おねね様はどうやら猫のようだ。
どうしても慣れないものだから耳と尾に目がいってしまう。そしてその感想ばかり浮かんでくる。俺の勝手な印象ではおねね様は猫よりももっと活発な動物なのだが、俺の印象で耳や尾が決まるわけではない。


「もうお顔を上げても大丈夫だよ」
「失礼します」


畳を向き合いながら耳や尾のことばかり考えてしまった。ゆっくりと体を起こし、おねね様を正面に見据える。耳はぴこぴこ動き、尾はゆっくりと艶かしさすら備えて揺曳する。表情は、見慣れた活発そうな笑みではなく、淑やかな気品のある柔い笑みである。

これが、おねね様?

そこらへんの少女のように活気にあふれ、俺を叱り飛ばしていた人間とは思えない。まるで淀の方のように動作は、艶やかかつ薄く儚げである。繊細。その全てが活けたばかりの花のようで、近寄ることも躊躇うような存在だ。焼け付くような暑さの中でも、それを感じさせない涼やかさ。
猫。多くの野良猫とは違う、気品のある猫そのものだ。
これもまた違う。俺の知っているおねね様ではない。この世界のおねね様だ。俺と同じ状況下にある人間ではない。……まだ秀吉様とおねね様だけだ。他にも人間はたくさんいる。


「体、悪くしたんだってね?」
「申し訳ありません。豊臣家へ尽くすためのこの体であるというのに」
「あらあ? 三成ってば堅苦しいこと言っちゃって。頭も悪くしちゃったのかい?」
「頭も……」


喋ってみると発言自体は俺の知るおねね様なのだが、語調が全く違う。大きく笑い飛ばす雰囲気など微塵もなく、からからと控えめに笑う。薄く炭のひかれた目尻、むら無く施された白粉、薄い桃の唇。化粧(けわい)のことはあまり詳しくないのだが、随分印象が変わるものだ。
不覚にも、おねね様の笑顔に胸が高鳴ってしまった(なぜ!)。


「おや? あたしに会えて嬉しいのかい?」
「え?」


笑みを浮かべているのか、口元を袖で隠しながらもおねね様は俺の尾を指差した。くすくすという笑い声が妙に頭の中に響く。
俺の尾がばたばた揺れている。対しておねね様は立てた尾を左右に揺らしている。
とても今さらだが、動物全てが嬉しいからといって尾を振るわけではない。主に犬のことなのだろうが……、俺(狐)もそうなのか? 意外とこの尾は重量があるから、しょっちゅうバサバサと揺られると鬱陶しい。
しかしおねね様のあの尾の動き……、なにを表しているのだろうか。耳と尾があってわかりやすいと思っていたのだが……、それも短かった。余計に訳がわからなくなってしまった。


「あたしも三成の元気な姿が見れて嬉しいよ。もう大人になってしまったからね、頭を撫でてやることはできないけれども」
「え……、あ、ええ、そうですね……」


少し残念そうな声音と表情を知覚する。どんな反応をすればいいのかさっぱりわからない。
俺は子供のころ、おねね様に頭を撫でられるのが嫌だった。俺はまだまだ子供だという認識が強くなるし、なにより触られるのが嫌いだった。おねね様は悪い人ではないし、嫌いでもないのだが、誰であろうと触れられるのは本当に嫌なのだ。
しかも、この世界で頭を撫でるということは耳に触れると同義語ではないか? 思い出しただけでも体中から血の気が引いてゆく。あの耳をぐりぐり撫でられる感覚、尋常ではない。触れられる感覚が膚よりも直接的に感じる。思い出しただけでも眩暈がして、視界が黒ずんでいきそうだ。左近相手ならまだしも、おねね様相手に振り切ることなど出来るはずがない。よかった、俺が大人で本当によかった。


「で、一体なにを調べていたんだい?」
「え?」
「あたしを誰だと思っているのさ。関白太政大臣の正室、北政所だよ。一緒に戦場へ赴いたりもした、やんちゃな、ね」


得意気な笑顔で、俺を見る。
そういえば、おねね様はくのいちでもあった。分身の術や変わり身の術……、さまざまなやんちゃを仕掛けられたことを思い出す。この世界でもその設定は変わらないのか。ならば俺の屋敷にこっそりと様子見に来たりなんぞ、していたのか?(怖いぞ)


「……おねね様は、この世界の他に、別の世界があると思いますか?」
「別の世界?」
「この世界と同じように秀吉様が天下を統一し、おねね様は北政所と呼ばれ、俺は治部少輔となっている。だが、設定は同じでも中に生きる人々は一様に違う行動をとり、あらゆる事物は、互いに関連し、せめぎ合い、変化し、発展を遂げ、また巡り帰る……。そんな世界が、他にあると、信じられますか?」


俺は信じざるをえない状況下にいるからこそ、信じられる。しかし何も知らない俺であったならば、そんなもの信じる必要も感じないし、魅力も感じない。
まるでこの世界は『もしも』の世界だ。『もしも俺の性格がこうであったならば』という、架空の世界のようだ。ばからしい。『もしも』、など存在しないのだ。だが、実際にこの世界は存在する。これは『俺のいた世界』が前提の『もしも』の世界ではないだろう。世界が並行して、存在する。


「そんな世界、あったら楽しそうね。だって、いろいろなあたしやあの人、三成が見れるんでしょう? 違う生き方をしているあたし……、楽しそうだね。とても、素敵な発想だと思うよ」


おねね様の尾は、先ほどから動きが変わらない。





寧々







09/01