次に俺が目を覚ましたのは人の往来がよく見える、喫茶店の窓際席でだった。
理解しがたいことだが、俺はついさっきまで全然違うところにいた気がする。それも、こんなに建物が建っていない山の中みたいな場所だ。
いや、建物自体もなんだか違和感がある。並ぶ高層ビルに大きなモニター。信号機がいくつも並び、人は縦横斜めと自由に渡るスクランブル交差点。なにかしら文句をつけるようにうるさい車のクラクションや、車の間をすり抜けてゆくバイク。なんだか変だ。
変といえば、俺の目の前に置いてあるコーヒーと大きなパフェだ。
俺がこれを頼んだのだろうか。頼んで、眠ったのだろうか。それにしてはコーヒーから湯気が立っていて非常にうまそうだし、パフェのアイスは溶けるそぶりを見せていない。
頼んで、眠って、店員が品をここに置いた直後に俺は起きたのだろうか。それとも白昼夢を見て混乱しているだけなのだろうか。
さて考えることが山盛りだ。
そういえば、俺はついさっきもたくさん考えなくてはならないと気を重くしていたような気がする。なにを考えなくてはいけなかったのだろう。
まず考えることは、俺は眠っていたのかということだ。
目を覚ました、とさっき思ったのだからやっぱり眠っていたと考えてよい。だが、どのタイミングで眠りはじめたのか。これがさっぱりわからない。というよりも、眠る前のことがいまいちわからない。うとうとしていて意識が朦朧としていたのかもしれないから、これは思い出すのは難しそうだ。
次に考えることは、俺の違和感だ。この場所そのものにとてつもない違和感を感じる。この文明利器全てに違和感を感じてしまうのだ。名前は知っているし、使い方もわかる。どのような原理かもおおまかに知っている。だが、これは違う。
そしてこれが一番不可解なのだが、俺はついさっきまで別の場所にいたような感覚がしている。それは夢だと言ってしまえばそれだけだが、そう言うには、この場所が俺に馴染んでいない。その夢の中のほうが俺に馴染んでいる気がするのだ(それとも今見ているものが夢なのだろうか。胡蝶の夢か?)。
ついさっきまでいた場所は、どんな場所だったろう。そして、どんなことをしていただろう。
草っ原にいて、散歩をしていた。町外れのようだと思ったが、町が近くになかった。考え事をしているうちに人に会いたくなったから人を探し始めた。人をみつけたが、死んでいた。その人はどんな人だっただろう。顔はちっとも覚えていない。ただ、その男が俺にとってキーマンになりうると思った。だが死んでいた。非常に残念に思った。
そうしたら俺はまた目を覚ました。
俺はいつの間に眠ったのか? よくわからん。
しかしキーマンという言葉、頭に浮かんだから使ってみたが使ってみるといよいよ違和感が噴出してくる。ここにある全てのものに対する違和感の象徴のようだ。
それよりもなぜ俺はあの男をキーマンをと思えたのだろう。死んでいるただの男だったが、あの男は俺のことを知っているように思えてならなかった。そのような確証はちっともないが、そうだと信じた。
そうだ。俺は、三成という名前だ。だが、その三成がどういう人間かサッパリわからん。そしてあの男が三成をよく知っていると思った。だから話を聞いてみたかったのだ。
ばかばかしい話だ。
三成というのは俺のことだ。その俺のことがよくわからんから、別の人間に聞こうだなんて。こういう、物乞いみたいな根性は俺は嫌いだ。
今、三成のことがひとつわかった。自分の努力をせずに他人にすぐ助力を乞う人間は嫌いだということだ。なかなか厳しい人間のようだ。
しかしこの違和感、はやくどうにかなってくれないだろうか。
コーヒーを飲むにも一つの勇気を使用しなくてはならないではないか。うまそうな匂いだが、なぜか乗り気ではない自分が理解できない。未知の怪しい飲み物を目前にしているような緊張でいっぱいだ。
コーヒーは諦めて、窓の外を眺めた。
人がたくさん行き交っている。どういうわけか皆いそがしそうに見えた。それにつられたのか、俺も急がなくてはならない気がした。パフェのアイスも溶けるかもしれない。
一人の男がスクランブル交差点を渡りだしたとき、パフェのアイスなんかとは比にならないほどの焦燥を感じた。
あの男はキーマンだ。キーマンではないか!
生きていた?
いや、さっきまでの出来事は夢のなかの出来事と考えるのが妥当だ。だからこちらでは死んではいない。しかし実在するとは思わなかった。
そんな感慨などよりも、俺はあの男に飛びついて今すぐこの喫茶店に引きずり込んであれこれと話してみたい。夢の中ではあいつは死んでいたが、ここでは生きている。
ああ、それにしても凛々しい若者だ。
俺が見たのは死体だったからあまりちゃんと見ていなかったが、整った顔をしている。よい顔色だ。歩く姿も堂々としていて立派だ。見ていて安心する美しさを持っている。
どんな声をしているのか、早く聞いてみたい。
そうだ。こんなところで観察している場合ではなかった。
好奇心よりなにより、奇妙な不安が俺を急き立てている。ここはあれこれ考えずにこの不安に従うのが一番だろう。
コーヒーやパフェにはまったく手をつけていなかった。少し悪いとは思ったが、こちらも急用だ。しかしこうもきれいに手をつけていないと、料金を払うのも憚られる。ケチではない。俺の金で買ったんだ、食おうが食うまいが俺の勝手だ。そういう傲慢なところがあるように見える気がしたからだ。
席を立った途端、店の外から甲高い声が響いてきた。そちらを見ると、スクランブル交差点のあたりに人だかりが出来始めていた。車が一台停まっている。おそらく数分後には救急車が駆けつけるだろう。
あの男は死んだ。
直感的にそう悟った。
溶けてしまったアイス
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