うっかりしていた。今日もなにも買ってきていなかった。忘れるにも限度があるだろう。
 なにかないだろうか、と血眼で台所を漁っていたら昔に買ったらしいカップラーメンに出会った。首の皮一枚つながったと言っても過言ではない。やかんに水を張ってコンロで熱しはじめた。すると、直江さんがひょっこりと姿を現し、不思議そうにコンロを眺めている。

「こんなところに火種があったのか」
「火種はありません」
「む?」

 どういうことだ、と言外に問いかけてきたが、俺もコンロの仕組みに詳しいわけではないからどうとも説明できなかった。ただ、ガスコンロというくらいなのだからガスで、火がボッと出るんじゃないかなあ、程度だ。
 しかし、ガスコンロも知らないのか。本格的に今の文明は失われてしまうのだろうか。それは、俺が死んでからずっと先の話なのかもしれないし、今この瞬間なのかもしれない。俺が生きている間は平和でいてほしい、なんて自分勝手な願いがふと頭を掠めた。

「ああ、そういえばだな。私が出てきた場所があるだろう」
「引き出しですかね」
「引き出しか。あそこから出てくるのは非礼だと知っていはいたのだが、どうにもあそこに出てしまったのだ。どうやらあの引き出しからではないと駄目のようで。今後も非礼を重ねるとは思うが決して他意はない」
「はあ……」
「それと、あの引き出し、私が出てきたら壊れてしまった」
「大丈夫です。この間壊れたので」

 そういえば、自分で試したときに壊れてしまっていた。いい加減直さなくてはな。とはいえ、滅多に使うこともないから直さなくてもいいような気がするが、直江さんがやってくるのなら直しておいたほうが……、と、まて。直江さんはこれからもやってくるつもりか。不法侵入……いや、その発想も無粋なものだ。中学校で卒業したと思ったSFをリアルに感じられる貴重な機会だ。直江さんも頭のアレな人ではなく、本当にそれのようだから、むしろこのチャンスを堪能してみるのも悪くはないのではないだろうか。
 そうだ、そうだな。
 一度受け入れてしまえば、なんだか俺はとてつもなく楽しい状況に置かれているということに気付いた。未来人がタイムマシンを使って来訪だなんて、千載一遇どころの話ではない。
 未来にはタイムマシンがある。そして、未来は過去だ。なぜ過去かというと、彼の出で立ちや言葉遣いなどがそれらしいものだからだ。
 よし、後で引き出しを直そうか。

「ん? 島殿、機嫌がよくなったようだな」
「そうですか?」
「ああ。なんだか、こんなに機嫌のいい島殿は初めて見る」
「そりゃよかった」

 直江さんが来ているときに、特別機嫌が悪かったわけではないのだが。たんにどう扱えばいいのかわからずローテンションのままグダグダと流していただけだ。まあ、受け入れてしまえばおもしろい。ハイテンションになるのも無理はない。
 やかんの水が熱湯になったところで、カップラーメンに湯を注ぎ、ふたをしてハシを乗せる。それをリビングに持っていき、テーブルの上に置いて時計を見る。三分間だ。
 椅子に座ると、直江さんは小動物のようにビクッと肩を震わせて、俺の様子をうかがっている。ああ、そうか。未来にはテーブルや椅子もないのか。とことん遡っている未来だ。

「今の時代は、こうして椅子に座ることが多いんですよ」
「なんと。いったい何に使うのかと不思議だったのだが……」
「どうぞ、座ってください」

 そう勧めると興味津々に椅子を眺め、なぜか跨ぐような格好に落ち着いた。

「こ、こうか?」
「なぜ俺の真似をしないのですか……」
「あ、そうか。馬に乗るような具合でやればいいのかと思ったのだが、すまない。こうだな」

 馬!(未来は移動手段まで遡っている)
 そうか、車や自転車なども失われているのか。なんだか世界をやり直しているようだ。また未来で過去を始めて現代に戻り、未来へ向かい、そして過去に。考えているうちに意味がわからなくなってきた。
 そう考えると、発達している文化というものはタイムマシンという一点しかないように思える。なぜ、中間の様々な文化をすっ飛ばしてタイムマシンなのかは腑に落ちないが、彼を見る限りはそうとしか思えなかった。
 おもしろい。過去の人間が未来にやってきた、と考えるのと似たようなものか。
 カップ麺のふたをはがし、箸で中をかき混ぜながら痛いほどに突き刺さる視線を感じた。もちろん、視線の主は彼しかいない。
 そういえば、自分の空腹ばかり考えていて彼に対する対応もなおざりだった。

「腹、減ってるんですか? なにか食べますか……、と、たいしたものは本当にありませんが」
「いや、大丈夫だがその食物……、初めて見る」
「……」

 物欲しげに見つめるのではなく、未知の食べ物に対する純粋な警戒心がありありと見て取れる。そうか、食べ物も現代とは違うのか。今までの通り過去の食生活なのか、それともまた独自の食文化を営んでいるのかは知らないが、未来にカップラーメンはないということだけはわかった。こんなに便利な食べ物がないなんて。
 あまりに見つめてくるものだから、自分が口をつける前に彼に現代の食を教えてやろうという気になった(これこそ異文化コミュニケーション)。

「他の方の飯を頂戴するなど、不義の極み。気に召されないでいただきたい」
「いやいや、でも気になるんでしょう。どうぞどうぞ」
「ならん。そんなはしたないこと出来るはずもない」
「郷に入っては郷に従えって知りませんか? 俺がいいって言ってるのですから」
「む……」

 どうやら、このことわざは知っていたらしい。少し悩んでから、カップ麺とハシを受け取り、あらゆる角度からそれを見つめ、ニオイを嗅いでいる。こう言ったらなんだが、新種のペットを手に入れたみたいだ。
 それからハシで麺を掴もうとしているが、つるつるすべって上手くつかめない。何度かそれを繰り返し、麺を諦めたのか、スープに口をつけた。

「あづっ、いや、なんだこれは! ぎゃ! 熱い!」

 なんとも落ち着かない。
 口をつけてから熱かったことに驚き、それからなにかに文句をつけて、反動でこぼれたスープに手がぬれて熱いと叫ぶ。そしてびしゃ、とこぼれたスープを見て目を回している。
 まあ、中身が無事ならば問題はない(いや、そういう問題でもなかったか)。





12/02