まず、飲み物は俺が飲み残していた湯飲みのお茶を飲んだから平気だったらしい。が、食べ物はどこにあるかわからず、勝手に食べていいのかも判断しかねたのでほうっておいたらしい(食欲もなかったようだ)。一週間、人は水だけで生きていけると聞いたことがあるが本当のようだ。
三成さんが応急処置に出したありあわせの惣菜を実に優雅に食しながら彼はそう言った。
一週間なにも食べなかったならばもっとがっついてもよさそうだが、胃が収縮してしまっているらしい。確かに、腹が減りすぎると逆に食べ物はたいして入らない。
「丁度、米が炊き上がったところでよかった。漬物、いるか?」
「少しだけもらおう」
「置いておくから好きに食え」
「こんなに食べられない」
「全部食えとは言っていない」
俺の偏見として、昔の食生活は懐石料理というイメージがある。多くのおかずを、少しずつ。学生のときに平安時代の貴族の食生活を写真で見た印象が強いのだろう。
箸の先に、ちょこっとだけ米を乗せて、少しずつ口に運んで、それを長々と噛んでいる。見ていてじれったさすら感じられる。
「この漬物、うまい」
「買ってきたものだが」
「少し甘味があるな。うむ。これはいい」
カリカリという音が、妙に耳に障る。
直江さんを観察すると、目の下に隈が出来て、頬の肉が削げ落ちている。それほど断食はつらかったとも、心労があったとも思える。箸を持つ手の先を見ると、筆まめが赤くはれている。そんなに文字を書いていたのか。俺の部屋が墨で汚れていなきゃいいが。
思ったほどの量を食べず、手を合わせて頭を下げた直江さんに、まずなにから話せばいいか思案した。そこで風呂に入ったらどうかと提案した。一週間、どうせ入っていなかったのだろうし、気持ち悪いだろう。すると直江さんは俺たちにもう風呂に入ったのかと質問し、入っていないと答えると渋った。俺たちは一週間入っていたんですから、どうぞ気になさらず、などと散々に口説いて風呂に入れた。とはいえ、風呂はまだわかしていなかったのでシャワーだが。もちろん、シャワーの使い方を一から説明した(そういや、前はこの直江さんよりも未来の直江さんに風呂の入り方を教えたな。シャワーの使い方は教えても、風呂の入り方は教えていなかったから知らなかったのか)。
直江さんがシャワーを浴びている間、俺と三成さんは額を向き合わせてあれこれと作戦を練った。
「どうする」
「どうするって」
「わざと話を違う方向に持っていくのもわざとらしいか。かといって直球に聞いていいものなのか」
「なにを聞く気なんです」
「例のことは解決したのか」
「そりゃ直球すぎるでしょう。もっと自然に」
「うるさい、俺は日本人的な気遣いが苦手なのだ」
帰国子女でもなんでもないのに、三成さんは苦い顔でそう言った。日本人は婉曲な物言いをすると、世界でも苦笑いされているらしい(主に政治的な場で)。
今までの言動を思い出すと、三成さんは本人の言うように日本人的な気遣いなんてどこかに置いてきてしまったような人間だ。
「たとえば、俺たちの考えたことから話すんですよ」
「なにを」
「仮説ですよ。そうですね……。『直江さんのことを、ちょっと調べてみたんですよ。現在よりも過去の人だから、あるかなあ、と。そうしたら、見事に見つかりまして』くらい遠まわしに」
「まどろっこしいな。それなら『お前は関ヶ原の戦いで西軍だった直江兼続か?』と聞けばいいではないか」
「それだと……」
「お前は変に気を遣いすぎだ。そういうものも傷つくのだ」
「そうは言いますけど……」
こういう気遣いも、やっぱり保身からくるものだ。相手を気遣うというよりも、自分の心象をよくするために、あえて丁寧に、核心に触れないように、撫でるように触れる。そうはわかっていても、思い切った決断なんて簡単にはできない。
そういった胸中を見透かしているのか、三成は強く断言する。
「否定だったならば、相手が話す気になるのを待つだけだが、肯定であった場合、次に聞くことは?」
「三成さんのことじゃないでしょうかね」
「俺は石田三成と似ているのか、か」
「まあ、いいんじゃないですか」
「それで」
「……いや、あんまり俺たちが詰問しても。直江さんもあまり触れたくない話題の可能性もありますし。ですから、相手が話すのを気長に……」
そこまで言ったところで、直江さんが廊下からひょっこりと顔を見せた。
「もし、あそこに置いてあった着物は、着ていいのか?」
「あ、そうです。そのつもりで置いてあるので」
「わかった」
着方は以前に教えたから、今度は間違えないだろう。
しかし、今の話、聞かれていたのだろうか。後ろめたいことはないはずだが、罪悪感がむくむくと膨らんで、口を噤んでしまう。三成さんも口を曲げて、難しい顔をしている。
「まあ、俺たちは好奇心で首をつっこんでいるもののようだから、あまり問いただす身ではないな」
「そうですね。ともかく、相手が気を晴らしたいのならば聞き役になる程度です」
それも一つの愛のありかたなんですよ、と言いかけて慌てて口を閉じた。『また愛か』と言われるのは火を見るよりも明らかだったからだ。
12/02