態になければ毛の先ほども信じないだろう」


畳に出来た細長い穴に指を入れたり出したりとを繰り返しながら、ようやく告げたいことを告げられたと安心する。左近が信じるかどうかはまだわからないが、俺はやれるだけのことをしたつもりだ。
左近の様子を窺い見ると、首をゴキゴキ鳴らしながら眉間に深いしわを刻んでいる。尾を見てみると、ゆっくりと左右に揺れ、それが妙に悩ましげである。恐らく、考えているのだろう。


「慶次に会った。慶次は俺がこの世界の人間ではないことを知っているような発言をした。そしてどうやって戻るのか問い質したが『俺は知らない。ただ知っているだけだ』としか言わない。なにを知っているのかと問うと『今のお前には言えない』と返された。俺は元の世界へ戻る術を、これっぽっちも持ってはいない。そして『この世界の俺』が『俺のいた世界』で何をしているのか、まったく知らない」
「……ま、仮にあんたの話を信じたとしよう。どうしてそんなことをする必要がある? そして、どうしてそんな妄言とも思えるそれを信じる?」
「前者は……俺も知らない。だが、紀之介と話し合って……、ああ、紀之介は俺が話して、少し相談に乗ってもらっていた。話し合ってたどりついた一つの仮説がある。『未来の改竄』……、『この世界の俺』と『俺』の違いから改竄できるようなことがどの程度の未来なのかは知らないが、この時期に取り替えられたということは、秀吉様の死をきっかけにして動き出すであろう、家康が関連しているかもしれない。つまり、豊臣の天下を守ろうとする動きに、俺が深く関わっている可能性がある」
「へえ。なんだか、架空のお話みたいだな?」
「現実だ。後者だが……、これは『俺が実際にその状況にあるからだ』としか言いようがない。それ以外になんと説明したら納得する?」
「全部妄想でした」
「……俺もそうであったならばよほど気が楽だ」


やはり左近は疑ってかかってくる。これが当然の反応だ。紀之介や兼続はやはり特別だったのだ(兼続には言ってはいないが、そのようなことをほのめかしていた)。


「……ともかく、俺は言うことは言った。『この世界の俺』が戻ってきたときのために、『俺』の勝手でお前との関係を崩してしまいたくなかっただけだ。信じろと強制はしない。だが、元に戻ったら、何事も無かったように接してくれれば……」
「それって、結局信じろって話じゃないかねえ」
「……俺にどうしろと言うのだ」


もう考えることも疲れてしまった。言い訳を募ることも疲れてしまった。説明にも疲れてしまった。
俺はただ、決定された死を静かに待つ秀吉様のお傍に立ちたい。この世界の秀吉様ではなくて、元の世界の秀吉様。何度考えたかわからない。だが、俺にはそれしかない。それだけを一心に願う。
左近が身を乗り出し、突然俺の腕を掴み強い力で引き寄せた。顔がうまく認識できないほどに近寄り、どういう状況になってしまったのかわからなくなった。ただ、掴まれた腕を見ている。


「どうしてあんたは人を怖がっているのか?」
「怖がってなど、いない」
「いいや、その目は恐怖だ。人を怖がっているのか? それとも、元の世界とやらに戻れないことが怖い? もしくは、俺が怖いのか?」
「知らないな」
「あんたの目には、怜悧さや横柄さなんてちっともない。ただ、恐怖している目だ」
「知らん!」
「俺に目を合わせない。俺の顔を泣きそうな顔で見ている。腕を掴んだだけで震えている。殺されることを危惧しているのではない。他人を恐れている。俺が抱きしめたときもそうだ。あんたは尋常ではないほどに激昂し、震えた。あんたは他人との膚の触れ合いができない。快楽が怖いんだ。情欲に溺れることを嫌悪している。他人さえいなければ自分はもっと楽に生きられる、他人さえいなければ自分はこんな思いをしない、他人さえいなければ俺は感情に惑溺することもない……」
「そんなことは今の話に関係ない」
「関係? あるさ。あんたと『殿』の違いを述べているだけだ。……演技をするときはバレてからのことだけじゃなくて、根本的なところからもっと勉強してからにするんだな。あと、嘘もだ」


人を信じることは想像以上に難しい。
それがどれほどに近しい人間であろうと、関わりの薄い人間であろうと。しかし、近しい人間であるほど、一度不信感を与えてしまえば修復は難しいのかもしれない。


「あんたは、結局誰なんだ」
「俺は、石田三成だ」
「殿をどこへやった」
「俺の、体にいるだろう」
「あんたの体はどこにある」
「……多次元世界」
「……さよならの時間だな」


突き飛ばされ、刀の切っ先が向けられる。
信じることをしなかった。だから信じられなかった。決定的な溝が生まれる前に俺が真実を述べていればこんなことにはならなかっただろう。無闇な混乱を招く必要は無い、良かれと思って及んだ行為、そしてすぐにでも戻れるだろうという楽観的な感情。
もし輪廻転生というものがあるのならば、俺はもっと、素直に感情を表現できる『この世界の俺』のような人間になりたいと願う。
今さら気付いたのだ。
左近に嫌われることを恐れ、真実を告げられなかった。左近のことをおそらく、主従である以上に思っていたからだ。
兼続や紀之介に告げることへのわずかな反撥よりも強い反撥や、執拗に言葉を紡ぎ続け言い訳を重ね、そして今、絶望している。
我ながら陳腐な感情と言い訳、そして愚かだと思う。あれほど言葉を紡ぎ、結局そういう落ちなのだ。





淋漓







09/01