「クローン、って言うと、どうも一般人は『まったく同じ顔をした自分と同じ人間』というイメージを抱いている節がある。だが、それは当たり半分はずれ半分だ。『まったく同じ細胞から作られた別の人間』という見解がちょうどいい。育て方さえ変えればいくらだって違う人間になる。それに、年だって基本的には違うもんだ。自分と同じ人間なんて認識は難しい」

 煙草を持つ手でゆらゆらと手振りをしながら男は話す。それを青年は口元を隠したまま、真剣な眼差しで見つめている。

「ならば、二十歳であるぼうやはいったいなんなのか――これが一番の疑問だろう。それは簡単な問題だ。成長速度を速めただけのこと。ではどうしてぼうやには被験者の記憶があるのか――これは俺の研究の応用だ。ぼうやの脳はまだ生きていた。けれどとても再利用できるシロモノではない。だからそれを摘出して長期記憶のみを移行した。エピソード、意味、陳述、非陳述、プライミング。主にこれらのみを移行した。自伝記憶は死滅していたからぼうやは、あまり自分のことを知らないんじゃないか」
「自分のこと?」
「例えば、家族のこととか」

 男に促されるままに青年は目をつむり、思い出そうとしている。だが、青年の口は開かない。
(……そうだ、針が嫌いな理由がわからない。たしかに、嫌いな理由があるはずなのに! 肉じゃがを作ってもらったときもオジサンは『ぼうやには母親がいない』というようなことを言っていた。俺は一括して『覚えていない』と答えた。そうだ、オジサンが“そう言ったから”、“俺には母親がいない”ということで納得した)
 視線を下に落とした青年に男は言葉を続ける。

「くわえて、展望記憶も拾えなかった。将来についてぼうやはなにも考えていない」
「若いうちならよくあることだ」
「それでも、漠然としたことを思い描く。小さい頃になりたかったもの、をぼうやは知らない。作業記憶もまた死んでいた。時折つたない発言になっていたことを自覚しているか? していないだろう」

 次々に男から与えられる情報に、青年は少し混乱しているようだ。眉間に深くしわをよせ、口を曲げて頭をかいている。

「それでもぼうやがこの研究所を覚えていて、なおかつまたここへたどり着くことができたのは……きっと、最後の印象があまりに強かったからだろうな。で、ぼうやはまだなにかを知りたいと言うのかい?」

 男は薄ら笑いすら浮かべて、灰皿に煙草をもみ消した。それが男にとって目一杯の虚勢であることを青年は知っているのか、きわめて深い呼吸で一拍置いた。

「変だ。あのエネルギーというものは言わば、宇宙に大きなむしめがねを据えて、それを地上に送っているようなものだろう。それなのに、この町並みが以前と変わらない状態を保っている理由、そして、生きた人間が多くいる理由、オジサンも生きている理由」

 この状況で、冷静に疑問を並べることができるというのもまた稀有な人材である。おそらく青年の記憶のうちにある、取り乱した挙句の惨事が青年に冷静であることを強要しているのだろう。冷静さを欠いた決断にはろくなものがない。
 男もまた表面上は落ち着いたものである。

「研究所は受け皿として存在するから無事だった。俺も地下にいたからな。だが一般家庭はそんなこたない。焼け野原さ。十年やそこらで簡単に復興するレベルの問題じゃない。鎮火に何週間もかかった。絶望的な状況下、生存者は片手で足りるほどだ。――この町は、レプリカントだ。クローンの応用というには分野が違いすぎるだろうが、“一般人のよく知るクローン”に最も近い、それがレプリカント。中の人間たちはみんな、成長促進のクローンだ。そのぶん、死期は早いだろうが」
「俺もそのなかのうちのひとりである、と」
「だが、あんたは死んだ人間のうちで最もナマの部分が多かった。だから利用しやすかった。そして一番出来がよい」

 男は、わざと温度の持たない言葉を選んでいる節がある。その言葉はある種の贖罪に似ていた。無理に自分を冷酷なマッドサイエンティストに仕上げたて、青年に罵倒されるという舞台を作っているのだ。
 だが青年は男の意思に反して言葉少なに、事実を反復するだけだ。その様子に、男のほうがむしろ焦っているようだ。

