「愛って、なんだかなあ」
なんて一言で現在がある。
それを耳ざとく拾った豊臣さんがおもしろそうにあれこれ喋り始めて、この間のようにコーヒーを持ってきた阿国さんがどういうわけか嬉しそうに口を挟んできた。『島もようやく結婚を考えはじめたんか』『うちと一緒に出雲に帰りましょ』『愛っちゅうのはな……』
あまりにやかましかったものだからともかく二人を黙らせて放っておいてくださいと言ったら帰り際に二人に拘束されて否応なしに車に詰め込まれ気さくな居酒屋へ連れてこられた。それが現在だ。
そもそもどうして俺が『愛』ってなんだろうな、と言ったかは考えるまでもない。この間の夢だった。感情全般への懐疑ももちろんあったのだが、なぜか愛だけをテーマにしていたからそれが不思議だった。だから暇を見て、感情を言葉にする云々とは別に考えていた。そしてぽつりともらしてしまった。
俺も俺で、怒らずにウーロン茶とイカリングをいただいている。ここは俺も少しは怒って不機嫌を押し出して行けばいいのだが、哀しき日本人サラリーマンである。無礼講と言われても本音など出せないのだ。そういうわけで俺はどうにか『愛』については触れないでほしい、と慎重に話題をそらしそらしと気を割いている。
しかし、それも無駄な努力だった。順調に『愛』なんてとうてい関係なさそうな話題になったかと思ったら俺が地雷を踏んでしまった。
「豊臣さん、最近はコッチのほう、大人しいですね」
コッチのほう、とは女遊びのことだった。豊臣さんの女好きはほとんどの人間が知っているに違いない。新入社員の女の子には必ず声をかけていたし、仕事帰りにも女遊びをしているって話だ(しかしまたえらい恐妻家らしい)。
「そろそろなあ、ねねに本気で怒られそうで……、と、おっと、忘れとった忘れとった。左近とうとう本気になったんか?」
「うちと出雲に帰る気になりはったんどすか?」
今までにこにこと俺と豊臣さんの話を聞いていた阿国さんも、身を乗り出すように聞いてくる。
二人は俺の言った『愛』を色恋沙汰のほうに捉えたらしい。あまり関わられるのもイヤだが、ここまできてなんでもありません。はもはや通用しない。
「いやいや、違います。そういうことじゃないので」
「違う、ってなにがじゃ?」
「だから、『愛』ってその、恋愛だとか結婚だとか、関係ない次元の話で」
「お布施のようなものなんどすか?」
「いや……多分、違うと思います」
なんとも扱いにくい人たちなんだろうか。
人のペースに乗せられるのがどうにも癪で、いつも先手を取って自分のペースで物事を進められるようにしてきたのだったが今回ばかりは後手に回ってしまった。なにしろ強引にこんなところまで連れて来られてしまったのだから。
豊臣さんはわずかに興味を失ったようにコップの酒を飲み、阿国さんは首をかしげながら枝豆を食べる。……ああ、なんだか、扱いにくい。
「ふーん。へー。じゃ、島はもうしばらくは独身なんじゃな」
「なら、その『愛』って、どういうもんなんです?」
自分の考えに賛同が得られるなんて思ってもいないし、言ったところでいつも通りあれこれ説明されるだけで結局わからん、で終わるだろう。なら、時間をかけてあれこれ自分の思想を曝け出すなんて無駄だ。
「別に……、ただ、『愛』がムカつくんですよ」
端的に言えば、そうだった。
居酒屋を出たときに知ったのだが、その店の名前は『木ノ下』、俺の家からさほど遠くない場所にあるものだった。カラカラと横に流れるドアには『木の下でちょっと一杯、いかがですか?』と書いてある。文字通り、その建物の隣には大きめな木が生えている。生憎、なんの木かはわからない。
相変わらず真っ暗な部屋に到達すると、どっと疲れが押し寄せてきた。今日は少し暖かい。帰るころを狙ってエアコンのタイマーを設定しておいたからだ。けれど今日は例外的に帰るのが遅くなった。なんてったって、車を運転していた豊臣さんが酒を飲んだせいで、駅まで阿国さんを送り、豊臣さんの家まで俺が運転して送り届けたのだ。奥さんが家にあがれとやたら言ってきたがそれも丁重に辞し、それから最寄り駅まで地道に歩き、スーツ姿の男だらけの電車に揺られて帰ってきたのだ。
居酒屋から歩いて帰れば二十分ほどだったのに、二時間もかかってしまった。人生に寄り道は必要だとは言っても、これは不必要な寄り道だと思う。なにも得るものがなかった。
酒も飲んでいないから体は冷え切っているし、イカリングしか食べていないから小腹が空いているってのになにも買っていない。散々だ。
寝室に敷いてあるホットカーペットに寝転がってタバコに火をつけた。もともとセッタをよく吸っていたが、ニオイがどうにも気に入らないので最近赤ラークに変えた。タバコを吸っていると、空腹を忘れることができるからよく吸う。いつのまにか依存していた。
そのとき、愛について自分の納得できそうな言葉を見つけた。
依存、愛とは依存することか。
言葉を学んだ人間である限り、自分の感じたこと考えたことをすべて言葉に収めなくては気がすまないのだろう。俺は愛と依存をイコールで結んだ。
さて、どういった前例があってそうだと思ったのかわからないが、依存するということすなわち愛ではないか、と思ったのだ。依存するということはそれがなくては自身を保てない、抑制が効かないということだ。愛もまた似たようなものなのかもしれない。
つまり俺はタバコを愛しているということか。不思議な結論になってしまった。
タバコに依存するような感情を人間に対し抱いたら、それは“愛している”ということになる。少なくとも、俺の論理ではそうなる。これは不正解ではない。感情というものはやっぱり、個人の主観で違う。俺の愛とはこういうものなのだろう。タバコも人間も変わらない。
嬉しい、はタバコを吸えて嬉しい。苛立つは、タバコが吸えずに苛立つ。悲しい、はタバコを一本駄目にして悲しい。つまり、こういうことなのだ。これを人間に置き換えればいいんだ。
ああ、なんだ。意外と簡単なものだ。豊臣さんが『意味わからん』と言ってもそれはお互い様なのだろう。俺も、豊臣さんの言う『愛』をきっと『意味がわからない』と思うだけなのだ。
すっきりしたところでタバコがフィルターまでふすぼってしまったのでそれを灰皿でもみ消し、布団にもぐった。
今日はゆっくり寝ることができそうだ。
12/02