「今日は兼続の家に連れて行く。いいか、大人しくしているのだぞ」
なにを言ってるのかは知らないが、ともかく俺は出かけるらしい。ただの散歩かと思ったが、いつもと道が違う。嗅いだことのないニオイも多く、もっとじっくりゆっくり探索したかったがトノが引っ張るから諦めた。
人間には人間の事情っつうのがあるんだか知らないが、俺にも俺の事情というものがあるのだと小一時間言って聞かせてやりたいものだ。
このトノと一緒に過ごすようになってひとつ、考えるようになったことがある。言葉が通じないというものはあまりに不便だった。意思の疎通ができないということはつまり、どちらかが不愉快な思いをする可能性がぐんとあがるということだからだ。人間になりたいわけじゃないが、せめて相手がなにを言っているか正確に知りたい。
なんだか興味深いニオイがしたのでそちらに行こうとしたらトノに引っ張られた。……。
文句のつもりで足元に飛びついたら軽々と持ち上げられ、俺はひたすらに運ばれなくてはならなくなった。
そうしてたどり着いたのは、雑多なニオイがする家だった。あちこちからいろんなニオイがしてくるからなにがなんだかわからねえ。
「やあ三成、よく来たな。お、お前もきたのか。えーと、なんだっけ、ポチだっけか?」
「ポチだ」
「そうかそうか。ミツナリと仲良くするんだぞ」
「……」
トノは以前会ったことのある男に俺を手渡した。そいつはやたらと俺の顔にチューをしてくる。こいつの体からいろんな犬や猫のニオイがする。動物が好きなんだろうな。
家の中でようやくおろされた俺は、とりあえずニオイを覚えることにした。
ふと、柱の影からジッとこちらを見ている存在に気付いた。
「……なんだ、お前」
「お前こそなんだ。ここは俺の縄張りだぞ」
どうやら、ここで飼われている犬らしい。大きな耳で白く長い毛だ。ずいぶん手入れされているようだ。
そいつは警戒しているのか俺に近寄ってこようとしない。
「ミツナリはシャイだからな。……んー、というよりも、お前に似て警戒心が強い」
「……だから犬に俺の名をつけるなと言っているではないか」
「ケイジもカネツグもいるぞ」
トノと男はなんだか親しげに話し始めた。居間に入ってしまった二人を、とりあえず追いかけることにした。
居間にはたくさんの犬と猫がいた。なるほどごちゃまぜのニオイがするわけだ。灰色の毛を持った犬がまっさきに近寄ってきた。そいつはやたら親しげに話しかけてくる。
「よくやってきた。私の名はカネツグ。主の名と同じ名をいただいている」
そうか、トノと一緒にいる男はカネツグさんというのか(俺は意外と礼儀を重んじるタイプだ)。
それからそいつはペラペラとあれこれ話し始めた。その中身のほとんどが彼の主のことで、俺には興味がなかったから聞き流した。
しかしそこで俺はひとつ気がついた。俺たち犬は人間の言葉なんてわからない。ならどうしてこのカネツグさんは自分の主の名をカネツグと知っているのだろうか。飼い犬が飼い主に名前をつけることなんてザラだというのは知っているのだが。
「そうだな、彼らを紹介しよう。まずあっちの白いのがミツナリだ。お前の主と同じ名だ」
「え? 俺の主の名前はミツナリって言うのか?」
「ああそうだ。……ふむ、そうか。言い忘れていたが私はバイリンガルなのだよ。人間の言葉もある程度理解できるのだ」
「そりゃ、すごいですな」
俺よりもずっと若く見える彼は、稀に見る才能を持っているらしい。たしかに、人間の言葉を理解できる犬もいるっちゃいるが、目の前で見るのは初めてだ。
トノの名前はミツナリっていうのか。へえ。
この新情報をさっそく使ってみたい気持ちもあったが、トノはトノだ。人間としての名前はミツナリかもしれんが、俺から見たらアレはトノだ。有無は言わせない。
「ほらミツナリ、挨拶をせんか、挨拶を」
「ふん。どうぞよろしく」
「そんな棒読みじゃなくて、もっと誠意をこめてだな」
カネツグさんはツンとそっぽを向いたミツナリさんに張り手をかましていた。そういえば、ミツナリさんの紹介をされていたんだっけか。
そのミツナリさんは、ついさっき俺をジッと見ていた犬だった。なんなんだ、俺のことが嫌いなのか。いや、初対面のはずだし、そんな嫌われるようなことをした覚えもない。つまり、警戒心が強いのか。
張り手をかましてきたカネツグさんに、ミツナリさんもまた張り手をかました。カネツグさんは「手を上げるな!」と怒っている。それに対しミツナリさんは「先に手を上げたのはお前だ!」と、負けじと言い返している。
「こらこら、カネツグにミツナリ。ケンカはよさんか」
「なんだ、カネツグと……ミツナリ、は仲が悪いのか?」
「いや……悪くはないはずなんだが、よくこうやってビンタの応酬をしている」
ジタバタともがいている二匹を、飼い主のカネツグがひょいと持ち上げた。二匹は歯茎を見せて威嚇しあっている。
「よう、俺ァケイジだ。よろしくな」
「ああ、どうもよろしくお願いします」
どうしたらいいのかわからず、戸惑っている俺に話しかけてくる犬がいた。金色でふさふさの毛をした犬だった。豪快な口調なのだが、体は俺より小さく、目が大きい。……あー、これ知ってるぞ。なんだか一時期やたらと人間の間で流行ったっつー、チワワだ。チワワ。
「アイツらのことは気にすんなって。いっつもああなんだからよ。あ、でも普段は仲いいんだぜ?」
「はあ……、そうなのか」
飼い主のカネツグは二匹を床に下ろし、なにごとか叱っているようだ。俺はなにを言っているかわからないが、カネツグさんにはわかっているらしく、相当落ち込んでいる。
そして、飼い主のカネツグが喋っていることを同時に訳してミツナリさんに伝えているらしい。
「客人がいるのだから、大人しくしていなさい。あまりに過ぎるようだったらオヤツは抜き。散歩もしない。……だそうだ」
「……そうか。わかった」
いやあ、言葉がわかるってのは便利でいいな。
声の調子でどんなことを言っているのか推測しないとならないというのは本当に不便だ。まあ、「オテ」と言って手を差し出されたらその上に俺の手を乗せればいいっていうのは最近わかったんだが、オテの意味がわからない。
ケイジさんは大きなあくびをしながら床に寝転がっている。
「ケイジー、また怒られてしまったよ」
「はっは! しゃんねえヤツらだ。ミツナリも、怒られたくなかったらカネツグに手ェ出さねえほうがいいぜ」
「なんだ、まるで私が悪いかのように」
「当たり前だ。お前が先に手を上げたのだから」
「愛の鉄拳だ」
寝転がっているケイジさんにカネツグさんがのっかり、ぶつくさと文句を言っている。ミツナリさんは少し離れた場所で涼しい顔をしている。
なかなか個性豊かな飼い犬たちだ。
「お前のとこの犬は聞き訳がいいな」
「ああ。とくにカネツグは私によく似て利口だ」
02/14