Le monde est rendu triste,



「義はこちらにあるのだから、当然だろう。違うか?」
「いいえ、そんなことは」

 太閤殿下がご逝去あそばされてからというものの、家康という男は実に清々しく暴挙を繰り返しているとの話は耳が腐るほどに聞いていた。無論、その専横を義で結ばれた我が友、三成が見逃すとは到底思えなかった。三成という男は、義の存在を信じそれを遵守しようとしているのだ。そして私の予想通り、三成は黙ってはいなかったようだ。
 しかし、家康という人間は実に巧緻に尽くされた計略により、三成は奉行職を失い佐和山に隠居している、と聞いていた。
 だが義というものはその程度のことなど歯牙にもかけぬ。三成はこうして島殿を送り、間接的にだが私と共に挙兵の策謀を張り巡らせている。
 その島殿が突然に、

「此度の戦、問題は諸将の動向、特に豊臣恩顧の将である加藤殿、福島殿などが重要でありますが、こちらにつくでしょうか」

 と、いった拙い問いかけをしてきた。
 私の返事に形だけの取り成しをして見せたが、おそらくは半信半疑、いや、半分すら信じていないかもしれない。凝視するような硬い表情のまま取り繕っても結局は意味を成さない。
 義という観念が理解できない島殿のほうが私にとっては不思議ではあるのだが、私や三成、幸村のように義を信じ、頑なに生きようとすることのほうが珍しいようだと知ったのは最近の話ではない。島殿のように長く戦場に身を置き、生命の駆け引きをしてきたような人間ほど、この観念は信じがたいものらしい。
 なにか反論してくるのだろうか、と身構えていたのだが、あっさりと話は挙兵のことに戻り、綿密な打ち合わせに入る。
 少しむきになっていたらしい。勝手に島殿をこういう人間だと決めつけ、その概念を打ち破るための反論をいくつも考えていた。私もまだまだ不義である(ふと、自分の思考に疑問を感じたが、すぐに島殿の声に意識を傾けた)。

「家康は袋のねずみ、ということになる」
「そうですが、家康ともあろう人物がそう簡単に腰をあげるかどうか」
「腰をあげざるをえなくすればよいだろう。今や彼奴は自らが天下人のように振る舞い、諸将もそうであると勘違いしている。こっぴどく罵倒する人間がおらば、沽券に関わる。征伐せねばなるまいさ。怒りは人をめくらにする」
「うまくいきますかねえ」
「飽くまでも憶測ではあるが。それでも島殿は少し慎重すぎるのでは」
「当然でしょう。心配しすぎて損はありません」
「そう言って、機を逃すことにもなりうる危険を孕んでいる、な」
「塩梅が難しいのですよ」

 気が進まないらしい島殿ではあったが、決して明確な拒否、否定は一切しなかった。曖昧な牽制や足踏みを幾度かして見せるだけである。
 私や三成という太閤殿下に篤い恩を受けた者が、義という観念によって立ち回る。愚かながらも家康に臣従の意を示している人間も、目を覚ますはずだ。真に義であるのはどちらか、それは明白だ。それだけではない。単純に、この挟撃は実に効果的である。前方の私たちに気を取られ、戦力を集中させている間に背後から三成らが現れる。隊列も乱れ、指揮系統には混乱が生じ、そこを一気呵成に攻め立てる。よもや、勝利は確定と言っても過言ではないはずだ。
 もし、唯一の不安要素があるのだとすれば島殿の言うとおり、加藤殿ら、三成に嫌悪を示している人間ではあるが、三成に対する怨みと義を秤にかけるまでもないことだと察せないはずがない。
 だがしかし、島殿が気にかけていることはこれのみではないのかもしれない。彼ほどの男をここまで慎重にさせる、ということは、やはり家康という男は誰が見ても脅威なのだろう。それに屈する大名が後を絶たない、と。いくら挟撃するとはいえ、数でまず気圧されては話にならない。
 あらゆる可能性を頭の中に描き出し、しらみつぶしにその可能性を潰していると、先ほどまでの獣のように鋭い双眸は一転して、慈しむようにゆるやかな笑みで口元に結んでいた。

「やはり、直江殿も殿も、よく似てらっしゃる」
「私と三成が?」
「そうですねえ。どこそこが似ている、と明白にはいかないのですがね。似ていると思いますよ」

 意外な言葉だな、と単純に考えたが、その言葉が胸にすとんと落ちるころには言いようのない柔らかな喜びがじわりと広がった。
 誰かに似ている、三成に似ている、それが特別に嬉しいわけではない。むしろ、私と三成は似てなどいないし、お互いの義のあり方を論議するほど意見は食い違う。
 なぜ些細な喜びを感じたのか。具体的にはすぐに思い当たらないが、おそらく、島殿が似ていると感じた部分が想像できたからだろう。島殿が説明しなかったことをあえて言葉にするならば、単純に義をなんだと考えることが似ているのではなくて、もっと深く、あまりに人間的で、神秘的ですらある根幹が、同根より生じているように似ているのだろう、ということだ。
 それには具体的な例がない。私は、自分で思っているよりも自分を客観的に見つめることができないから尚更だ。

「嬉しいな。島殿にそう言っていただけると」
「ですかね?」
「ああ。三成に最も近しいと言っても過言ではないほどではないか。その人がそう言うのだ」
「どうして、嬉しいのでしょう?」

 なぜ嬉しいのか、と返されると返事に悩むものがある。先ほど考えたことでは、何が似ているか思い当たったから嬉しい、だ。今回の問いは、何に思い当たって、どうしてそれが嬉しいと感じたのか、だ。
 しかし考えど考えど答えは生まれてこない。じわりと喜びが滲んだのはたしかだが、その理由が定かではない。

「私にもわからない。どうしてだろう。ただ、嬉しく思うべきだと、思ったように。わからないな」
「使命感? 殿に気を遣って?」
「そんなつもりはないのだがな。不思議なこともあるものだ」
「はあ」

 何を感じ、その感情が生まれたのかは知らない。だが考える時間がそうあるわけでもなく、その話はそこで終わりにすることにした。







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