ひと



 大衆は実に飽きっぽい。
 一つの不祥事を綿密に掘り下げたかと思えば、若き作家の受賞を誉めそやし、待ちかねたアイドルのデビューを一通り騒ぎ、頭角を現し始めたインディーズバンドに熱狂し、来日するビッグゲストに歓喜を謳う、といった具合にあれかこれかと次々に新しいものを見つけ出す。
 大衆にとっては、人間さえも消耗品にしかすぎない。








 三成は一枚の紙を眺めていた。
 時折、深い泥濘に沈みこむかのごとくため息をつき、かと思えば心ここにあらずといったように焦点の定まらない瞳を見せることもあった。
 深く考えては思考がまとまらずぼんやりとして時間を浪費し、これでは意味がないとまた考えようとする。しかし考えようと意気込んでまで考える必要のあるものか、と自問自答を繰り返し、また考える。ただの悪循環だった。
 三成が考えているのはたった一つ、幸村のことだった。
 抑制され、情に訴えるようなところが全く感じられなかった、静かな言葉だった。しかし、それがかえって心の底からわずかに漏れ出た叫びなのだ、と、三成には感じられていた。
 よくよく考えてみれば、幸村の反応は奇妙すぎたのだ。
 突然、死を宣告され、三成の不思議さを目の当たりにした幸村はおそらく死を信じたのだろう。次に会ったとき、幸村は若干の動揺はあれど、取り乱す様はなく、ただ静かに、楽しげに勉強をしていた。
 それがあまりにも不自然すぎていた。三成はそれをあまり気に留めていなかったが、そこからもはや幸村は破綻していたのだ。
 幸村なりに深く、それこそ今の三成のように考えていたのだろう。考えれば考えるほど、今の日常、生活を愛しく思い、手放すことに抵抗を感じ始めていた。しかし、死を信じてしまっていた彼には、その抵抗はどうにもならない無駄なものだと感じその思いを捨てようとした。
 それは若き幸村にはあまりに非情だった。
 まだ寿命の半分も生きていない、精神も未熟な発展途上の幸村がそう簡単に死を穏やかに受け入れ、割り切ることなどできやしなかった。
 そして、とうとう三成にその本音をこぼしてしまったのだ。
 それでも、どうしてもどうにもならないことを全く知らないほど幼くはなかった彼は、縋らなかった。ただ、ぽつりと本心を打ち明けただけだった。
 三成はそう考えた。
 元来、彼は人の心情に疎いところがある。ここまで考えられたのは今までの経験上の推論にしか過ぎない。
 だが、三成には確信があった。目の前でただただ事実を述べるように語った幸村を見たのだ。まして、三成は幸村のことをよく知っていた。だからこそ結論を出せた(そして、生きたいと願う幸村はどこか自分を思い出させた)。
 その幸村のなにを考えているのか。
 正確には幸村に関する今後の対応については結論が出ている。真に考えているのはそれに呼応する兼続のことだった。ようやくこの悪循環という怪物と決着をつけられたような気がして、それだけで満足に感じられていた。だが、それではなんの意味もない。なんのためにこの怪物を倒し果せたというのだ。
 自分に喝をいれるようにコーヒーをぐい、と飲み干した。

 時計はいつの間にか、定時をあっという間に過ぎていた。
 デスクの引き出しを開け、一つのファイルを取り出す。いつぞやか、兼続が興味を示したファイルである。
 先ほどまで眺めていた一枚の紙をファイルに閉じ、また引き出しの中へ乱暴に放り込んだ。中でガタガタと連鎖反応を起こしていたが、そんなことを気にする神経質さは今の三成にはない。
 粗暴にも足で引き出しを閉め、緩慢に立ち上がる。




 大きな液晶画面は、ふいに真っ暗になった。長い間いじらなかったために、スリープモードになってしまったのだ。
 どれほどの時間を頬杖をついて過ごしたのか。兼続は真っ暗な画面を眺めながらふと考えた。本当はそんなことどうでもよかった。しかし、どうでもいいことでも考えていなくてはどうにかなってしまいそうだった(まるで熱暴走するCPUだと彼は考えた)。
 まったく兆候がなかった話ではない。むしろ、気付いてくれと言わんばかりに主張していた。その気があったかどうかは判別し難いが、気付けない話ではなかったという事実は揺らぎない。
 単純に、その話題はタブーに思われていたのであえて触れなかったのだ。一人で過ごすときもなるべく考えないようにしていた。それは完璧に意識してのことではない。無意識のうちだった。会話の話題に上ったこともあったが、お互いに自然と話題をそらし、逃げていた。追求しては、糾弾しては、指摘してはいけない。追及されては、糾弾されては、指摘されてはいけない。以心伝心とでも言うべき、見事な合致によりこの話題は大きく取り沙汰されなかった。
 彼には失う覚悟をしてまでタブーに触れる気はしなかった。触れても触れなくても、失うときは失うものだと理解はしていてもだ。自分の手によって意図的に失うのと、まったく別の要因によって失われてしまうのとでは雲泥の差があるのだ。
 長い時間を、待っていた。
 結果的に彼が最も遅れてやってきたというのに、そこは完全ではなかったのだ。それからさらに長い時間を待った。
 あまりに長い待ち時間の間に、たくさんのことが変わっていった。
 三成はとっくに気が付いていた。兼続もわかってはいたが、知覚したくなかった。ゆえに気が付かなかった。





08/06