青年としてはもはや乗りかかった船のようなものなのだろう。いくら子供とはいえ、守秘義務がどうこう言いながらペラペラと喋ってしまったのだから。うまく少年に誘導されたのか、それとも自然の成り行きなのか青年にはわからない。
(この子供、もしかして録音機器持っちゃいないだろうな?)
疑いの眼差しを少年に向けるが、少年がかもし出しているのは純粋な研究や青年に対する興味だけだ。
「ここはゴミ溜め。そして俺の部屋。まあ、ぶっちゃけた話、ここでもある種の研究は行われてるってこった。ま、エネルギー云々には関わりがねえんだけどな。おおまかな利用目的は侵入者保護。……とはいえ、身ひとつで乗り込んでくるなんて原始的な方法を使った侵入者はいまやほとんどいない。みんなコンピュータ経由でやってくるからね。その掃討も俺は担当している。俺の作ったプログラムが侵入者を察知したら俺はカタカタっと排除するだけ。暇な時間は趣味の研究に費やすのさ。見られて困ることなんて、ほとんどないさ」
「クラッキング担当者なんだな。なるほど、わかった」
青年の説明をすばやく呑み込んだ少年は、なるほどと大げさに頷く。本当に理解しているようだから青年は感心するばかりだ。十歳の子供からクラッキングなんて言葉が聞けるのだから無理もない。
スパゲティと機械は順調に稼動している。特別な音を立てることもせず、波線もおだやかに弧を描き、ディスプレイが英語で埋まることもない。
「オジサンって実は、すごい研究所に貢献しているのだな。少し見直した」
「ははっ、別にたいしたことじゃないですよ。クラッキング対策なんて俺だけじゃないですし。ここへ来るまで、いくつもの関門がある。それを全部乗り越えてやってきたツワモノを相手にしてやってるんですよ」
「十分すごいではないか!」
オジサンと呼ぶにはまだ若い青年を、少年はきらきらと輝く目で見つめる。
青年はだんだんと見えてくる少年の子供らしい一面に驚き、珍獣でも見るような目をしていたが、それが普通のことだと考えたのか優しい眼差しに変わる。むしろ、今までの少年のほうが変わった子供だったのだ。
歩き回りたそうに足をプラプラさせ、あたりをキョロキョロとする様子も、また子供らしい。青年は苦笑いを浮かべつつも「どうぞ」と言ってやる。すると少年は弾けたように椅子から飛び降り、真っ先に野暮ったい機械へ向かい、画面をおもしろおかしく眺めている。
「なあ、なあ、この波線はなにを示しているのだ?」
「それは、レーザー光線の出力状態ですよ。レーザーの受け皿となるコンピュータと、人工衛星のコンピュータがあるんですよ。で、そっちに行っちまったクラッカーをペイッとするのも俺の仕事。そちらに異常が出たならばシャレになりませんからね」
「へえ……。コンピュータをひとつにまとめてしまってはいけないのか?」
「データ量が多すぎるんで分割せざるをえませんよ」
「それにしても、結局オジサンは守秘義務を守らないのだな」
(イヤなガキだな)
少年はその場を離れ、初めてライトアップされた台に興味を示した。台の上の細かな部品には触れず、さまざまな角度からそれを眺める。部品はどれも指先ほどの大きさで、吐息ひとつで飛んでいってしまいそうである。
「触んないでくださいよ」
「利き手は使えないし、それくらいの分別はある」
「そーっすか……」
たっぷりと部品を見学し、少年は改めて部屋を見渡して顔をしかめる。それから床に落ちているゴミを拾い始めた。
「あらあ? なんですか、俺の彼女にでもなる気ですか?」
以前に話したことを掘り返し、茶化すように少年の行動を眺めた青年に、少年は「あほ」とだけ言う。先ほどまで素直に青年の仕事に感心し、尊敬の眼差しすら送っていた人間とは同一人物とは思いがたい落差である。
口の中のアメをゴロゴロと転がしながら、青年は手伝うそぶりをちっとも見せない。その様子に少年は何度か文句を言うが、青年はどこ吹く風で受け流す。片付ける暇がなくて散らかったというよりも、片付ける気が最初からないというようだ。
少年はまず、あちこちに放られたゴミを拾い集める。そのほとんどが煙草のケースである。それから、資料の下敷きになった新品のゴミ袋を見つけ出し、ゴミを放り込む。あらかた落ちているゴミを拾い終わり、次に昨日タンスをあさって出てきたものたちを片付ける。
「あ、そうだ」
