愛についてすっきりとしたわかりやすい結論を得て久しぶりに何も考えずに眠った。目が覚めたら普段家を出る時間だったから冷や汗をかく暇もなく家を飛び出し、なんとか出社時間にすべりこんだ。顔を合わせるなり豊臣さんに昨日のことを謝られて、気にしないでくださいと爽やかに言う。それからいつも通りにパソコンとにらみ合い、エクセルを散々にけなしたり褒めたりを繰り返し、コーヒーをいただき、世間話をして帰宅。
 そこまではいつも通りだった。いつも通りではなかったのは、家の様子だった。朝は十分に明るかったから電気などつけない。寝る前は絶対に電気を消した。だが電気がついている。空き巣だろうか。
 ニュースでも物騒な事件をよく報道している。そのこともあり、冷え切った手のひらに汗を握った。殺人というニュースがもはや日常と言っても過言ではないほどメディアは流している。空き巣に襲われて……というニュースも昔見たことがあった。
 なにか武器になるものはないだろうか。だが、しがないサラリーマンの武器といえば今やパソコンだ。そのパソコンも会社に置きっぱなしだ(あったとしても役に立たない)。周囲に棒みたいなものはないかと探すが、ないようだ。こうなったら、学生時代に柔道で鍛えた腕がなまっていないことを祈るばかりだが、相手が刃物とかスタンガンとか持っていたらどうしよう。スタンガンはともかく、刃物はありうる。家の中には包丁もあったはずだ。
 俺は決して死にたくない。だが、ちょっとばかし賭けてみたくなったので、武器らしい武器も持たずに鍵穴に鍵を差し込んだ。もしかしたら遅刻の混乱で電気をつけるという意味のわからないことをしたのかもしれない。
 カタリ、と開錠の音がする。なんだ、やっぱり電気の消し忘れだ、きっと。
 そう安心し、ドアを開けて家の中に入った途端、人の声がした。

「島殿、久しぶりだな!」

 数日前、俺の考えたことが水泡に帰したと思ったが、その考え自体が水泡に帰した。
 そこには例の白い奇妙な兜を被った未来人――直江さんが立っていた。

「……ええと」

 人の声がするなんて考えてもいなかっただけに心臓がいまだに落ち着かない。ついでに思考もまとまらない。夢だと思っていた未来人の来訪が現実だったらいいということでオッケーなのだろうか。しかも久しぶりとか言われちゃった。
 直江さんはにっこにこと満面の笑みでぶんぶん腕を振り回し、なにが楽しいのか俺の肩をぽんぽんと叩く。本当になにが楽しいのだろう。俺はちっとも楽しくない。

「いやはや、興味深い話をたくさん聞けたよ。それで、島殿のほうはどうだったか?……と、立ち話もあれだな。部屋の中がちょうどいい温度になっていたし、そこで話そうか」

 そうだ、タイマーは毎日に設定してあった。未来にはそういう概念がないようだ(それとも、宇宙人だからか?)。
 多分、これも夢だ。なら、いつの間に俺は眠ってしまったのだろう。昼、かな。昼にうたた寝してしまったに違いない。ああ、目が覚めたらまた午後の仕事をこなさなくてはならないとはなんとも悲しい。
 直江さんに誘導されるまま、俺はリビングに向かい、正座した(だって彼が正座するんだもの)。リビングの床にはホットカーペットもなく、冷たいフローリングにじかに座るという大変しんどい事態に陥った。いくら部屋が暖かいとはいえ、冷たいものは冷たい。床暖房にしたいと思うが、財布的に余裕がない。
 さて、ピンと背筋を張ったまま膝を進めた直江さんは開口一番にこう言った。

「愛だがな、人によって多様な見解があった。つまり、愛とは個人差のあるものだということ」
「でしょうねえ……」
「愛がわからないと言う島殿に愛を指南する、と言ったが、愛が人によってまったく違うものであると認識した以上、島殿に愛を指南するということは押し付けになるとわかった。だから、私は愛をこれも一例だ、として教えようかと思っている」
「はあ……」

 未来人にも現代の法を適用できるならするが、本当に宇宙人だった場合、人間の法を適用できるのか? 郷に入っては郷に従え、とは人間の(それも日本人の)感性だから、宇宙人には関係ないのではないか? だとしたら警察に突き出しても無意味になる可能性も……。
 だが、それ以上に俺には好奇心があった。あれこれ考えて自分の胸に落ちる結論が出たのだ。直江さんの様子からして、『他人の愛』を頭ごなしに否定している様子もないし、『これもまた一例』と納得してくれるかもしれない。だから俺は、話してみたくなった。未来人とも宇宙人ともしれない愛を語るこの不思議な男に。

「で、その前に、島殿は愛について考えたかな? まずは自分で考えることが肝要だ」
「考えましたよ。俺なりに」
「ほう、それはいかがなものに」
「愛っていうのは、依存と同義語なんじゃないでしょうかね?」
「依存と?」

 直江さんは意外だとでも思ったのか、唇をすぼめて首をかしげた。俺と同じ答えを出した人間には会わなかったのだろうか。続きをせがむように目を輝かせているものだから、俺は慎重に言葉を探した。

「ええ。愛というものの抽象的なイメージが、依存という言葉にぴったりと当てはまるんです。それがなくては自分は存在しない。これくらい強く断言するものが愛。依存はそれから束縛になる。それが愛。愛している人間が別の人間とイチャコラしているのを見て腹が立つのは『自分は相手に依存しているのに相手が自分に依存していない』という感覚。そしてそれはイコールで束縛」
「ふうむ。難しいな……」

 難しい。そうだろう。人間というものは自分の感情に関してもうまく説明できないものだ。他人の考えていることなんて、もっと理解しがたいものに違いない。
 アゴをなでながら直江さんはしばらく考えるそぶりを見せる。それから口をまごつかせながら、控えめに言った。

「……それは愛というよりも、憎しみに似ている」
「憎しみに?」

 不思議な返事がきたものだ。俺は得々として自分の愛について語ったというのに、彼はそれが憎しみに見えるときたもんだ。たとえ同じ花を見ていようと、自分の見ている花と他人の見ている花が同じ色とは限らない、と言ったところだろうか。俺には愛に見える。けれど彼には憎しみに見える。
 一体なぜそう思ったのか、どういう見解なのか気になったところで、俺の腹がとんでもない音を出した。そういえば、昨日の夕飯も今日の朝飯もろくに取れず、昼は仕事でそれどころではなかった。ここまでなにも食べないでいると、腹が減っていることも忘れてしまう。
 ぽかん、と直江さんが俺の腹を見つめ、やがて大声で笑い出した。

「ははっ、鬼の左近も空腹には勝てぬか!」

 鬼の左近?
 なんだその、時代遅れな通り名。ヤンキーか(というか勝手に変な呼び方をするな)。





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