そういう強がりを見せていた時期が俺にもあった。
なんと称したらいいのか、今となってもよくわからないままだが、人にそういう弱味を見せて、同情を受けることが非常に腹立たしく思えたし、そういう目で見られるということに悲しくも思った。それに流されて自分をかわいそうだと周りに言いふらすのもいやだったが、自分はちっともかわいそうではないと思うにも抵抗があった。以前にも考えたが、こっそりと胸中で自分を悲劇の主人公にして、悦に浸りたかったのだ。
それを鋭く指摘した三成さんだが、本人にそういった覚えがあるからこそ思い当たるからこそ指摘できる。そう、三成さんは、自分を特別ではない単なる個として認めようとしているが、うまくいっていないのだ。だから必要以上にえぐるような言葉を選ぶことができたのだ。あれは俺に向けただけではなく、自分にも向けていた言葉と推察できる。
「一人が好きって言っても、人は一人じゃ生きていけませんし。ムリな話ですよ」
「そんな当たり前のことはわかっている。そういう揚げ足をとるような意味ではなくて、単純に、家で一人でいることは苦ではないということだ」
三成さんはそこそこ料理もできるし、家事なんかも一人でこなす。確かに、一人でも困らないだろう。俺も似たようなものだ。やれば料理なんてできないものでもないし、家事も一通りはできる(一人暮らしの賜物だ)。だが、自分一人しか食べる人間がいないのに料理を作ろうなんて思わないし、風呂だってシャワーで済ませる。一人で生きる(一人暮らし)ということは、人間を怠惰に陥れるのだ。
論点が違うことは承知のうえで、俺はそう考える。音に下したところで怒られるのは目に見えているので心の内にとどめておくが。
「苦ではないかもしれませんけれど、人間ってそういう風にあまりできていないものではないでしょうかね」
「心理学者ぶって。それとも哲学者か、生物学者か」
「別にぶっちゃいませんよ。ただ、人間ってのは強い生き物じゃないでしょう。他者と共存するようにできているんですから、一人でいることってのはまず、非常によく見られる一般的な異常なんだと思うんですが」
「どんなものにも奇形はいる。例外というものが……、いや、例外というよりも、どんな動物もステロタイプにはなりえないし、個々の性質ってものがある」
言葉を言い換えたのは、きっと自分を特別視しているような気味の悪い感覚に襲われたからだろう。そこで比較的自分を大衆に紛れ込ませるような言葉に言い換えた。以前、俺に対して『自分を悲劇の主人公にしている』と『自分を特別視』していることを手酷く批判したのだ。『他人はダメで自分はいい』というゴーマニズムを持ち合わせていなかったようで、慌てて取り消したのだ。
その心の動きが手に取るように見えたので、なかなかおもしろい。こういうのをなんというのだろうか。行動心理学に近いものだろうか。どうせなら若い頃に勉強しておけばよかった。
本をめくる手がせわしない。文字なんてほとんど追えていないのが丸わかりだが、彼は本を眺め続ける。緊張を逃しているのだ。人は緊張すると、たいていが何かに緊張を逃そうと無意識にする。壇上に立っている人は、台に手をついて寄りかかったり、面接を受ける人は手をもぞもぞと動かしたりといった具合に。
「それでも、愛はあるんですから」
「また愛か」
三成さんの顔にはうんざりだと書いてあった。俺も少ししつこいなとは思ったが、前の俺と同じように愛がよくわからないという状況にあるからか、妙に気になって仕方がない。
「もう聞き飽きた。ここに来てから、一生分の愛を聞いた。愛も囁きすぎると軽くなると言うが、聞きすぎるとたいして重要でもない一つの感情としか思えない」
「そりゃ失礼しました」
やたらに言い過ぎて逆効果だったらしい。俺はどうにも世話焼きな面があるのか、ついしつこく言い募ってしまうらしい。
「愛だって? そんなもの、何歳になっても、死ぬ間際まで理解できないに決まっている」
「そうですか?」
「そうだ。むしろ、そうやって愛がなんだとわかっているというようなヤツは信用ならん。愛に限らず、感情なんてものは例に漏れずただの言葉だ。理解なんて到底できん」
それもある。
そしてそういう答えもアリだ。愛や感情なんて、所詮は人によって定義が微妙に異なるものだし、押し付ける話ではない。本人がそうだと思えば、それが真実なのだ。
「そうですねえ。それが三成さんにとっての愛なんですよ、きっと」
「悪いとでも言いたげだな」
「そりゃ深読みのしすぎです。悪いことなんてありませんよ」
「ふん、ガキのくせにわかりきったことを言ってと思っているだろう」
「なんでそうもひねくれているんですか」
「知るか」
三成さんを子供としては認識していない。たしかに十六歳は子供に分類される年だろうが、ものの考え方がいやに大人びている。大人すぎるほどの大人だ。だから子供のくせに、なんてもう思わない。最初は、ちょっとくらいそう思ったが。
本を閉じ、立ち上がった三成さんは大きく伸びをして、キッチンに向かった。そういえば、いつのまにか夕食の時間だ。昼間はいかん。どうにも頭がうまく動かない。夜のほうが冴える。
「なににするか」
「どうしましょう。なんでもいいですよ」
そういや、直江さんが篭りはじめて一週間くらいは経つだろうか。その間、特別になにかを食べている姿を見かけていない(そもそも、姿すら見かけないのだが)。
「……」
三成さんもふと思い当たったらしく、顔を青くして俺を見た。目が「お前、なにかアイツに食わせたか」と聞いている。俺は首を振った。
勝手に食べているのかもしれない。けれど、冷蔵庫だとかそういうものを知っているのだろうか。過去の人間だ、彼は。水だって、水道の使い方がわからないかもしれない。彼って、井戸の時代の人だよな。
そのとき、グッドタイミングとでも言うのだろうか。噂をすれば影がさす、がピッタリだ。俺の部屋のドアがゆっくりと開き、少々やつれた直江さんが姿を見せた。
「……は、腹が減ってしまった……」
深刻そうに言ってくれれば慌てるだけなのだが、中身のない笑顔を浮かべるのだから俺たちはどう処したらいいのかわからず、少しだけ間ができた。
12/02