「断りなく勝手な真似をしたことをまず謝ります」
「……俺の顔など見たくないのはわかるが、公私混同はしないでくれ」


ここへ来て、こんな意地を張る自分を情けなく思う。


「北庵北印に、殿から聞きました秀吉様の容態を内密に伝え、予測されるであろう死期を割り出しておりました」
「……そうか」
「遅くともひと月以内。続く猛暑により衰弱が進行すれば、もっと早まる可能性もあると」


指先がちりちりと痺れる。
ひと月、それはまだ先のことだと捉えるべきだろうか。……いや、もうすぐそこに迫っている。そして、さらに近くに迫ることもありうる、と。
俺はもしや、このままこの世界に留まる目に遭うのだろうか。もし本当に『未来の改竄』を求められているのだとしたら、俺はずっとここにいなくてはならない可能性もある。もし戻れたとしても、ずっと、ずっと先の話かもしれない。
慶次は、誰がこんなことをしているのかも知らないのか。それとも、知っているのか……。
違う。今は目の前の左近だ。万一にも、今この瞬間に元の世界に戻されたならば、悔やんでも悔やみきれない感情を残すことになる。


「それは……、わざわざ苦労だった」
「いえ、大したことではありません。では、失礼いたしま……」
「待て」
「……なんでしょうか」


左近の尾も耳もぴくりともしない。いや、俺が呼び止めた瞬間だけ、小さく動いた。どういう感情なのかはわからない。尾や耳があっても俺は人の細やかな感情の動きには鈍感のままだ。
少し前傾に偏った姿勢を正し、顎を引き寄せる。喉も舌も乾いているのだが、しぼるように唾液を飲み込んだ。


「まず、俺はお前に謝らなくてはならない」
「なにを、でしょうか」
「……お前を放り投げたことだ」
「それでしたら……、殿の心情の変化に気付いていなかった私の責任ですから」
「違う」


左近の余所余所しい態度が妙に胸を痛ませる。たかが一度放り投げただけでこうなったのではない。俺が体中から拒絶を滲み出し、挙句に決定的な拒絶をしたからだ。
心音が、左近にも聞こえていそうだ。


「それは、違うのだ。まず始めに伝えておく。俺はお前のことを嫌いだとか思ったことがない」
「……それならば、何故殿は左近を拒む? 単なる家臣として好きだとかそういう答えですか」
「自己完結するな。……勘違いしないで聞いて欲しい。『俺』自身はその通りだ。島左近という男を、口にはしたことがないが、尊敬……している」


静かに左近が口を挟もうとし、それを手で制す。今何かを問われたらこんがらがってしまう。左近は不服そうに口を閉ざし、俯き加減で俺を見やる。


「家臣として、ではなく、一人の人間として尊敬している。俺にはない戦術と武に長け、なにより、その志が美しかったからだ。……だが、俺はその左近すら信頼しきれていなかった」
「左近を?」
「……俺は、お前の知っている『石田三成』ではないことを念頭に置いておいて聞いてほしい。世界というものは一つではなく……」
「ちょ、ちょ、ちょ、待った待った」


あまりもったいぶって、なにか急の用事が入ってしまったらまたすれ違いだ。そう思い先に結論を言ったのだが、左近が待ったをかけた。唖然とした顔で、耳と尾、そして手をばたばたとして俺の口を止めるかのような動きをする。
口を閉ざし、左近を見る。すると頬を掻き、ひとつ唸った。


「……理由なんぞはどうでもいい」
「理由?」
「殿が別の人間だという理由ですよ」


どういうことだ?

理由はどうでもいい、と。この場合理由にあたるのは、『俺』がこの世界にいる理由。つまり、並行して存在する多次元世界のことだ。しかし、これを説明しない限りどうやって信じることができるのだ(いや、説明しても普通は信じないだろうが。紀之介は特別だった)。


「……で、あんたは誰ですかね?」


左近は一度に覇気を背負い、尾や耳の毛を逆立てさせた。先ほどまで借りてきた猫のように静かだったのに、水を得た魚のようだ。
俺の知っている左近は、いつもどことなく疲れたような雰囲気を背負っていて、俺の言うことにもときたま苦笑しながら聞いてくれる、頼りにできる年長者のようなものだった。戦場での左近は確かに鬼と呼ばれ恐れられるような存在で、相応の腕と頭脳、気迫を持っていた。
俺にあからさまな敵意を向けてくることなど、決してなかった。
だが、今、俺の目の前にいる男は、俺を憎しみで殺しそうな目をしている。


「あんたは誰だ。殿をどこへやった」


……お前こそ、誰だ! 誰だ誰だ誰だ!(やはり、お前は、左近では、ない)





奇矯







09/01