惰性の妙薬



 どちらかというと彼らはリアリストのように見える。しかし彼らは紛れもなくロマンチシズムに属する性質の持ち主であった。だがロマンやファンタジィをすぐさま唾棄する強さもあった。ゆえに、リアリストに思われることが多い。
 彼らはひたすらに時間の逆行、あるいは蘇生を望む。それが(自らの力では)不可能であることをよく知り、それに至る道程もより詳しく知っている。










「さあ一仕事だ」

 三成はデスクに向かい、自らを奮い立たせた。
 まず自分にやる気を出させるためには、熱いお茶が必要だ。そのため、三成は給湯室へ向かう。ポットの中にはすでにお湯が入っていることを知っていたが、三成はあえてやかんに水を汲み、火にかけた。
 水は意外と早く沸騰し始めた。
 きゅうすにお湯を注ぎ、湯のみにお茶を淹れる(三成は味など特にこだわらないため、特別に美味しいお茶を淹れるつもりはなかった)。
 湯のみを持って自分のデスクに戻ってきて、お茶をすすると煎餅が欲しくなってくる。三成はデスクの引き出しを開けたり閉めたりし、煎餅が出現しないか期待する。しかし煎餅はない。
 煎餅は諦め、仕事に取り掛かろうとするが、自分にやる気を出させるためにはお茶の他に作業用のBGMが必要である。
 引き出しから何枚かCDを取り出し、パソコンを起動させる。ディスクを入れようとしたら、はるか遠い窓際の席で上司が三成を見ていることに気付き、CDは引き出しの中にしまった。
 パソコンを起動してしまったからには、仕事をするしかない。
 だがその前に一服しよう。
 三成はそう考え、タバコを探した。
 かなりの嫌煙家だった三成が喫煙家に姿を変えたのはつい最近のことだった。体に害があると嫌っていたが、そんな心配は無駄なものだと気付いたためだった。ともなると、何かに依存したい気持ちを安価で合法のドラッグとも言えるタバコに向けるのに時間はさほど要さなかった。
 しかし、それも上司の視線により思いとどまった。
 今度こそ仕事に取り組もうとしたが、三成はあることに気付いた。
 嫌な仕事を先延ばしにする言い訳ではなく、仕事に必要な資料を集めていなかったというケアレスミスがあった。
 だが、その資料も古典的に図書館へ行ったりなど、足で集める必要はない。
 クイック起動で見慣れたページを開いた三成は、いくつか出てきたバーに必要な情報を入力し、情報の抽出がされるのを待つ。待ち時間はさほどかからなかった。ところせましと表示される文字列を、慣れた手つきで選択し、コピーペーストする。
 そこからさらに情報を厳選し、ワードに打ち込み始めた。
 その作業は意外と大変なものだった。A4で七十枚にも及ぶ情報を全て頭に叩き込み、必要な情報をA4で十枚程度に収める。これはケースバイケースで、A4で百枚を超える場合もあるが、それでもA4十枚に収めなくてはならない。これは、この資料を必要とする人間の作業能率を上げるためである。
 すっかりその作業を終えると、本格的に仕事に取り組まなくてはならない。
 他の課へのパイプ役のようなものが多く、電話嫌いの三成はこの仕事を心底嫌っていた。

「もしもし、四十課の石田だ。直江を呼んでくれ」

 情報管理課に電話をした三成は、すぐさま兼続を呼ぶ。
 数秒、陽気な音楽が流れ兼続が出た。

『もしもし、珍しいな。こっちに連絡するなんて』
「気になることがあってな。識別課の情報はあるか?」
『ああ、あるぞ』

 スピーカーから、キーボードを叩く音がした。

「識別課に保管されている千六百十五年真田幸村の情報を頼む」
『……そんなことを知ってどうする?』
「決まっているだろう。使えそうならば添付資料に備え付けるだけだ。こっちのコンピュータはそんなもの使わないから、二十年おきに破棄されてしまうから、わからんのだ」
『そうか。わかった。では十分以内には送っておく』
「ああ」

 受話器を置いた三成は、底知れぬため息をついた。
 気遣いからか、軽快に振る舞う兼続の表情を想像し、むしょうにイライラしてしまっていた。筋違いの八つ当たりみたいなものだったが、それは至極まっとうな苛立ちのように思えてきていた。
 パソコンの画面を眺めているうちに、頭は仕事のことに切り替わっていったようだ。先ほどまでの険しい表情は影を潜め、本格的に仕事に没頭しようとしていた。
 そのとき、右下にバルーンが表示され、メッセージを受信したことを告げた。
 十分以内と兼続は言っていたが、まだ五分ほどしか経っていない。仕事の早さに感心しながらメッセージを開く。添付ファイルを開くと、めまいすら覚えそうなほどに文字が並んでいた。

「……」

 それを眺めているうちに、三成は途方もない懐古とむなしさを目前にするはめになっていた。
 手帳を取り出し、スケジュールを確認した三成は逡巡の後、何も持たずに席を立ち、外出する旨をホワイトボードに記しその場を去った。上司はそれを止めることはせず、ただ眺めているだけだった。










 時間について考えるとき、彼は変化という物の状態について共に考える。
 何かが変化するということは、時間が経っているということと同義になる。
 人は年老い、物は風化し、植物はやがて枯れる。太陽は昇り、暮れ、夜は更け、季節は巡り、時間は流れているという実感を得られる。
 その概念が、ここのところ彼には薄くなっていた。
 彼の思考は常に堂々巡りし、変化を繰り返しているが彼自身は止まっている。果たして時間など経っているのか、その実感がとんと得られなくなったのだ。
 それでも時間は流れていると知ることが出来るのは、小さなアクションやアクシデントが起きているときだった。それは新鮮で、同じことを繰り返してばかりの時間が延々と続く、変化を止めた、停止した世界でないことを知ることができた。
 惰性によく効く薬のようなものだった。
 だが、それも今回ばかりは毒となっているかもしれなかった。





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