けしょう



 彼は自らが解せないものに直面すると、理解できないもどかしさや、誇大した自意識、思い通りにいかない全てに対し非常に繊細な苛立ちを感じる。それは悪い癖だったが、それこそが彼らしさというもののように思われることもしばしばあった。
 その繊細な苛立ちは常に自らの内に向かい、ただただ彼の精神と胃を苛める。その過程を楽しむ術が彼にあったならば、彼にとって救いとなりえただろう。しかし実際に彼はその救いを見出すことはできなかった。ただ、それは彼にとってたいしたことではないかもしれなかった。









「死神とは」
「一般に、人間に死をもたらす悪魔の使いという認識だったかな」
「そうか」

 目の据わった三成を兼続はちらりと盗み見た。
 空になったグラスの中で、ロックアイスが溶け始めている。ややアルコールを含んだ水は、新しく注がれたウイスキーによって初めから存在しなかったかのように同化した。その様を兼続は幾分か心配げな目つきで見ていた。そのことに三成は気付いてはいたが、追求しなかった。

「しかし、正しくは死者の魂がさまよい、悪霊となるのを防ぐために冥界へと導く存在、と言われている」
「それは真実か」
「架空の話だ」
「それもそうか」

 非常にそっけないやりとりが続いた。お互いに、あれこれと饒舌にまくし立てようという気はすっかりなくなっている。しかし核心に触れぬよう、恐る恐ると遠回りに外皮についてばかり問答する。実にちぐはぐな状況だった。
 しばらくそのやりとりが続いたが、とうとう痺れが切れてしまった。

「俺は、間違いなく、俺が思っている以上に俺という人格はだらしがない」
「のようだな。だが、フォローのつもりではないが、多くの人間はそうやって揺らぐと思う。そう悩んで、矛盾を抱え、それで開き直るのが人間ってものさ」
「まるで悟りきっているな。だが、俺はそれが許せない」
「そういう人間もいるだろうな」
「揚げ足を取るならば、俺は人間とは言いがたいがな」

 その三成の言葉に、兼続はピタリと動きを止めた。いや、動きだけではなく、息をも無意識のうちに止めていた。
 途端に空気が張り詰める。しかし三成は焦る様子も見せず、ゆるやかに息を吐いた。ある種の達観へと到達したかのようにも思われる、その優雅な動作はその場にはあまりにそぐわない。

「そうだ、わかっているさ」

 しばらく黙っていた兼続が、断腸の思いすら感じさせるように返した。
 そのときに、三成はハッと自分の発言の意味に気がついたのか、誤魔化すようにウイスキーを口に含んだ。
 外皮ばかりをつついていた、馴れ合いが終わったのだ。

「わかっているとも。だが人間と何が違う? 私達は人間と何が違うというのだ。このように考え、理性を持ち、悲しみ、喜ぶ様が人間とどう違うと。揚げ足を取るな。あまりに空しい問答としかならぬよ」
「それくらい、俺とてわかっている」

 カラン、とグラスの中の氷が音を立てる。

「ああ、やめよう、このような話など。俺は何かについて悩んでいるのかもしれん。が、それはこのことについてではないことは明らかだ、確定的に」

 大仰に首を振り、腕を伸ばした三成は、この議論はしまいだと大袈裟に兼続に伝えた。少し強引ではあったが、兼続もこの議論を続ける気は毛頭なかったので、特別に反論はしなかった。
 しばらく二人は黙り込み、黙々とウイスキーを口に含んでは飲み込むことを繰り返していた。
 その間に、三成は憂鬱のため息を何度も、何度も繰り返し吐き出していた。本人には自覚がなかったが、隣に座っている兼続にはたまったものではない。気分を入れ替えて、どうにかしてこの時間を少しでも楽しく過ごそうか考えていたのだが、三成がこの様子ではその計画はあまりに無謀だった。
 自然と、兼続もつられるようにため息の数が増えていく。
 増え始めた兼続のため息に気付いた三成は、怪訝そうな顔で兼続を見る。

「なにか、気分を悪くしたか」
「ああ、したとも。お前があまりに浮かない顔でため息ばかりだからな。友に話すことはできないことかね」

 苦笑いを浮かべ、三成のグラスにウイスキーを注いだ兼続は、やや軽やかな口調ではあったが真摯さも窺えた。
 実のところ、兼続にはどことなく三成のため息の原因は察しがついていた。しかしそれを兼続が告げたところでなんの意味もなさない。三成自身の口から告げられてこそ、意義も価値も生まれるものである。

「たいしたことではない」
「ふむ。随分と難解な問題だ、助けて兼続先生。と顔に書いてあるのだがな」
「ほう。では、顔でも洗ってくるか」
「強情なやつめ」
「今さら」

 二人の間に、ようやくさえずりのような穏やかな笑いが交わされた。
 陰鬱な表情だった三成が、妙に晴れやかな顔を見せる。どうしてか吹っ切った様子に兼続は不思議に思いながらも、彼がそう納得したのならばと気にしないことにした。

「兼続、お前はおもしろいやつだ」
「光栄だ」
「なぜだかわからんが、悩むことすらばかばかしく思えてきた」
「それが良いのか悪いのかは、わからぬが」
「これで良いのだよ。俺は気付いた。悩む理由など始めからなかったのだ」

 突然の踏ん切りのよさに、兼続は不思議を通り越して不審を抱き始めた。
 対して三成は、なんと簡単なことに悩んでいたのかと自分ですら疑問に感じ、今の明瞭さを謳歌していた。実に清々しい気持ちであった。このように晴れ晴れとした気持ちになったのは、いつぶりだったか、本人ですら思い出せないほどだった。
 氷で薄まったウイスキーを味わい、三成は自分の決断に鼻歌すら響かせた。

「ああ、三成。そんな様子のお前を見るのは実に珍しい。槍でも降るのかな?」
「おかしなことを」
「思い過ごしであればいいのだが」
「そんなことより、最近の調子はどうだ?」
「む?」
「シゴトだ、シゴト」
「ああ、憂鬱になることをお前は」

 憂鬱そうに顔をしかめる兼続と、躍るような様子を滲ませた三成は、実に対照的だった。





07/08