スープで汚れてしまったので、直江さんに着替えを渡して脱衣所に押し込んできた。その間に俺はカップ麺を食べて、堅苦しいスーツから部屋着に着替えた。なんだか息苦しいと思ったらスーツだったんだ、俺は。
脱衣所から聞こえてくるガタガタという激しい音が気になったが、彼のあの重装備を解いている音だと思えば不思議ではなかった。俺もまだ若い。こんなにも順応力がある。
特別にやることがなくなると、ぼんやりと彼のことを考えることしかやることがなくなった。
そういえば、メシ食う前なにしていたっけ。ああそうだ。愛についてうんたらと話していたのだった。未来人が愛について考えているというこの取り合わせも十分おもしろい。人間は(もしくは宇宙人かもしれないが)いつまで経っても愛というものに頭を悩ませているらしい。たしか、俺の言う『愛』が『憎しみ』に見える、という話だった。
そこまで考えたところで、俺の渡した服に着替えた直江さんがドアの向こうでジッとこちらを窺っていることに気付き、手を振った。すごすごと部屋に入ってきた直江さんは随分とすっきりしたように見える。頭の長い兜はなく、爽やかな短髪を後ろで纏め上げている。これは好印象だ。そして体つきも、先ほどまでの印象とは一転、平均的なやや華奢なものだ。随分と着込んでいたらしい。もっとガッシリした人間かと思っていた。
「おや。上、反対ですよ」
よくよく目を凝らしてみると、上のロンTが前後反対だ。なるほど、わからなかったのか。それなら、よく着ることができたと感心するべきだな(ジーパンも)。
「む、この広い口のほうが頭だったか?」
「いえいえ、前後が」
そう言ってやると納得していないのか首をかしげながらもぞもぞと前後を直し、ぺたぺたと服を手のひらで叩く。薄着で不安なのだろうか。しかし部屋の設定温度はけっして寒くはない。じきに慣れるだろう。
「しかしなんだあの食べ物は。塩っ気が強くてとてもじゃないが」
カップ麺に対し文句を言っている。未来人は塩気の少ないものを好んで食べるのか。
椅子に座るように目で促せば、大人しく座る。初めのような図々しさみたいなものがまるで感じられない。拒絶されると燃えるたちなのだろうか。俺がこうも好意的だから戸惑っているのかもしれない。しかしこれほどおもしろい機会を逃してたまるものか。
「で、どうして俺の言う『愛』が『憎しみ』に見えるんでしょう」
「んむ、そんな話だったな。まず聞いてみたいのだが、島殿は誰かを愛しているか?」
「誰かを? さあ。どうでしょう。特定の個人を愛している、と感じたことはありません」
「なら、人間を愛しているのか?」
でかいところにきた。人間、というカテゴリだ。人間にもいろいろいるし、俺がどうにも気に食わないと感じる人間だっているはずだ。だから『人間を愛している』とは言えないだろう。
けれど俺の理論でいけば、俺は人間の大半を愛していることになる。
「依存、ですか。そうですね。人間は一人では生きていけないってのが定説だ。俺の言うとおり依存が愛であるのならば、俺は多くの人間に依存しているだろうから、人間ほとんどを愛しているのかもしれない。だが、なぜそれが『憎しみ』になる?」
「憎んでいるようにしか見えないな。『愛』というものを作った人間を、かもしれない。私は島殿ではないからわからないが、自分にだってわからないことはある」
「答えになっていないぞ」
「そうだな……。私も直感的にそう感じただけだからあまり掘り下げて聞かれると困るな。引っかかる部分は『依存』だ。愛を依存とし、依存は束縛となりうる。なるほどそういう考え方もできる。だがあまりに温度がないとでも言うのだろうか」
「それは、単純に『お前の言う愛と自分の愛とは違う』って違和感に『憎しみ』って名前をつけただけなんじゃないでしょうかね」
「いや、違うな。憎しみだった」
らちが明かない。
明確な理由もなしに一方的に押し付けられても困るものだ。なぜ『憎しみ』に見えたのか興味があったのに、なにひとつ解決していない。
「まあこの件に関しては、まとまったら教えてくださいよ。それより直江さんの『愛』ってどういうものなんでしょうかね? そこんとこ、気になるのですが」
「私の愛?」
そう話を振ると、待っていましたと言わんばかりに直江さんは身を乗り出し、唇を湿らせた。話してみたい、といった様子がいやというほどにわかる態度だ。
そうだな、といくつか唸り、彼は俺の目をまっすぐに見据えた。
「私は、全てを愛したいな」
「全てって」
「文字通りだ。そこらへんに生えているであろう雑草や、目の前にいる島殿、見たことのない秀才も凡人も一様に愛せれば素敵だ」
「そりゃ、ご苦労なことで」
彼から見れば俺は『大半の存在を憎しんでいる』ということになる。反して彼は全ての存在を愛したいと思っている。
だがそんなものは奇弁だな。文字通り、奇妙だ。言ってしまえば理想家だ(偽善者なんて言葉は当てはまらない)。どうにも歯が浮くような台詞で、聞いていて首を傾げたくなってしまう。
だって、人間ではないか。人間には喜怒哀楽という感情があるし、彼の言ったとおり『憎しみ』という感情もある。怒や憎が彼には欠落しているとでもいうのだろうか。それとも人間を超越した何か(宇宙人)なのか。頭が沸いているとしか思えない。
「不思議だろう。だがな、いかなる感情も愛に帰結するのだよ」
「そういうものか? 愛は愛だろう?」
「おっと、そろそろおねむの時間だ。寝るところを貸していただけないか」
流された。流されたぞ。
愛ってなんだ。愛ってなんだ。彼はいったいなんなんだ。なにを考えているんだ。
「私の考える愛とは、すなわち『護る』というものに似ているかもしれない」
「つまり、『護りたいもの』が『愛したい、愛するもの』ということですかね」
「そういうことになるかな」
「わかるような、わからないような。いいでしょう。それを俺なりに覆してみましょうか」
「おお、それは楽しみだ」
多分、根の部分では俺と直江さんは似ているのだろう。言葉をこねくりまわすなんて久しぶりのことで、上手く舌が回るかどうか不安だが、なるほど俺はこの話題に興味を持った。
愛か。あまり考えたことがないな。
12/02