髪からしたたる雫がロンTに沁み込むのをぼんやりと眺めていたら、直江さんが唐突に口火を切った。
「まず、長い間、島殿の部屋を勝手に使っていて申し訳なかった」
「あ、いえ」
深々と頭を下げられ、つられて自分を頭を下げる。
いくら暖房をつけていようと、床は冷たい。ひやりとしたものを感じた指先に意識が向いたが、すぐに直江さんに戻すように尽力した。
「それで、なにか解決したのか」
三成さんは、一番最初にボツにした質問を投げかけた。俺の話、聞いていなかったのではないか。当の本人は『何か問題でもあるのか』と言わんばかりの顔で俺をちらりと見る。
恐る恐る直江さんの顔を盗み見ると、眉が垂れ、頬を掻きながら苦笑いをしている。ほら、困っているじゃないか。
「なんというか、そこは心配をかけてしまったのかな。ああ、問題ない」
「なにが、どう解決したのだ」
「これは少し三成たちにはわかりにくいと思うが」
「問題ない」
あたりまえだ。その状況にあるのは直江さんだけなのだから、俺たちがわかるはずがない。
膝を進めた三成さんを落ち着かせるように直江さんは微笑を浮かべ、ゆっくりと語りはじめた。
「人間というものは、一生自分の姿を見ることができないということがわかった。鏡ではだめだぞ。あれは所詮、媒介なのだから。自分の目で他人を見るように、自分を見ることができない。私の場合、未来の私を見ることができたが、あれは現在の私ではない。自分の姿が見られないということがなにかあるのかと思うかもしれないが、私には重要だった。私は客観的に私を見ることができずにいたからこそ、あの日まで私の異変に気付くことができなかった。鏡を見ても、私の姿は若いままだ。鏡は多少信じがたいから、触れてもみた。水気のないしわしわの顔のはずなのに、まだ若さのある瑞々しい肌だった。本当に、私は私を知らなかった」
わからない、でもない。おそらく、写真もだめなのだろう。あれはレンズなどを媒介にしているから。そう言われると、自分の目で自分を見る機会なんてできない、とはもっともだった。
「肝心の理由なのだが、これはいくら考えてもわからなかった。私は、本当に私なのか。私は、“私”から分離した一部でしかないのかもしれないとまで考えた。私の本体というものが、慶長二十年に存在し、眠っているときでも、起きているときでも、その一部が好き勝手に移動しているだけの存在なのではないか、と。だが老いという観念がない。ぼんやりと慶長二十年までの出来事を覚えているが、それは遠い昔のような話だった。鮮明に覚えているのは、ちょうどこの年前後のこと」
「関ヶ原の戦いか」
「……だな。そうだ。知っているとは思わなかった。思えば、不思議なものなのだ。なぜ、『わざわざこの場選んだか』を考えると、いろいろと合点がゆく」
三成さんの仮説に、直江さんもたどり着いたようだ。
俺はちっともそんなこと考え付かなかったから、誰でもそう思い当たるという話ではないらしい。二人は、似ているのだろう。
そして、『わざわざこの場を選んだ理由』というものを考える。おそらく、元和元年の直江さんが移動している慶長二十年の直江さんを追うわけでもなく、ここで待ち受けていた理由だ。言われてみると、未来の直江さんなんだから過去の直江さんがどこにいるかなんて簡単に見当がつくだろう。それなのに、わざわざここにいた理由は、なんだろうか。
「俺、か」
「そうだ。三成はやはり、察しがいいな」
「悪かったですね。察しが悪いおっさんで」
「そう怒るでない」
どうにも二人の水準に俺が追いついていないようだ。二人の水準が高いのか、そもそも土俵が違うのか。そんなことはどうでもいい。ただ、少しだけだが屈辱的である(そんなプライドなければいいのだが)。
「私はここにいるときだけ、当時の姿のようだ。当時というのは、関ヶ原の当時。ためしに他の、全然知らない人間のところへ移動して私が何歳に見えるか聞いてみた。すると、五十やそこいらのおじいさん、と誰もが答える。なぜここにいるときだけか。それは三成が、島殿がいるからだ」
「俺も?」
さすがの俺も、ここまで親切に説明してもらえれば察しがつく。
つまり、ほぼ、一番最初に話した仮説通りと言ってもいい。彼は関ヶ原の直江兼続で、三成さんは石田三成に縁があると。それでもって、彼は三成さんがいるからそのときだけ姿が若くなると。だが、そこに俺が含まれるのは意外だった。
「俺も縁があったんですかねえ」
「三成との縁よりかは浅いがな。そこそこ」
「意外と冷たい物言いですね」
あまり仲が良くなかったのか。それとも、身分がどうたらでそれほど親交がなかったのか。もしかしたら、俺の名前も調べたら見つかるかもしれないな。
夢のような話だ。だが夢でないことは何度も確認した。
「私は私に無関心だった。だから私のことに気付かなかった。たったそれだけのことだった」
「それも、自責の念ってやつなのか」
「かもしれんな。三成が死んでからというもの、私は自分に無関心になった。自分に関心を持つと、自分を幸せにしなくてはならないと無意識に考えるからだろうか。私は幸せになってはならないと思っていて、徳川の天下で私が幸せになることは三成や故太閤殿下を愚弄することになると、考えていたに違いない。だから私は、全てを愛したいと希望しながら、自分を愛することができなかった。そして、自分と同じ姿をした元和元年の私を愛することもできなかった。」
彼は板ばさみだったようだ。義と不義というやつに。
なにかを貫くには、必ず犠牲が出るものだ。彼の場合、それを秤にかけるとどちらも釣り合うほど重く、どちらを取っても必ず後悔するとわかっていながら片方を決めたのだ。
「俺は石田三成ではない。よって、俺の言葉はただそこいらの落書きと思って聞け。万一、俺が石田三成の立場にあったとしても、お前を責めることはないだろう」
「それはなぜ」
「友人の不幸を踏み越えるほどの度量がないからだ。つまり、お前が幸せを拒否するのは勝手だが、少なくとも幸せになっても怒りはしない。むしろ、ならないよりなったほうがいいと思っている。お前の幸せが、そうやって自分を責めることならば文句は言わない。あくまでも俺の意見だがな」
俺の意見、と三成さんは言うが、直江さんからしてみればそれはムリな話ではないか。三成さんと石田三成は縁があると知っていて三成さんはそう断言する(計算ずくだ)。それが良いことかどうかは直江さんが判断することのため、俺はハラハラと見守るだけだ。
三成さんの言葉を、目を伏したまま聞いていた直江さんはやがて、にっこりと笑顔を浮かべて言った。
「そうか。責めないか。それはありがたい。三成は怒ると手に負えないからな」
「軽口が叩けるなら問題ないな。さっさと帰って年を取れ」
「いや、ひとつ気になっていることがあって」
「なんだ」
「元和元年の私がこうして慶長二十年の私にそう言ったが、一体どの私が始まりだったのだろう」
12/02