直江さんの音沙汰がなくなって数日が経ち、休日になった。
その間も俺と三成さんは不毛な仮説を立てに立て続け、既にネタがなくなってしまった。その主な内容は『直江さんが別人説』(直江さんが直江兼続を崇拝する別人として、直江兼続の若かりし頃の姿を持っているだけ)や『未来から来ている説』(未来では過去の概念が違う)や『元和元年の直江さんは慶長二十年の直江さんと双子で俺たちをおちょくっている説』など様々だ。果てには『直江さん宇宙人説』という俺が最初のほうに考えたSFじみたものまで出てきた。もはや、万に一つでもある可能性でもすがりついているようなものだ。
考えれば考えるほど、どの仮説もありうるような気がしてくるから厄介だ。少し考えることに疲れてしまった。対照的に三成さんは精力的に本を読んであれこれ仮説を立てている。
少し休日が憂鬱だ。また真実がどうかもわからないむだな仮説を立て続けて、結局消化不良のまま寝るというのはもううんざりだった。
「そういえばタイムパラドックスを、正確な意味で考えてみたらどうだろうか」
「正確な意味?」
俺は単純に、時間のパラドックスという意味で使っていたが、本来の意味があるらしい。
「親殺しのパラドックスというものがある。現代の人間が過去へ向かい、自分が産む前の親を殺すという」
「ああ、その瞬間自分は産まれない、存在しないということが決定された。しかし、存在しないはずの人間が人を殺した。そういうことを言うんですか」
「主に」
年を取るごとに頭が固くなってきて、それをどう今回の件に被せるのか、すぐには思いつかない。
三成さんは、怒っているんじゃないかという不安さえ覚えさせる険しい表情で口を開く。
「時代が分岐しているという考え方だ。パラレルワールドなんて呼ばれるな。量子力学で持てはやされている」
「それをどうするんですか。まさか、あの直江さんはその、パラレルワールドってやつから来たってことですか。そんな意味ないじゃないですか」
「大層な意味のあることをする人間がどれだけいると言うのだ」
「でも、パラレルワールドって、ええ? 意味がわかりませんよ。そのタイムパラドックスだって、主に過去へ向かうことで歴史を狂わせることなんでしょう。未来に行くって言っても、未来を変えるったって、こんな時代に来て……」
「だから、この世界そのものがパラレルワールドと考えられないのか」
「はあ?」
なにを言っているんだ、三成さんは。冗談じゃない。
お花畑の中でちょうちょを眺めながらアフタヌーンティーを楽しんでいるとしか思えない。
「いや、いやいやいや、いやいやいやいや……。待ってくださいよ。この世界をパラレルワールドと仮定するのはまあ何万歩も譲って了解しました。ですが、それでなにが解決するんですか」
「……別に、言ってみただけだ。兼続の不老の件が解決するかもしれないと思ったが、前提から少し特殊すぎた。仮説を越えて、ただの妄想になってしまったようだ」
「ですよね。よかった、安心した」
自分の突飛さに気付き、自戒した彼にホッと息をついた。
確かに、可能性の中に入るかもしれないが、いくらなんでも俺たちの手に負えなすぎる話だ。今でさえあれだこれだと話していてまとまらないのに、世界がたくさんあるなんて、こんがらがるのもいいところだ。
「だが、少しくらい考えても」
「四百年も昔の人間が来て、この時代にどういった矛盾を放り込んでいくのですか。その意味でのタイムパラドックスは生じないと考えていいと思いますよ」
根拠はないが、言い切ろう。パラレルワールドはありえない。量子力学だかなんだか知らんが、断じてありえない。
パラレルワールドそのものは専門外なので置いておくが、この世界がパラレルワールドで、直江さんがどこからかやってきたという話が一体なんなのだ。少し三成さんは本の読みすぎだ。考えられるものはすべて考えている、ということなのだろうが、それでもいきすぎだ。
「ともなると……、やはり一番最初の仮説か」
「まあ、それだって否定材料はありますがね」
精神世界というもの、なぜタイムトラベルのときに精神世界の姿になったのか、そもそも彼が精神世界の実像なのか。揚げ足を取ることはいくらでも可能なのである。どんなに正しい理論であっても。
考えすぎだろうか。少し頭が痛くなってきた。仕事に身が入っていないと豊臣さんに怒られるし(そういえば、豊臣さんって、豊臣秀吉だった。また生まれ変わりがどうこうとか誰かが言うんだ)。豊臣さんは、奥さんとうまくいっていないらしく俺にかわいらしい八つ当たりをしてくるからもう、心底疲れきってしまった。
平穏が欲しい。
「そういえば、三成さんはそろそろお帰りになるころですね」
「だな。もう一ヶ月経っている。だが、連絡が来ないからよくわからん」
「子供を置いて、なにを楽しんでいるんだか」
そう毒づくと、珍しくも三成さんが困り気味に眉尻を下げた。いつもキリリと眉を吊り上げているので、鬼の霍乱だと言ってもいいほどに驚いた。
今、俺の内にある感情がいまいちわからない。よくわからんだ、よくわからん。そういう、無責任な(下手すればモンスターペアレンツの素質すらある)親の元に彼を返していいのか。そして、帰ったところで彼は愛をもらうのか、幸せなのか。幸せというものは個人の定義だから一概には言えないものだが。
「別に、放っとかれて餓死するほど自己管理ができないわけでもない。逆に考えろ。それだけ、お前を信頼しているってことだろう」
「はあ、そういうもんですかねえ。ただ忘れているだけ……、ああ、すみません」
「別に」
本人を目の前にして、親に忘れられているなんて、俺の口の滑り方は異常だ。
ふいっと顔をそらし、本に視線を落とした三成さんに、再度改めて謝罪しようかと思ったが、それは逆に傷つけてしまいそうに思ったのでやめた。
「俺はお前が思っているほどかわいそうな人間ではないし、ほうっておかれることも嫌いじゃない」
12/02