その報せを聞いたときの私は、どういう訳か半笑いだった。
もちろん伝令は訝しげに私の顔を覗きこんできたし、近くにいた父上も眉間にしわをよせたようだった。
しかし私は笑いたくてしかたがないような、そんな、自嘲的な不可思議な気持ちに囚われた。

(本当に、なんと、私は無力だったのでしょう)


話はとんと遡る。

私は父上とともに出兵準備の最中だった。共に、義の世を守ろうと誓った友のために。
秀忠を足止めするために示威篭城を続け、見事に成功した。私は半ば独断に近い状態で、関ヶ原へ向かおうと意気込んでいた。
緊張状態の続いたある晩、疲れていたのか、私は階段で足を滑らせ、ひとり豪快に転がり落ちた。
痛みもなによりも恥ずかしさが勝り、すぐに周りを見渡したが、誰もいなかった。こんな失態を皆に見せるなど、とてもじゃないが遠慮したかった。

「…っ、ははっ」

誰もいないとにわかに安心したのに、どこからか押し殺した笑い声が聞こえた。
それは確かに自分の声ではなく、私は無礼だとかなんとか考える前に「誰だっ」と叫んでいた。

「お前は、変わらぬな」
「…みつなり、どの?」

柱の陰から、ひょっと姿を現したのは紛れも無く、西軍にて重要な存在の石田治部少輔三成、友だった。
この場合、もしかしたら、万に一つ、会えなくなっていたかもしれないという相手に会えてうれしいという気持ちと、ここにいるはずのない、むしろ、来られるわけのないという気持ち、どちらが優先されるべきが自然なのかわからなかった。
しかし、私は確かに嬉しかったし、同時に疑問も湧いた。

「み、つなりどの、なぜ、ここに」

たくさん話したいことがあるような気もするし、三成殿に言われた「言葉に頼るな」という台詞が頭を回って、なにも言えないような気もする。
そんな思いからか、私の言葉はひどくつっかえつっかえだった。

「まあ、そんな無粋なことは気にするな。足は平気なのか?」

そう言われてようやく、自分の右足首がじわじわと痛んでいることに気付いた。
痛みを忘れるほど、私は驚き、喜んでいた。

「あ…いたい、です」
「立てるか?」
「た、立ちます!」

三成殿は一足踏み込んで、手を伸ばしてくださったが、動揺していた私は大慌てで断った。
そういえば三成殿が妙に大きく見えていると思ってはいた。当然だ。私はまだ、階段から落ちた状態のままだったのだから。
断ってしまった後で、三成殿が気分を悪くしないか不安に思ったが、三成殿は薄く微笑んでいただけだった。
戦で武功をあげたときに褒めてくださる、優しい笑顔だった。
私は格別にその笑顔が好きであった。三成殿の懐刀である島殿や、同じように義の誓いを結んだ兼続殿に見せる笑顔とは全く違うもののように感じられた。
島殿や兼続殿には、策士のような、なにかを企むようで、それでいて信頼を見せている、自信に満ちた笑顔を見せていた。もしかしたら、今度のこの合戦について話しているところを見たのかもしれないが。
立ち上がり、三成殿を真正面に見据える。
最後に会ったときよりも、少しお痩せになられたようにも見える。

「三成殿・・、あの、関ヶ原の合戦は…」
「幸村、見てみよ。月が見事だぞ」

三成殿は、私の言葉をさえぎってふらりと体の向きを変え、障子の向こうを眺める。
不本意ながら、私も同じように空を見上げた。
もう日も暮れ始めて、うすぼんやりと明るい空に、白い月が浮き上がる、美しい上弦の月だった。

「俺は、月のような存在になりたかったのかもしれぬ」

どういう意図がこめられているのか、そのときの私にはちっともわからなかった。

「月?」
「そうだ。月は、太陽が現れているときには姿を消している。逆に、太陽が消えてしまったら、それが唯一の光だ」

どういった言葉をかければ、最もいいのか見当もつかなかった。
また、なんの言葉も浮かばない自分の思慮不足に情けないとすら思った。

「太陽は落ち、月は、死んだ」
「太陽、月が?」

意味がわからなかった。

「幸村、お前が、新たな月となってくれれば、いい。 いや、無理強いではない。ただの俺の戯言だ。 落ちた太陽の子を、守ってくれればいい」

それだけ言われてもわからなかった。
そのときの私は普段以上に動揺していた。
目の前に、いるはずのない不思議な存在に、想像以上に思考力を奪われていた。もう少し落ち着いていれば、私はもっと気のきいたことを言えたのかもしれない。

「くだらぬ話をしたな。わるかった。 足、無理をするな」
「あ、ありがとうございます」
「ああ、幸村」
「はい?」
「お前はばかではない。もうわかってはいるだろうが、言葉に頼るな」
「はい!」

奇妙な存在ではあったし、なにかに化かされていたのかもしれなかったが、その言葉は確かに三成殿に言われたもので、私は嬉しさに威勢よく返事をした。
そこで、誰かが私を呼ぶ声が聞こえてきた。
三成殿は少し笑ってみせ、くいっと顔をそちらへ動かした。あちらへ行け、という促しであるとわかった私は、少し不安ながらもそちらへ向かった。
振り向いたら、三成殿がいなくなっているような気もしたから、あえて私は振り向かなかった。
そのあと、どれだけ経っても、城内で三成殿を見かけたという報告は無かった。


三成殿の訃報によると、まさしく上田城内で月だ太陽だと語った日、三成殿は処刑されたのだという。

きっと三成殿は置き換えていたのだろう。
ご逝去された豊臣秀吉殿を太陽、と。
むかし、寺小僧であった三成殿を見出し、重宝にしていただいたあの方は三成殿にとって本当に太陽のような存在であったのだろう。
太陽の子、とはまだ幼い、秀頼様のこと。
それに対して、三成殿は自分を月と言った。姿を消した太陽のかわりに、闇を照らす淡い光。
太陽ほどの力はいらない。ただ、太陽の代わりに、太陽がやってくるまでに世を照らす月と、言いたかったのだろう。

しかし、私はそうは思わない。

月は月で、絶対的な影響力を持っている。(私には、実際の月というものがどれほどの力を持っているかはよくわからないけれども、確かに月というものには、なにか、妖しい力がある気がする)
それは、太陽の恩恵に感謝するひとたちではなく、また別のひとたちに。太陽ほど多くはないけれども、たしかに月を愛するひとはいる。
島殿に、兼続殿、大谷殿や、数えるには少し多すぎるほどに。
そして、私に月となってくれといわれた。しかし、私は代行人となるつもりはない。
太陽は太陽として、ひとつしか存在しない。月も同様だ。
三成殿の代わりとなるつもりはない。
しかし、三成殿の実質、最後のお言葉を無視しようとしているわけではない。
私は私として、また、別の存在として、義を、友を、皆を、守って戦おう。




九度山へ謹慎されながらも、私は三成殿の言葉を忘れることはなかった。
父上の死も、私は背負った。
三成殿が、島殿が、父上が、皆、同じ想いを抱いて一様に散った。
兵法を学び、訓練を重ね、苦汁を舐め、十四年の月日を過ごした。
右足を勇敢に、踏み出す。




大阪城で、私は、すべてを背負う。












右 足











06/02