わからないわからないとうんうん唸っていた直江さんを、三成さんはなぜか怒りながら「そんな質問は、卵が先か鶏が先かくらい不毛な問題だ」と言って、俺の部屋に押し込んでしまった。ともかく今晩はゆっくり寝ろ、という気遣いらしい。
戻ってきた三成さんはまだ少し鼻息が荒く、声をかけていいものか悩んだが、三成さんが先に口を開いた。
「あいつ、生きた哲学だ」
一週間、あんなに衰弱するほど考え込んだのに、一生考えても証明しきれないような問題を抱え込んで、死んでしまうぞ。とでも言いたかったのだろう。
疑問を提起されると確かに不思議なものがある。直江さんは過去へ帰り、元和元年になってから、“現在から見て過去”の俺たちがいる場所へやってきて、ちょうどそこにやってくる慶長二十年の直江さんを待ち構えるだろう。そして、プリンを食べながら慶長二十年の直江さんを出迎えて、難題を残して帰ってゆくのだ。そしてその慶長二十年の直江さんはまた元和元年の直江さんに……と無限ループである。終わりもなければ、始まりも謎だ。鶏も、卵から産まれる。鶏は卵を産む。どちらが先か。卵は鶏が産まなければない。だがその鶏は卵がないと産まれない。不思議な話だ。考えたらそれだけで衰弱死してしまいそうだ。
ああ、それにしても、今日は少しばかりゆっくり眠れそうだ。考えがまとまらず鬱蒼とした気分のまま眠るのはもう終わりだ。
「……結局、どうしてタイムマシンがあるんでしょうね」
「タイムマシンと言うと機械のようなものを思い浮かべるが、ただ、思念が移動していただけと考えればそこまで疑問でもあるまい」
「……ですよねえ。ちょっと期待したんですけれど。俺もできるかなあ、と」
「どこに行ってなにをする気だ」
「別に。未来でも見に行こうかな、と。うんと先の。風呂スーツはあるかなあ、とか」
「なんだそれは」
食器洗い機みたいに自分を洗ってくれるスーツなんて言ってもばかにされるだろうし、自分でもばかだなと思うので言わない。
もし、タイムマシンがあっても決して自分の未来だけは見たくない。その未来が良いものであれば、その未来にたどり着くにはどうすればいいのかとあれこれ模索して疲れそうだ。悪いものはなおのこと。
「あ、と。過去に行けるんでしたら、石田三成、見てみたいですねえ。直江さんも」
「そうだな。悪くない。お前もいるかもしれんな」
「いやあ、なんだか。自分と同じような人間が過去にいるってのもむず痒い話ですね。未来にもいるかもしれませんよ」
「ありうるな」
そういえば、三成さんの読んだ本はほとんどむだに終わったようだった。ゲーテなんたらの解だとか、一般相対性理論、果ては量子力学。どれもこれも、俺にとっては頭の容量を食うだけの話だ。だが、もしかしたら三成さんなら、将来そういった学者になって後世に残る理論を考え出すかもしれないな。将来有望の若者だ。
その後、俺と三成さんはそこそこに会話して、夕飯を食べることも忘れて寝た。すっかり疲れきっていたようだ。
朝、目を覚まし直江さんのいる俺の部屋を覗き込むと、置き手紙が一つ、机の上に残しているだけで直江さんはいなかった。挨拶もなしに帰るとは、不義だなあ、なんて軽口をたたいて手紙に目を通した。
しかし、言葉遣いが昔のものであることと、文字が達筆なために読めなかった。
「あいつ、ばかだろう」
「……」
フォローはできなかった。
それから三成さんは精力的に古典の本を読み、解読に勤しんでいたが一日はあっという間に流れ、最初の一文が『三成、島殿へ』と書いてあることがわかっただけだった。
いつも通りに出社し、手紙のことをぼんやり考え、なにが書いてあるんだろうなとらしくもなく楽しみに感じていると、豊臣さんが回転椅子でくるくる回りながら近寄ってきた。驚くほどの上機嫌だ。
「島ーっ、ねねがのう、許してくれたんじゃあ!」
「ああ、そりゃよかったですね」
「うんうん。よかったよかった。夕飯、って言ってウニによくにたタワシを出されたときはタワシと心中しようかと思ったほどじゃった」
「まあ、それも愛ですし」
豊臣さんはまだ嬉しそうにくるくると回っている。ちらちらと見える顔には満面の笑みだ。本当、愛って身近にあるもんだ。
「愛? うむそうじゃの、愛じゃ。ねねが怒ったのも、わしを愛しとるからなんだぞ」
「わかってますよ。ノロケは結構」
一日中そんな状態だった豊臣さんを流した俺にもやっぱり愛がある。
給料も入ったし、コートでも今度買うか、と考えながら帰路につき、家に着くと三成さんが手紙と格闘している。どうやらまだ進んでいないらしい。
「お疲れさまです」
「ああ」
夕飯は、用意されていないらしい。三成さんが部屋着ではなく制服のままであるところを見ると、帰ってからずっとこれに熱中しているらしい。無理やり愛にこじつけて考えれば、この場合、俺に対する愛よりも直江さんに対する愛を重視したということで。まあいい。
スーツを放り出してすばやく着替え、冷蔵庫の中を覗きこむ。漬物に、白菜、もやしくらいしかない。
さてどうしたものかと考えあぐねていると、珍しくも電話が鳴ったので、急いで出た。
なんてことない。母親だった。昨日帰ったから三成さんにも帰るように伝えてほしいというような内容だったが、丁重に断った。
「なんの電話だった」
「母ですよ。三成さん、帰ってこいですって」
「……断っていたように聞こえたが」
「三成さんは将来有望なので俺が育てますって言っておきました」
「勝手なことを」
「まあ、手紙のこともありますし」
いいことをしたつもりもないが、悪いことをしたつもりもない。三成さんの反応もまんざらではないように見えたので、とりあえず安心した。
「あ、手紙。最初のほうが少しわかった」
「どんなんで?」
「まず、二人には多大な迷惑をかけたことと存じ……、だそうだ」
「堅苦しいですねえ」
らしいような、らしくないような。らしいと言えるほどに相手を知っているわけではないが、直感的にそう感じる。
ふと笑いがこみ上げて笑うと、三成さんもつられたように笑っていた。
そういえば、調べてみたのだが、鶏と卵では卵が先らしい。
12/02