「十三」
少年はすべり台に飛び込み、いつも通りマットに着地して青年に会う。メガネが見つかったらしい青年は、もうコンタクトをやめたらしい。メガネを持ち上げ、少年の姿を見るなり立ち上がった。
そして、しばらくの約束事のように自然な流れで少年はパイプ椅子に座り、青年は救急箱を持って少年に近寄る。
「やっぱ、痕残っちゃいますよこれ」
「使えなくなるわけではないし、そんなこと気にする意味はあるのか?」
「意味があるかどうかは知りませんけど、嫌な思い出が残っちゃうでしょ」
「オジサンも人のことは言えないな」
「はいはい」
アルミガーゼの上から包帯を巻き、それをペシッと叩く。少年は一瞬眉を寄せるが、声を上げたりしない。
救急箱を片付けた青年は、ライトアップされた台の前に立ち、ピンセットを胸ポケットから取り出して部品を掴む。特別に少年をかまうつもりはないようだ(それもそうだ。本業は少年の相手をすることではないから)。ほっとかれた少年はというと、青年の隣に立ち、青年の見つめている部品を一緒になって眺める。
「それが趣味の研究なのか?」
「違いますよ。これは依頼されたお仕事で……知りたいんですか?」
「守秘義務に関わらなければ」
妙に遠慮がちな態度の少年に青年は呆気に取られる。しかしそんな様子をおくびにも見せず、ピンセットを台の上に置き、その場を離れた。答えのない青年に戸惑い、少年はその場に立ち尽くしたまま青年の背中を見つめる。
青年は部屋の電気のスイッチを切る。明かりは台を照らすライトのみになる。
一瞬、少年は戸惑いを見せるが台の明かりが変わらずついていることで安心したように肩の力を抜く。
「見てろよー」
青年は台に戻ってくるなり、すばやく細かい部品を移動し、台の下にもぐりこむ。青年の突飛な行動に少年は真似すべきか悩むようにむずむずするが、すぐにその心配は必要なくなった。大きなホルマリンを取り出した青年はダン、と台にそれを置く。
「なにこれ」
「人間」
「……これが? 死んでるのか?」
少年は吸い込まれるようにそのホルマリンを見つめ、おののくように声を引きつらる。まるで磁石で引き寄せられているようにホルマリンを見ることしかできず、青年を見上げることはできなかった。
ホルマリンの中には腹をかかえるような体勢の胎児が入っている。ただ少し異形なのは、胎児の体のあちこちが機械化しているということだ。片腕、片足、右脳側、まだおぼろげな眼球すら機械である。少年はその胎児が人間とは信じられないようだ。
「んー、死ぬとかそれ以前に、これはまだ模型だからな」
「なんだ、模型か。びっくりした」
あっさりとネタばらしをしてもらった少年は、大きく息をついた。安堵の表情があからさまに浮かんでいる少年に、青年は笑いかける。
「義足とか義手、義眼があるでしょう。その発想だ。アンドロイドさ」
「どういうことだ? 義足だとか、アンドロイドに関係あるのか?」
「あるさ。人間の体を利用したアンドロイドだ。完全な機械ではない、人間の部分を残したね。成長につれて機械のメンテナンスをしなくてはならない。利用方法は人によりけりだろうが、これが成功したら、一から機械で作るというコストを抑えることが可能だ」
ライトに照らされるホルマリンは、鈍い光を放っている。中の機械が微弱な光を放っているらしい。どうやらこれを見せるためにわざわざ電気を消したようだ。
電気をつけるためにその場を離れた青年のことを少年は考えている。
(意味があるのか?)