服をたたんでいた少年は、しまったと言わんばかりに服を放り出して入り口に向かう。マットの上に置いてあるランドセルが目的らしい。ランドセルを開けて、中から紙袋を引っ張り出し、中身を確認してから青年に手渡した。
「なんですか、これ?」
「昨日、服が水で濡れたからって服を貸してくれたのを忘れたのか?」
「ああ、それですか。サイズ、大きかったでしょう」
「大きかったでは足りないくらいだ。引きずったから泥だらけになってしまって、汚れがこびりつきやしないかと思ったぞ。それにたたみづらくて」
「そりゃわざわざどうも」
紙袋を受け取った青年は、中を確認する。苦労したと少年が言うわりには几帳面にピッシリとたたまれている。それでも、自分の体より大きな服、くわえて利き手が不自由なのだからずいぶんと苦労したのだろう。
(そうか、大人がいないんだったっけか)
それから少年はまた部屋の片付けを再開した。
青年は懐のポケットをまさぐり、新しい煙草のケースを探し出す。ビニールを破り、銀紙を取って一本取り出し、少年と煙草を見比べる。
(吸いてえな……。けど、ぼうやがいるしなあ)
なかなか煙草をくわえられないでいる青年に突然、少年からなにかが飛んでくる。それを避けずにみごとキャッチした青年は、いったい何が飛んできたのかと手のひらを確認して、苦笑いをこぼした。
「いいんですか?」
「下手にガマンすると、本数が増えるって言うからな。なら吸いたいときに吸えばいい」
青年の手の中にはライターがあった。片付けをしていた少年がたまたま見つけたらしい。「どうも」と言い、青年は煙草をくわえ火を灯した。煙が煙草の先からまっすぐにあがり、しだいにグニャグニャと曲がって消えてゆく。
タンスの中にあらかたしまい終わり、少年はぬいぐるみをじっと眺めている。タンスの中に入っていたらしいそれは、愛嬌のある顔立ちでどうにも青年と結びつかない。
「あげましょっか、それ」
「別に、ぬいぐるみなんて子供じみたものいらない」
「子供じゃないですか」
「そんなものは何年も昔に卒業したのだよ。それに、ぬいぐるみなんてもらっても使い道がない」
どうにも少年の言葉は、強がりのように聞こえる。
タンスの中にぬいぐるみを押し込んだ少年は、パイプ椅子に戻り、カップの中のコーヒーを飲み干した。ミルクも砂糖も入っていないのだが、少年はやっぱり顔をしかめない。それは強がりではないらしいことに気付いた青年は驚いた。
「ミルクや砂糖、ちゃんとあるじゃないですか」
「甘いのは嫌い」
「はあー、変わったお子様だな。ブラックで飲んじゃうなんて」
青年のコーヒーはミルクによってまどろむような色だし、常に砂糖を放り込んでいるからきっととんでもない甘さだろう。しかし青年はまだ砂糖を入れたりないのか、少し口をつけて眉を引きつらせる。
片付ける場所も特になくなり、手持ち無沙汰になった少年は青年を見る。なぜ見られたのかわからない青年は、とりあえずと少年に笑いかける(不自然でひきつった微笑みだったけれど)。それを見た少年はため息をついた。
「なんでそういう反応なんでしょう」
「無精ひげ生えてるし、服も前と変わらないし、髪はぼっさぼさだし、コーヒーは砂糖を五ついれてもたりないような甘党だし、部屋の片付けだってしないし、ぬいぐるみなんて似合わないもの持ってるし、愛想笑いもへたくそ。こんな男が、俺たちの生活を確保するための仕事をしているなんて」
「へいへい、すみませんねえ、無精者で」
「不思議な大人だ。お前は俺をあまり子供扱いしない。他と比べて、だ」
青年はドリッパーを取り、少年のカップにコーヒーをさらに注いだ。
少年の言うとおり、青年はあまり少年を子供と見くびっている風がない。軽口はたたくが、難しい話でも平気で少年相手にしている。そして少年がそれを理解するからさらに会話が進む。
「ま、それも個性ってやつなんでしょ。みんな大好きじゃないですか、『自分の個性』ってものが。そんなもの、PTOによっちゃ邪魔になるだけだってのに」
「それがこの国の特性、だろ。おもしろいではないか、これから独自性を生み出してゆくのだから」
「……あんた、本当は、十歳じゃないんでしょう?」
「嘘をつく理由などない。ただ、周りの十歳が愚鈍なだけだ。ま、これが俺の『個性』ってやつなんだろうな」
客観的に自分の個性を見出した少年は、達観したような笑みを見せた。