石田三成。それが俺の名前だった。
直江兼続。それが同じ年の彼の名前で、いくつか下の彼の名前は真田幸村だった。
俺たちは三人でよく話した。年が近いのがこの二人しかいないから、当然の成り行きだったように思う。俺と兼続はどちらが先に生まれたかよく知らないけれども、少なくとも別の人間から生まれたことは確かだ(子供が生まれるまでには十月十日必要らしい)。
俺たちはなんでも話した。朝から晩まで一緒にすごして、四六時中同じように行動している。それでも話す種は尽きない。
「魚って知っているか」
「さかな? さあ」
「海で泳いでいる生き物だ」
「海?」
「大きな塩辛い水たまりだ」
こうやって、兼続は本で得た外の知識を俺たちに与える。その兼続の言葉から、俺たちはあれこれと話を展開してゆく。
「そのサカナは、塩水を飲んで生きているのか?」
「となると、塩分過剰摂取になりますね。健康によくなさそうです」
「ふむ……。なら、サシミはしょっぱいのかな」
「さしみ?」
「魚の肉だ。魚は食べ物なのだよ」
「塩水につけられているのでしたら、しょっぱいでしょうねえ」
「しょっぱいな。なら、なにかで薄めて食べるのだろうか」
「スシという食べ物は、サシミを米にのっけて食べるらしいぞ」
「米に塩辛いものがあうのか?」
「お漬物なんかはあいますよね」
「サシミは漬物か」
「そこまでは知らないけれど」
俺と幸村は、たいてい、揚げ足をとるように兼続を質問攻めにするから、いつも兼続は降参する。今回も、いろいろと調べてから話したようだが、しょせんは本で見ただけなのでくわしくは答えられないらしい。
しかしそれでは、俺も幸村も納得ができない。
「ダシをとるような食べ物かもしれませんね」
「なるほど。塩気を抜いて食べるのか」
「いや、しょっぱくないかもしれない」
「そうか?」
「食べるのは中身だから、外の皮で守られていて中はしょっぱくないかもしれないぞ」
「なるほど」
俺たちの指を塩水にずっと漬けておいても、中まではしょっぱくならないはずだ。そう考えると、サカナはしょっぱくない食べ物ということか。
幸村も俺も、兼続の新たな意見に納得ができた。
「でも、食べ物と言っても、私たちは食べたことないですよ」
「海がないからだろう」
「なぜ海がないのですか?」
「ここが海に面していないからだ」
「海は遠くにあるのですか?」
「……三成」
兼続は本で見る外の話にしか興味がない。対して俺は、中のことに精通している。うまく説明ができないと踏んだので、俺にバトンタッチということだった。
「ウミは知らないが、ここにはない」
「なぜですか?」
「ここが、国内の六千坪にも満たない治外法権だからだ」
「わかりません」
「ここにあるものしか、ここにない。だからウミはない」
「その通りだ」
それでも幸村はわからないと言った。だからもっとわかりやすく説明した。それでも幸村はわからないと言い張った。
「わかりません、わかりません」
「外には恐ろしいものがいる。それが何だか俺にはわからないけれど、それは恐ろしいものだと」
「わかりません」
「恐ろしいのだ。あれらは俺たちをだます。甘い言葉を吐き、なにもかもを搾取する、利に溺れたドゥルグワントが誰もを蹂躙する」
それしか俺は知らなかった。それでも幸村は首を横に振った。
俺も兼続も弱りきって、ついには話題をまったく別の方向へ持っていくことで、なんとか幸村を落ち着かせようとした。その甲斐があったのか、それとも俺たちの狼狽を察したのか、幸村はぴたりと喋ることをやめた。かと思えば、冷静な癇癪を起こした。
「なぜ、私は生まれたのでしょうか」
それは俺も知らなかった。
「どうして父や母たちは、引き戻さなかったのですか」
「どこへ」
「なにが不満だったのですか。資本主義が、あの国が、それほど憎かったのですか。なぜ、この六千坪は独立してしまったのですか」
「知らない」
俺はそんなこと、知らなかったし、関係がないと思いたかった。
「ドゥルグワントなんてものが、存在するのですか」
「する。不義だ」
「世には不義が溢れている」
「私たちが、ドゥルグワントそのものなのではないのですか」
「なんだって!」
「そうです。私たちの両親は、力も無いのに抵抗して、ここに治外法権の国を作った。それは不義ではありませんか」
「知るか!」
そう、吐き捨てた。
誰であろうと、ここの存在を批判するようなことは口にできなかった。俺はそうするしかなかった。
「目を背けることは、利に、力に屈したということです。私は、違う。決して」
「違うとはいえ、幸村。お前ひとりに何ができる。よもや、国も黙認同然のここを、どうする気だね。私はそれが賢いとは思えないが」
「全て、壊すだけです。ここも、国も」
「簡単に言ってくれる。不義とは言うが、そもそも、国を不義と見做しての義の行為でここは出来るべくして出来たのではないのか。ともなれば幸村、お前は不義にかどわかされ味方したとも考えられるが」
「そうだ、ドゥルグワントは俺たちではない。外の人間だ」
「違う、違う! ドゥルグワントはここに生きる、私たちだ!」
大声を張り上げた幸村は、大人に連れられてどこかへ行ってしまった。その日から、三人だった同年代の仲間は俺と兼続の二人になった。
「まるで魔女狩りだった」
「傀儡にならぬならば必要ない、か。ゲームだな、これは」
「大きな盤だ」
俺たちは、既に盤上にいる。幸村は多分、盤上にいない。
「さて、どうする」
天井に、見たことがないウミを思い浮かべ、見たこともないサカナを泳がせてみた。どんな形か想像ができず、もやもやとしたアメーバのようなサカナは、だだっ広い水槽のなかで前後左右、縦横無尽に、緩急をつけて、くるくると回り、好きなように泳ぎ回った。
それはある意味で自由だった。
「どうするもない。俺たちはNPC(ノンプレイヤーキャラクター)だろう?」
「そうだな。自由にさせてもらおう」
「そうだ」
ああ、そうだ。
義とはなんだったか。それは知らないけれど、俺たちこそが義だと、そう高らかに宣言しよう。
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