「どう見る」
「お味方の負け、と」
「覆らぬか、やはり」
「でしょう」

 俺の生きた時間というものは、全体を通して(俺のことではなく、すべての事象)見てみると、あまりに短いものである。その短い時間の中で、俺は義というものを知り、思考し、知覚し、錯綜とし、喜び、哀れみ、謳歌し、叫び、その義を貫くことこそが意味であると思った。その義を背負い、守り抜くことが生きる意味だと、今でも思っている。
 だが、今この瞬間、俺は生きる意味を失ったのだろうか。

「否、義はくずおれぬ。左近、俺は生きる」
「殿ならそうおっしゃると思っていました。微々たるものですが、左近がこの場を食い止めましょう」

 左近を引き止めようと、腕がざわついた。肉が白くなるほどに握らなくては治まらないほどに、美醜を備えた感情は俺を蝕もうとしている。
 俺自身の義は、豊臣の天下を守るという一言に尽きる。だが左近に義という言葉を使ってその生きる姿を言うならば、きっと、俺に尽くし、俺を生かすことこそが義となる。逃げろなどとは言えない。婉曲に生き延びよとも言えない。それは左近の義を、俺の思惟(沼のようにやわらかな利己的で恣意的なそれ)が否定し、踏みにじる行為になるからだ。
 左近にだけ言えた話ではなくて、俺は多くの大名に秀吉様から受けた恩を忘れるな、と書を送った。それはやはり俺の一方的な思惟でそれらを蹂躙したのかもしれない。だが、その結果に家康の麾下となったやつらは、俺の義を蹂躙した。お互い様なのである。

「わかっている。わかっているんだ」
「殿、左近が申し上げたことをお忘れですか。人の上に立つ限り、取り乱すことは許されない。すべての人間性を抑えなくてはならないんです」
「それも、わかっている」
「なにがわかっているんでしょうか?」
「左近が、死ぬということがわかっている。そして、左近を引き止めても無駄だということも。そして、左近は笑って言うのだ」
「――殿の理想は、左近の理想ですよ」

 被弾し、思うように上がらないはずの腕を上げて、左近は俺の肩を叩く。霧の中にあったときと同じように。だが、その軽々しさはない。ただ、死の重みがぬるりと肩に触れている。
 左近の触れた肩から蛆が湧いてくる幻覚が観え、冷や汗が噴出した。
 その手に触れるか触れないか、俺は選ぶことができる。いくら、血が流れすぎて感覚がなくなっていることがわかっていても、触れれば気が付く。だから俺は選ぶことが可能だった。

「俺はこの局面に陥り、理想は崩れたことを知った。現実にはならなかった。理想と義が食い違っている」

 俺は左近の手には触れなかった。
 離れてゆく死の感覚にふと落ち着いていた。今、俺は、左近という唯一無二の同志と訣別のときが近づいていると俄かに自覚し、不安になるべきはずなのに、その逆の感情に胸を撫で下ろしている。

「時間がないようですね。お話の続きを聞きたかったのですが、致し方ありません。さあ」
「左近、理想と義を見失いかけている俺を、まだ生かそうとするのか」
「見失ったのならば、また探せばいい。失くしたのならば創ればいい」

 背中を押され、数人の供が集まっていた。いよいよやってくるであろう煩悶を思い、憂鬱な気持ちを抑えきれなかった。
 馬に乗り、後ろを振り返った。

「振り返ってはなりません。あなたは常に前を見つめ、毅然としている。別れの言葉もいらない。左近は常に殿と一緒にあるはずだ。さあ、どうぞ行きなさい」

 言われるがままに馬の腹を蹴り、鉄砲や大筒のけたたましい音が鳴るそこを後にした。
 山中に入ってからは供の者とも別れ、馬も逃がし、俺はとうとう一人きりになった。
 そうだ、俺は一人きりのはずだった。けれど左近は、常に俺と一緒にあると言った。だから別れの言葉はいらないと。ここに左近がいるはずだが、俺にはどこにいるかわからない。情けなかった。左近の最後に聞いた言葉の意味を俺は理解しきれていない。
 一晩中歩き続けながら、俺は己の惨めさにふと疑問を覚えた。
(おれは本当に惨めなのか?)
 現実にあるべき姿がいつのまにか理想とされてしまい、そしてそれはまだ理想のままだ。そのうえ、自分が生きる意味だとすら考えていた義を疑っている。俺が生きている意味を信じていないのだ。それは、これ以上にないほどの惨めである。
 利で、小早川を釣って、その挙句に裏切られてしまった。義を投げ捨ててまで守ろうとした理想は崩れたのだ。
 たった、たったこれだけの年しか生きていない。あと十年、二十年生きたとしても『たったこれだけ』だ。その、『たったこれだけ』の間に、生きる意味なんて必要だったのだろうか。ただ、生きて、意味を見出すころに死んでしまうのが本当の姿なのではないか。俺の見出した意味は、そうやって簡単に覆るものではないか。
 この雪辱を晴らさなくてはならない。そして、今度こそ本当の義を、意味を見つけるためにも、生きなくてはならない。汚辱に塗れたまま死んではならない。
 生きるためには、どんな無様なことにも耐えてみせる。追手の気配を感じれば、醜いほどに、笑われるほどに逃げてやる。雑草でもなんでも、口に含んでやろう。
 足が覚束ないほどに疲労困憊しながらも村にたどり着き、与次郎という人間に案内され奥深い洞窟で自分の指を見た。
 爪には垢や泥が詰まっていて、指先には泥がこびり付いている。寒さのせいかささくれが剥け、血が出ていたようだ。
(これが、筆を握っていた手なのだ)
 そう実感するのに恐ろしく時間がかかった。
(俺はこの指に筆を握り常に戦ってきたのではないか。こんなに荒れてしまっては支障が出る。筆が握れない、こんな指では筆が握れない。どうして俺が、どうして俺が。俺は義を守りたかっただけだろう? 俺は正しかったのだろう? なぜ、義が敗れたのだ。おかしい。おかしい。おかしい! 義が敗れるなんて、世界は間違っている! 前を向いて、歩くことが出来ない世界なんて!)
 すぐ近くに俺を探している隊が来ていると告げに来た与次郎に、俺がここにいることを伝えるように言った。しかし、与次郎はそれを拒否した。
「俺の最後の義を、わかってくれ」
 俺は、実に巧妙に義を利他的なものに見せていた。しかし本当は利己的なものだった。その俺のために、義という観念などなく、ただ俺を好いてくれる人間を見殺すのは耐えられなかった。まだ見えない、俺が本当に得るべきだった義がわずかに俺の視界に入り込んでいた。

 そして俺は捕らえられる。







 生きることが苦痛になったような気がしていたが、それはただの逃避でしかなかった。理想が義がくずおれたと思いもう現実を直視したくないとそう考えていたのだ。山中を駆けながら俺は一途に(俺一人が生き延びてどうする)と考えた。それでも生きなくてはならないとどこかで叫んだ。

 世界は間違っている。それを反覆しなくてはならない。生きることだけがそれに繋がるわけではない。俺が死ぬことで、世界が間違っていると思い知らせることができる。
 左近の言うとおり、毅然とした態度で死んでやる。俺は誤りではないと。そして、間違った世界である限り決して振り返らない。さよならも言わない。俺はこの世界と常に、共にある(左近も、そうなのだろう?)。
 無情で冷たい誤りの切先が俺の首に触れる。


 もし、再びこの誤りの世界に招待されるのならば、俺は謹んで辞退させていただく。







ただ謹んで入場券をお返しするだけだ








12/06
(タイトル:ドストエフスキイ氏の著作の一文より)