耳。

俺は今まで、人間だと思って生きてきたが、どうやら違ったようだ。

尾。

いや、少しくらいは人間なのかもしれない。

聞いたことはある。人間の祖先は動物であり、まれに尾を持った人間が産まれてくると(耳は流石に聞いたことはないが)。
確か、人間の祖先は猿のような生き物だとか。だったら、この耳と尾は一体なんだというのだろう。猿のものならば、先祖返りという解釈も可能だが、これはもっと違う。
猿の尾は、細長くこげ茶だ。俺の尾は、金色で太くふさふさである。
猿の耳は人間のように、目の高さよりも少し低く、大きい。俺の耳は目の位置よりも高く、頭上についている。そして、先がとがっていて、ふさふさしている。俺の認識が間違っていなければ、人間の耳も猿の耳も、あまり毛が生えておらず、ふさふさではなかった。

つまり、変ななにかの動物の耳と尾が俺に生えたのだ。先祖返りではない。

思うにこれは、犬や猫の類のものではないか。この尾の先は白く変わっていく。狐、を連想する。だから、俺は狐だ。
今、ここで俺がなんの動物の耳や尾が生えたかがわかってどんな利益があるのか、と聞かれても、知らんとしか言えない。ただ、俺の精神情況は少し落ち着いたようだ。


「なんじゃこりゃあああ!」


……どうやら、落ち着ききれていなかったようだ。


こんな格好で外に出ることは死んでも遠慮したい(葬儀にこんな格好であることも嫌だ)。だが、いつに治るかもわからないし、引きこもりにも限度がある。

そこで、困ったときの左近頼みである。しかし左近を呼ぶにも、女中を呼ぶとこの姿を見られる。すると主の威厳というものが、半減しそうな不安がある。であるから、俺は、左近が偶然ここにやってくるのをひたすらに待つしかないのだ。
まあ、いつまでも俺が姿を見せなければ心配して見に来るだろうから、それほど長い時間待つことはないだろう。
ここで怠惰に時間を浪費する必要はない。いくら秀吉様が天下を治め、泰平の世になったと言っても雑務は尽きない。耳や尾があっても筆は持てるし、字も書ける。ただ、変な飾りができてしまっただけだ。俺の意識は人間のものだ。……まあ、少し山へ行きたくはなっているが、自制できる範囲だ。

筆を取り、書に目を通していく。
不思議と、耳と尾に神経が通っているらしい。

……勝手に耳がぴこぴこ動く。尾がゆさゆさと左右に揺れる。鬱陶しいことこのうえない。


「ええい! じゃあかあしい!」


尾を左手で押さえつけ、右手で文字を紡ぐ。

尾に痛みがある。痛感もあるようだ。どこが痛いのかと問われれば、尾、としか言いようがない。だからこの痛みの箇所を、尾のない人間に教えることはできないのだ。
耳を押さえるのは難しい。二つあるうえに、右手まで使ってしまったら仕事が進まない。
この尾と耳は、いったいなんなのだ。俺の意思に介さない存在だ。
自分の体の一部であるのに、こうも思い通りにならないとは、腹立たしいことこの上ない。

左近はいつくるのだ。遅い。


「殿ー、まだ寝ているんですかー? もう正午になっちまいますぞー。休みだからってぐだぐだしてるとー、牛さんになっちゃいますよー」
「さっ、左近か! 入れ!」


噂をすれば影、と聞いたことがある。しかし正午とな。もうそんな時間になってしまっていたのか。この尾のせいでちっとも仕事が進まなかった。


「なにをそんな怒って……、なにをしているのですか?」
「見てわからぬか、尾が勝手に動くのだ! いや、それよりも耳と尾が……!」


そこでまともに左近を見た俺は、絶句、いや、絶望した。この世界に絶望した。


「耳と尾がどうかされたんですか?」


ぴょこぴょこと好奇心旺盛に動く耳、疑問にたゆたう毛の長い尾。犬だ。犬がいる。

俺だけではなくて、左近も擬人化してしまっている。この事実に「左近気持ち悪い」などと考える余裕もなく、最後に世界が暗転していくことを知覚した。




知覚







08/23