聡明な少年は青年の研究に疑問を感じる。だが、この聡明な少年と同程度の会話ができる青年が気付かないはずがない。それでも青年がこの研究をしているのかどうか、少年にはわからない。
部屋の電気がついたところで、少年は口を開く。
「人権団体がうるさいだろう、こういうものは。一昔前にクローンがどうこう言っていたが、あれもうるさかったと聞いている。すべて機械で作るならまだしも、人間の体を一部機械化するなど……、意味がわからないな。わざわざハイリスクなことをしているようにしか思えん。コストを抑えるとか言うんだったら、最初から作らなければいいし」
少年の指摘も青年にはたいしたことではないようだ。やはり青年も少年と似た疑問を感じたことがあるのだろう。青年は淀みなく少年の問いに答える。
「そうですねえ、俺も変な話だと思いますよ。ま、俺には関係ないってのが一番大きいですな。これはたんなる依頼ですから。別に変な研究所からではなくて、どっかの道楽者ですよ。おそらく、体に衰えを感じてきたから、とかそんなとこでしょうがね。まあ、この技術が確立されたら、他の研究者がなんかに使うんだろうな、程度で。今の段階では本人の希望ですし、人権団体が口出す義理はないですよ」
「それなら、アンドロイドとか言わずに普通の義足だなんだと言えばいいじゃないか」
「アンドロイドですよ。脳の開発も頼まれているんですから。パターン化した思考回路やらなにやら、とんでもない難題をつきつけてね」
「どうして?」
「人間の昔っからの野望ってものがあるでしょう。不老不死っていう。きっとそういうあほなんだと思いますよ。ああ、金持ちの考えることはわからないしくだらない」
少年はパチクリと目をしばたかせ、青年とホルマリンを見比べる。
おどけて肩をすくませた青年は、ホルマリンをまた台の下にしまいこみ、細かい部品を元に戻し、ピンセットを胸ポケットにしまいこむ。
「守秘義務は?」
「個人情報を漏らしたわけでもないし、別にいいでしょ。それにこれは俺の研究だし、俺が喋るんだから自由ですよ」
「大人の考えることって、無駄。くだらない。そんなことよりも食料自給率をどうにかすればいいのにな」
「アレっすよ。そう言われたら『農業用アンドロイドの生産』とかなんとか言うんでしょうよ。将来的に、俺たちが口にするものはアンドロイドが作ったもの、ってことになることもありうる、と」
ええ、と少年はもらすが青年は意に介さない。
アンドロイドの開発はずっと昔から行われている。しかし実用化となるとやはりその場で足踏みする。だが、人工衛星から太陽光をあつめ、それをエネルギーとする開発が成功した昨今、地球温暖化が緩和されるだけではなく、エネルギー不足の問題もなくなり、斜陽であったアンドロイド分野がまた活気を帯び始めたのだ。アンドロイドのエネルギー源の心配がなくなったという見方もできる。
青年は長机の上においてあった資料をたぐり寄せ、小難しい顔をしてそれとにらみ合う。
「それが依頼の研究だということはわかったが、オジサンの趣味の研究っていうのがわからない」
「んー? 俺の趣味の研究は……、そんなたいしたことじゃないですよ。全然毛色の違う話」
「どんな?」
「記憶に関してですよ。スクワイアの記憶分類って知ってます? ラリー・スクワイアって人が記憶について書いた本があるんですよ。その分類の中の長期記憶の作動記憶と非陳述記憶が現在の課題です。これをもうちょい発展させて、視空間のスケッチパッドの映像を抽出し、映像化することで自分が夢に見た内容だって言葉にしなくとも、また新たに絵なんかにしなくとも多くの人と共有できるんです」
「……なにを言っているのかサッパリ理解できなかったが、とりあえず、なんか研究しているのだな。記憶に関して」
「さすがに頭のいいぼうやにもわかりませんでしたか。専門的なことなのでわからなくて当然だと思います」
悔しげに頭を掻いた少年を見て、青年は笑みをこぼす。偏った知識の、聡明になりきれていない自分の頭がひどく腹立たしいようだ。しかし、わからないものをそう簡単にわかろうなどというのは無理な話だ。
青年は胸ポケットから黒色の煙草を取り出し、火をつけくゆらせる。甘い香りが周囲に満ちた。
「甘い」
「ニオイも甘いのはダメですか? 子供の前だし、甘い香りのがいいと思いましてこれにしたんですけど。これ、けっこう昔に製造中止になっちゃったんですよ。」
「黒の煙草なんて見たことない」
「ブラックデビル、知ってます? ココナッツミルクの香り」
「昔の芸人か?」
「……いいえ。マイナーな話題をよくご存知で」
「ヒチンジュツキオクとかいうのは知らないが、ブラックデビルは知っている。どちらが役に立つかと問われると、どちらも微妙だ」
妙に真剣ぶって考え込む少年の姿を、青年は微笑ましいものを見るように見つめた。こうして少年の未来は多岐にわたるのだ。
(末恐ろしい子)