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手が伸びてくる。まめの多い武骨な手が視界いっぱいに拡がり、頭上へ到着する。そして、例の背筋を駆け巡るようなおぞましい感覚に体が強張った。また、左近の耳なでなでだ(だから俺はそれが嫌いなのだ!)。
「はいよしよし」
「……っ」
吐き気に近い。
悪意が無いことなどわかっている(むしろ、この世界の俺はこれが好きらしいから、とても好意的な行為なのだ。本来は)。しかし、どうしても俺はこれが好きになれない。理由はわからぬが、膚が触れ合うことすら嫌いであるから、耳も例外ではないのだろうか。それとも、このおぞましさ、この耳は性感帯か? 吐き気もそれならわかるのだが(つわりなどと言った人間は豆腐の角に頭をぶつけてしまえ)。
耳の根元を強くこするように撫で付けてくる。そういえば、俺も動物相手に耳の根元を撫でてやったりしていた。気持ちいいらしいからな。どうやら人間に耳と尾がついていても同じ認識のようだ。だが俺は駄目だ。
「なにか、気に病んでることがあるのですか? 話を聞くことなら、左近は出来ますよ」
「……手っ」
「はい?」
「手を退かせ!」
「あ……、はあ、すみませんねえ。ついつい」
まだ感触が残っていて気持ち悪い。耳がひくひく動く。
このとき俺は痛烈に『元の世界に戻りたい』と思った。耳と尾のある意味がまったく理解できなかったが、きっとこれは、こうして相手を弱らせることができるというわかりやすい弱点なのだ。なんと恐ろしい! こんな弱味をさらけ出している世界に長居などしておられん。
しかし、俺は本気でおぞましさや寒気と戦っているというのに、左近は楽しそうに尾をばさばさと振っている。その速さが妙に速く、一体なにがそれほど楽しいのか俺はちっとも想像がつかない。
ようやく俺の動悸息切れが和らぎ、左近は酒を注いだ猪口を俺に差し出した。……順序が違うような気もするが、さほどこだわるべき点ではない。猪口を受け取り、少し口をつける(この体でも酒はいけるな)。
「最近、妙になにかを考え込んでいるようですな。仕事のしすぎじゃないですか?」
「あのな……、それほど休んでいる暇など俺にはないのだよ。お前もそれがわからぬ人間ではあるまい。今の情勢……、朝鮮出兵で民も兵も疲弊しきっていることを知っているだろう。現地に赴き武功をあげている人間もな。俺がそう休んでいては加藤清正らに後ろ指を指されてしまう」
清正はわかりやすいほどに俺のことを憎んでいる。だからこそ、文句を言われても見合った仕事をしていることを主張できる材料が必要だ。まあ、清正のことを抜きにしても俺はこの仕事、やり通すつもりだが。
「加藤殿が殿を後ろ指って……、どうしたらそうなるのですか?」
「お前も知っているだろう。清正は俺をにく……」
この世界は決して、俺のいた世界と連動していない。
この世界の俺は、客観的に見て感情を表によく出し、俺のように言葉を募らせる人間ではない……。あまり他人に憎まれそうにない心象ではある。もし、本当にそうなのならば、清正は俺と険悪ではない可能性もある。ならば、下手に左近に不信感を植え付けるような失言はしたくないのだが……、ここまで言ってしまったぞ。
「加藤殿は、殿を、肉?」
「あ……いや、その……、俺が清正の暴挙を秀吉様に、ありのままに報告しただろう。清正は『三成が讒言を申した』とそれは立腹していたから……」
「ああ、あのことですか」
「そうだ、うん」
よかった。この件がこの世界で起こっていなければ、俺はとんだ墓穴を掘っていたところだった。だが、清正がこのことで立腹した事実があるのならば、この世界の俺もあまり清正とは友好的ではないのかもしれないな。まあ清正や正則と仲良しこよしな俺なぞ想像もできん。
「しかし加藤殿のそれも一時の感情ですよ。よく聞かされましたよ。『三成とわしは同じ釜の飯を食って育ったのじゃ。わしと三成、正則で秀吉様を守るんじゃー!』ってね」
「ぶっ」
「わっ! またツバ!」
い、いかん。耳と尾の感覚がよく認識できる。完全に張り詰めている。
清正が、正則が、俺と、仲良しこよしだと。想像もつかん。一体どんな会話をしているというのだ。いや、秀吉様引いては豊臣家を守るという点では連携がとれていることは良い。いざ危機が迫ってきたとき、俺とあいつらが仲違いなどしている暇などないのだから(しかし俺もあいつらも強情なのだ)。
「ああ、殿はご心配なのですか? 同じ釜の飯を食べた、大切な友が異国の地で……」
「ぶっ」
「おあっ! またあ?!」
今さらであるが、この世界、『微細な違い』などではない。『大きな違い』ばかりだ。表層はよく似ているが、中身がこれほどまでに違うなんて、聞いていない!
内層
09/01