「わからんな、お前がそこまでしてこの町の再生をしたのか」
「町の再生や住民の複製を作ったのは俺じゃない。研究所の中のやつらだ。俺が手をかけたのはぼうやくらいさ。おそらく被験者の記憶を持っているのはぼうやだけじゃないか」
「さあ、他のやつらとは話さない」
「どうして俺を責めないのか、聞いていいか」
「理由が見当たらないからだ」
「なぜ? 非人道的だ、だとか、自分勝手だ、だとかいろいろあるだろう」
「そんなこと俺が関知するところではない。非人道的であるとお前を批難した場合、その『非人道的な手段』によってここに存在する俺はなんだ? 俺の存在を否定することを俺が言うものか」

 まるでくだらない、と吐き捨てるように青年は言った。男はますます動揺した。

「俺は、ぼうやが好きだった。年のわりに達者な口や、若い俺をオジサンオジサンと呼ぶのがおもしろかった。会おうしなければ誰にも会うことのないこの部屋で延々とひとりで生きるのが耐えがたかった。ぼうやと話したかった。自分のことをあまりしゃべらないぼうやのことを、想像でしか知ることがなかった。ぼうやのことを知りたかった。支えになるとかそんな傲慢なことは言わないけれど、俺にいろいろと話してほしかった。年の差はあっても、たしかに友達になりえた、ぼうやは」
「それが『自分勝手な理由』か。……だが、本当に“自分勝手”であったか?」

 とたんに全てを見透かしたような目で男を見据えた青年は、厳しい語調で言う。
 男は意図が掬えなかったのか怪訝な顔で青年と視線を交わす。

「俺の足りない記憶のベースは、おそらくオジサンになっている。あっさりとこの事実を受け入れられたのも、こうして冷静でいられるのも、挿し木イコールクローンと知っているのも、オジサンが考えつきそうなことも、手に取るようにわかる。――依頼の研究、それを使ったのだろう」
「さて、なんのことやら」

 とぼけた調子の男を青年は笑った。

「すっとぼけたって無駄だ。分厚い専門書が並ぶ本棚にひとつ、異質な文庫本。物語調のそれは決して出来のよいものとはいえない。なぜオジサンが今さらそれを手に入れたのか。簡単だ。オジサンはその内容に興味を示した。つまり――手をなくしたのなら手を、足をなくしたのなら足を、目をなくしたのなら目を。オジサンは安易な自己献身を行った。俺ひとりのためにな?」
「どうしてそんなことを」
「パターン化された思考の脳の開発」
「俺の思考はパターン化されちゃいない」
「ある一点において、それはパターン化されている」
「たとえば」
「俺を『ぼうや』と呼び続けることや、敬語を使い続けること。これほどの外見になったのならば『ぼうや』と呼ぶのには適さない」
「揚げ足取りだな。第一、俺は敬語なんざ使っちゃいない」
「それは今の時点での話だ。この話題になったところで、パターンから外れてしまっている」

 答えに窮した男は、また煙草に火をつける。

「つまり、俺の脳には一部オジサンの行動パターンが刷り込まれている。煙草を吸ってみよう、としたりな」

 手を差し出した青年に、男は不愉快げに煙草を手渡した。青年が煙草をくわえると、男はライターに火をつけた。男に火をつけてもらいながら、青年はフィルターを吸い込む。
 紫煙を吐きながら青年は続ける。

「作業記憶というものは刷り込まれていなかったらしいな。煙草の吸い方は知らなかった」
「……お手上げだ。よくもまあ、そこまで考えることができたものだ」
「だから、俺の思考パターンもまた、オジサンと似ているのだよ」

 それから、青年はつけたした。

「安易に『自分勝手』とは言わないものだ。自分の都合ばかり考えて勝手に振舞う人間は、そんなことはしない」

 負けた、というように男はおどけて両手を挙げ、ふっと笑う。それを見て青年もまた同じように笑った。
 二人の間に緊迫としたものは微塵もなかった。長年付き添った友人や夫婦のように、言葉なくしてもわかりあうという特殊な状況になりつつある。

「――で、いったいどの部分が機械なんだ」
「ま、脳の一部はそうですね。皮肉にも依頼の研究程度に自分が被験者になっちまったがな。ほかは、どこだったっけなあ。腎臓とか一個で事足りるものは、内臓類は非常に再生に手間取りましたんで手っ取り早く。あとはいろいろ細かいとこでね」
「ご苦労なことだ」
「いえいえ。けど、ぼうやの考えるように、俺はそこまで自己献身なんてしてませんで。ほとんど、ぼうやの生身を保護しておいたもんですわ」

 二人ぶんの紫煙が部屋中を覆う。

「ともなると、俺の今後の身の振り方が問題になるわけだ」
「そろそろ帰られますか?」
「いいや、帰らない」
「おや」
「今、オジサンをひとりにしたら年甲斐もなく泣きそうだからな」